第91話 いざサイサリア

「マイちゃん……マイちゃん、起きて」

「んう?」

 身体を揺さぶられて目が覚めた。暗闇の中、ロウソク片手のリモさんが申し訳なさそうな顔でベッド脇に立っていた。

「ふあ……、なにか、緊急事態ですか?」

「緊急……ってわけじゃないんだけどね。……ライラックさんがいなくなったの」

「……はい?」

 ヨナも起こしてベッドに腰掛けると、リモさんが手紙を差し出した。ロウソクの灯りでは心許ないのでランプに火を移し、渡された手紙────ライラックさんの書き置きを一緒に読む。


         ◆


 リモへ。


 薬草の採取を手伝うことなく、いなくなることを許してほしい。

 私の事情はある程度知っているだろうし、協力もしてもらったけれど、ミローネ王女が捕まったとなれば一刻の猶予もない。私一人でもサイサリアに向かおうと思う。

 今までの準備を無駄にすることもできないので、申し訳ないが各所への連絡はお願いできないだろうか。手紙は用意しておく。

 ハンターズギルドには本当に世話になった。その恩を書き始めたら、紙がいくらあっても足りないので割愛することを許してほしい。今までありがとう。ギルドマスターにもお礼を言っておいてほしい。

 あと、マイちゃんたちには上手く言っておいてほしい。

 無事に戻れることがあれば、改めてお礼に伺うよ。それじゃあ、しばしの別れを。


                                 ライラック


         ◆


「……私たちに見せちゃってよかったんですか?」

 短い手紙を読み終え、尋ねる。私たちに上手く言っておいてほしいと書かれているからには、ライラックさんは自分がサイサリアに向かったことを私たちに知られたくないと思っているはずだ。それなのに、手紙を読ませたリモさんの考えがわからない。

 返答は、困ったような苦笑だった。

「ライラックさんね、サイサリアの出身なのよ」

「え、そうなんですか」

「二年前の政変の際、リトーリアに脱出してきてね。それで、いつか国を取り戻すために、こっちで協力者を集めていたのよ」

 なんと、ライラックさんがサイサリアの人間だったとは。だけど、それならミローネ王女が捕まったと聞いて取り乱したのも理解できる。

 リモさんのは話は続く。

「ハンターズギルドも人材探しに協力させてもらったのよ。腕利きはいくらでもいるしね。本来なら、十分な人数と物資を揃えて越境するつもりだったんでしょうけど、王女様が捕まったとなれば、手紙にあったように一刻の猶予もないんでしょう。単身、サイサリアに戻ったみたい。……協力者宛ての手紙を大量に残してね!」

 最後の怒りは、余分な仕事を残されたことへの愚痴なんだろう。

 それはそれとして。

「ライラックさんの事情はわかりました。それで、どうして私たちにその話を?」

「うん、これは私の個人的なお願いなんだけど……。マイちゃんたちが問題なければ、ライラックさんを手伝ってあげてくれない?」

 え? 王女を救うという────いや、ひょっとしたら国を救うような大仕事を手伝えと?

「ライラックさんってさ、クールで実力もある、頼れるハンターというのが、大半のハンターズギルド職員及びハンターたちの共通認識なのよね。でもさ、そういうイメージのせいなのか、それとも国を救うという目的があるからか、どうにも余裕がなくて常に張り詰めていたところがあったのよ。でも、ね。マイちゃんたちと知り合ってから、ライラックさんの肩から力が抜けたのがわかったの」

「あー……」

 それは、あれだ。性別を知られて素を出すことができるようになったからだろう。ちょっと一線を越えちゃった部分はあるけれど、思い返してみれば【マイホーム】内のライラックさんは、かなりくつろいでいたように思う。……そうか、私と出会って息抜きができていたのか。

 しかし、リモさんに見抜かれるくらいに余裕がなかったとか、よほどだったんだなあ。

「サイサリア国内の情勢は、どうなっているのかわからないわ。だけど、かなり厳しい状況に置かれると思うの。ケイモンで活動していた時以上に心の余裕を無くしてしまえば、目的を果たす前に最悪の結果を招いてしまうかもしれない。私は……ライラックさんに無事でいてほしい」

「だから、私たちにライラックさんの心を支えてほしいと?」

「そうね。勝手なお願いだけれど」

 うーむ。ライラックさんの目的は、まずはミローネ王女の救出ということなんだろう。今、国を支配しているのが何者なのかは知らないけれど、ライラックさんを手伝うということは、確実に今の為政者と対立することになる。滅茶苦茶厄介な状況に飛び込むことになるわけだ。正直、そんな大事に関わらずに生活していたい。いたいんだけどさあ……そう、普通ならね。

 くいっ、と。寝間着の袖を引かれる。無言だけど、なにかを訴えるような表情のヨナがそこにいる。

「…………」

「……まあ、わかってたよね」

 そうだね、わかってたよ! ここでライラックさんを見捨てられるほど非情になれないくらいには、深い付き合いをしてたからね。知った以上、無視なんてできないよっ。

 私の呟きにリモさんとヨナの顔がパッと明るくなる。あー、そんなに期待しないでよ? 国の運命とかそういうのは背負えないからね。

「ライラックさんが出発したのは?」

「ん~……せいぜい二時間くらい前じゃないかしらね」

 それくらいなら追えるかな。風があまり吹いていないから匂いは残っているだろうし、【索敵】もある。十分に捜せるはずだ。

「ヨナ、急いで着替える」

「はいっ」

「本当にありがとうね。これ、せめてものお詫び」

 そう言ってリモさんが差し出したのはポーションが二本。大きさからして下級のだろうけど、それでも未知の土地に準備なしで向かうことを考えればありがたい。

「遠慮なくもらっておきます。あ、ギルドの依頼を一定期間、受けられないかもしれないので、手続きお願いしますね」

「ふふっ、了解よ。……薬草とロクスターの件はなんとかするから、ライラックさんをよろしくね」

 素早く着替えをすませ、リモさんに見送られながら家を飛び出す。目的地は……。

「あれ? 国境じゃないんですか?」

「ん、ちょっと先にこっちを」

 ヨナを抱きかかえ、村の外れの岩山を駆け上がる。普通の人なら登ることもままならない絶壁を軽やかに駆け上がると、ぽっかりと開いた地面に薬草が生えているのが確認できた。横穴があるから、洞窟を通ってしかここには来れないようになっているのかな。

 薬草園に降り立ち、【マイホーム】を設置。ドリアードを呼ぶ。

『ここの薬草に祝福をお願いできる?』

『病の精霊に対抗するのだな? わかった』

 ドリアードが不思議な呪文のようなものを唱えつつ右手をドアから差し出すと、掌からキラキラと光る粉のようなものが薬草園に広がっていく。光の粉は薬草に触れるとすぐに消えたけれど、ドリアードの祝福が終わっても薬草はしばらく淡く輝いていた。

「綺麗……」

 ヨナと二人、時間を忘れて見入ってしまいそうになる。っと、いかんいかん。目的はライラックさんを追うことだ。

 【マイホーム】を消して再びヨナを抱きかかえ、今度こそ国境を目指して走り出す。

 そしてたどり着いた国境では……吊り橋が落ちていた。

「え、どうして吊り橋が!?」

「……ライラックさんかなあ」

 明日にでもリモさんがギルドに吊り橋とサイサリアの工作員の件を報告するはずだ。その情報はすぐにでも領主に伝えられるだろうけど、ボダ村に兵を派遣するとなれば数日はかかるはずだ。そして、その数日の間にサイサリアが兵を送り込んでくる可能性がどれだけあるか、ということになる。ボダ村の部隊との連絡が途絶えたと知れば、兵は無理でも工作隊の本体がリトーリア側に侵入して暗躍する可能性は高い。

「だから、橋を落とした?」

「多分、ね」

 対岸まで百メートルほど。普通なら追いかけることもできなところだけど……、あいにくと私は普通じゃないんだよね。

「ヨナ、この先は今までの常識が通じないかもしれない土地だよ。覚悟はいい?」

「はいっ、マイ様と一緒なら大丈夫ですっ」

 うはあ、信頼に満ちた眼差しが眩しい。頑張って信頼に応えるようにしないといけないね。

「んじゃ、行きますか」

 ヨナを抱き上げ、【闇の翼】を展開する。


 ビリビリビリィッ!


「……マイ様?」

「み、見なかったことにして」

 しまった、この翼は物理的なものだったのかっ! 背中側が思いっきり破れちゃったじゃないかあっ。くうう、恰好がつかないなあ。

 内心で嘆きながら、私とヨナは国境を飛び越えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る