第74話 やはりトラブルでした
「お客様、どうかお代を」
「うるせえ、あんな料理、金額に合わねえだろうが」
女の子は私よりいくつか歳上だろうか。彼女が男の腕をとると、男は乱暴にそれを払った。女の子は小さな悲鳴をあげて転倒する。……あ、ちょっとマズイ転びかたしてない?
「ったあ……」
ああ、やっぱり。立ち上がろうとして女の子は足首を押さえてうずくまってしまった。
誰よりも速くライラックさんが駆けだす。
さすがイケメン、こういう時に迷わないなあ。
男たちは少し迷ったようだけど、周囲の視線とライラックさんから逃げるように人混みに消えていった。
「大丈夫?」
「ちょっと、お客さんっ! ……って、エイダ!?」
ライラックさんが女の子に声をかけるとほぼ同時に、エプロンをつけた青年が店から飛び出してきた。うずくまる女の子に気づき、多分先ほどの男たちを探すように周囲を見回すけれど、もはや近くにはいない。
青年はライラックさんと女の子に駆け寄った。
「すまん、妹が迷惑を」
「この子は悪くないよ。足首を痛めたみたいだ、店の中に運んでも?」
質問しながら、すでに女の子をお姫様抱っこしているライラックさん。うん、ナチュラルにこういうことするからファンが増えるんだよなあ。ああ、ほら、女の子────確かエイダって名前だったか────、真っ赤な顔で目をキラキラさせてるじゃないか。
「相変わらず罪作りねえ」
隣でリモさんが呟く。前科は多そうだな。
「旅の人には恥ずかしいところを見せてしまったな」
なし崩し的に店に入った私たちに、青年は頭を下げた。青年の名はジェフ。妹のエイダさんと二人で、父の跡を継いだこの食堂を経営しているのだそうだ。
お詫びというわけじゃないだろうけど水を出された。
「わっ、冷たい」
「この町は温泉のせいで熱いだろ、だから水くらいは冷たくしたくてな」
水の冷たさに驚く私たちに、まんざらでもないジェフ────さんつけで呼んだら背中がムズムズすると言われたので、遠慮なく呼び捨て────。確かに、この町で冷たい水はいいなあ。
だというのに、店内に私たち以外に客はいない。さきほどの人気店は別としても、他の食堂もそこそこ客が入っていたように思うんだけど、これはどうしたことか。
いや、うん、トラブルの匂いがプンプンしてますよ。うん、わかってる。
ライラックさんがエイダさんの手当てをしている間、なんとはなしに店内を見回す。二人がけのテーブルにパンとスープが二人分あるのが見えた。
「……これは?」
「……さっきの客の注文。手をつけずに出て行かれたけどよ。まあ、訳あって今はそれしか出せないんだ」
気まずそうに答えるジェフ。
パンはごく普通のパンで、特に変わったところはない。スープは、香りは悪くないけれど具が少ない。刻んだ野菜と、なにやらプルプルした肉のようなものが入っているだけだ。隣に来たヨナが首を傾げる。
「昼食でこれは……」
「うん、少ないよね」
明らかにボリュームが、いや、メインがない。ダイエットしている人ならともかく、現代日本と違って肉体労働者が多いこの世界じゃあ、これで満足はできないんじゃないかなあ。
「……おいくら?」
「……銅貨五枚」
ジェフの返答には苦渋が滲んでいる。うん、このメニューで銅貨五枚は正直どうかなあ。さっきの客が金額に見合わないみたいな発言してたけど、残念ながら同意するね。
だけどこの肉は……。
財布から銅貨五枚を取り出してジェフに渡す。
「え、いや、この金は……」
「ちょっと味見させて」
「いやいや、前の客のものをっ」
「まあまあ、少し様子を見ませんか?」
止めようとするジェフをリモさんが制していた。その表情は「また、なにかやってくれるかも」という期待感が見え見えなんですけど? 私、そんなに色々やらかしましたっけねー。
とりあえず料理に意識を戻す。パンは……もぐもぐ。うん、普通に店で売ってそうなパンで、特に変わった具が入ってたりはしないな。
じゃあ、いい匂いをさせてるスープは、と。……お、予想以上に肉の旨味が出てる。プルプルしてる肉は……。
「ヨナ、あーん」
「え? あ、はい」
肉を一つ、ヨナに食べさせる。咀嚼したヨナは目を丸くした。
「ふわああっ、なんですかこの肉! プルップルで美味しいです!」
頬を押さえて幸せそうなヨナを愛でながら、自分も肉をひとくち。もぐもぐ……うん、これは────。
「スジ肉だね」
「わかるのか!?」
「ここまで煮込むには相当時間がかかったはずだよね。燃料代込みで銅貨五枚は、わからなくはないけど」
ジェフとエイダさんの表情には安堵があった。だけど、いくらスジ肉を柔らかく煮込もうともメインがなければ客は来ないんじゃないかなあ。
それを指摘すると兄妹は表情を曇らせた。
「昔はステーキがメインだったんだ。だけど……」
「お兄ちゃん!」
口を開いたジェフをエイダさんが止める。無関係な私たちに聞かせる話じゃないってところだろう。確かに、通りすがりの者に店の窮状を訴えても恥ずかしいだけだろうし。だけど……。
「なんなんですか?」
視線を感じる。ヨナ、ライラックさん、リモさんがニコニコしながら私を見ている。三人ともなにも言わないけれど、ここまで聞いておいてほおっておけないですよね? という顔をしていた。ああ、もうっ。
「まあ、なに。話すことで気持ちが整理できるかもだし、話すだけはタダだし、いいんじゃない? ひょっとしたら協力できるかもしれないし……」
胸を叩いて、相談に乗りましょう! なんて口が裂けても言えないわっ。
だけど場の空気で察したのか、やがてジェフがポツリ、ポツリと自分たちの置かれている状況を話し始めた。
あーあ、聞いちゃったら知らないフリなんてできないじゃんか。耳をふさぎたい。ダメ? あ、はい。
◆
親父が生きていたころは、こんなんじゃなかったんだ。
ああ、母さんはエイダを生んですぐに死んでしまって、親父は男手ひとつで俺たち兄妹を育ててくれたんだ。感謝してる。
親父の焼くステーキは観光客にも人気でさ、俺も将来は親父に負けない料理人になろうって思ってた。
だけどまさか……、料理のすべてを学ぶ前に、親父が事故であっさり逝っちまうとは思わなかった。
うちは先祖代々、ここで食堂をやってた。俺の代で店を潰すわけにはいかねえ。常連に「まだまだ親父さんには遠く及ばない」って言われながらも、俺は必死で店を切り盛りしてきた。エイダもよく手伝ってくれたよ。
だけど、あの……。あの『月桂樹の冠亭』が出店してきてから、全部おかしくなった。
まず、昔から肉を卸してくれていた牧場からの肉の品質が落ちた。牧場主のマールは親父の友人だから不義理をするはずはないって思ってたけれど、日に日に肉が悪くなっていくんだ。おかしいと思ってマールを問い詰めてみると、あの野郎、『月桂樹の冠亭』が倍近い値段で肉を買い取ってくれるから、そっちを優先することにしたって言いやがったんだ! 友人だった親父に免じて安く肉を卸していたけれど、これからは『月桂樹の冠亭』と同じ値じゃなきゃいい肉は売れないってよ!
肉の値段が倍なんて、うちじゃやっていけねえ。他の牧場も契約がいっぱいで、うちが入り込む余地はなかった。お陰で気がつけば、使える肉は脂身だらけのクズ肉か、硬くて焼くには向かないスジ肉ばかりになっちまった。
それでもスジ肉は時間をかけて煮込めば、いい出汁が出るし美味しいってことがわかった。でも、残念だがあんたの言う通りにメインが無い。このままじゃ店を畳まなきゃならねえっ!
『月桂樹の冠亭』のオーナー野郎、うちが潰れたら店舗を買い取って二号店にしてやるとか言ってるんだ。だけど、あんな成金野郎に先祖代々からの店を渡すわけにはいかねえ。渡したくないんだよぉっ!
◆
「すまねえ、興奮して」
話し終えたジェフはカウンターに腰を下ろし、コップの水を飲み干す。そんな彼を横目に見ながらリモさんに声をかける。
「どう思います?」
「んー……お父様の死は事故だとしても、『月桂樹の冠亭』の行動には、なにか裏を感じますよねえ」
同感だ。良い肉を買い占めてこの店の経営を圧迫してるのは、果たして偶然だろうか?
まあ、依頼を受けたわけでもないし、私たちは探偵でもない。怪しいというだけで『月桂樹の冠亭』を嗅ぎ回るわけにもいかない。
となれば、できることは一つしかない。
「問題なければ、肉を見せてもらえません?」
手持ちの材料でメイン料理を作れるかどうか、だ。
……できるかなあ?
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