第75話 ハンバーグ
「本当なら店の人間以外は入れねえんだが」
他言無用と約束させられてから、ジェフに肉を保管している場所に案内してもらった。厨房の奥の食材保管庫の扉を大きく開けて壁に押しつけると、ノブが壁の窪みにピタリとはまった。そこでノブを回してから扉を引くと、なんとまあ、壁が扉にくっついて開いたじゃないか。壁の奥には階段があり、ランタン片手に二人で下りていく。やがて空気がヒンヤリしてきた。
階段を下りた先には霜がついた扉が待っていた。って、霜!? 温泉地のここで?
手袋をつけてジェフが扉を開けると、ドッと冷気が溢れ出てきた。
「なんですか、ここ」
「わかんねえ。うちの先祖がここに住みはじめた時にはもう、ここはあったらしい。だからうちの店は肉を買いだめしておくことができたわけだが」
中は結構広い。そして寒い。まるで巨大な冷蔵庫に入った気分だ。なるほど、これなら肉の保管は大丈夫だったろう。あ、そうか、冷たい水はここがあればこそか。
「肉はこの辺だ。あ、あまり奥には行くなよ、凍っちまう」
入り口付近はそうでもないけど、奥の方は壁や床が凍りつき、でっかい氷柱もぶら下がっている。その最奥に、不思議な光を放つ結晶のようなものが見えた。なんだあれ。気になったら【解析】!
『氷の精霊』
『仮死状態』
仮死状態の精霊!? 初めて聞いたよ。詳しく調べる時間はないから、あとでドリアードたちに聞いてみよう。
ジェフに促されて肉に視線を移す。……ああ、脂身のクズ肉とは聞いていたけど、赤身がまったくないわけじゃない。これならなんとかできそうかな。
「ところで、この場所を知ってる人は他にいるの?」
「あー、入り方までは教えてねえけど、地元の人間なら、うちの地下に氷の部屋があるのは知ってる。それがどうかしたか?」
「いやー、ちょっとねえ」
熱い温泉地で雪のいらない氷室が装備とか、同業者からしたら欲しいに決まってる。ひょっとしたら『月桂樹の冠亭』の目的って……。
いや、まあ、それは後回しだ。今はメニューをどうにかしよう。
「ノイノはある?」
「あー、春物がつい先日、手に入ったけど」
「よしよし、それじゃあ……」
必要な材料を確認してから、肉を持って上に戻った。
「それじゃあ、始めようか」
店を一時休業にしてから調理開始!
とはいえ、兄妹でできるようになってもらわないと困るので、私は指示に徹する。
「じゃあ、エイダさんはノイノを刻んでバターで炒めて」
「は、はいっ」
「ジェフはスジ肉と脂身肉を細かく切って……このくらい」
「え、こんなに細かくしていいのか?」
「いいから早く」
「お、おうっ」
肉は少し凍っているものを使用する。その方が脂身とか切りやすいだろうし。気温が高いから切り終るころには適度な柔らかさになっているんじゃないかな。
ちなみにノイノというのは地球で言う玉ねぎのことだ。ただ、味も触感も玉ねぎなんだけど、芽キャベツみたいに玉ねぎがつくので、前世の知識が統合された時は驚いたものだ。他にも地球と同じような野菜はいくつもあるので、これからは馴染みのある地球での名称で呼ぶことにしよう。……誰に説明してるんだ、私は。
「なにができるんだろうね」
「楽しみですねー」
ライラックさんたちはカウンター席に陣取って調理風景を眺めている。ヨナは手伝いたそうにしているけれど、作り方を知っているのが私だけだけだから手伝ってもらうわけにもいかないんだよねえ。まあ、作り方を覚えて、今度作ってもらおうっと。
「炒め終わった玉ねぎは、あら熱をとってから冷やしておいて。ついでに地下から氷と水を持ってきて」
「はいっ」
エイダさんが炒めた玉ねぎを持って地下に向かう。普通に歩けているところを見ると、ライラックさんの応急手当は適切だったようだ。ライラックさんを見ると、黙って親指を立ててきた。うわあ、サマになるぅっ、このイケメンめっ。いや、女性だけどさ。
そうこうしているうちにジェフが肉を切り終えた。スジ肉と脂身……うん、七対三くらいの割合で、まずはやってみようか。
ボウルがないから肉を鍋に入れて、と。
「さて、これから肉を捏ねるわけだけど……その前に手を冷却~っ!」
「だああああああっ!?」
エイダさんが持ってきてくれた冷水にさらに氷を入れ、そこにジェフの手を突っ込む。ええい、暴れるな、水が飛び散るだろうにっ。
「ちょっ、ちょっと待て! なんでこんなことを────」
「手の熱で脂が溶けちゃうからだよ。幸い、この店で氷水に困ることはないんだから、徹底的に冷やすのだ!」
力で私が負けるはずもなく、ジェフの手をキンキンに冷してやった。
さて、もう私が作ろうとしているものがわかったと思う。そう、ハンバーグだ。ミンチにしてしまえばスジ肉も問題なく食べられると考えたんだけど、さてどうなるか。
「あ、エイダさん、手が空いてるなら小麦粉を練っておいて」
「はいっ」
「じゃあ、肉を捏ねる前に塩を少々入れて、あとは……粘りがでるまでひたすら捏ねる!」
「お、おうっ」
捏ねるジェフの手元を観察する。細かく切ったとはいえスジ肉だし、まとまりが悪いようなら「つなぎ」も考えないといけない。
だけど問題なさそうだった。鍋の中で肉がいい具合にまとまりだした。このタイミングで炒めて冷やしておいた玉ねぎと、ナツメグを投入。あと胡椒を入れたいけど、胡椒は高価なのでハーブで代用。そして混ぜながら捏ねる! ……よし、あとは成形して、と。
「……一人分だとどれくらいになりそう?」
「あー、そうだな。これくらいか」
ジェフが捏ねた肉を一人分だけ取り分ける。って、多いな、ハンバーグ店の大より大きい。五百グラムはありそうだ。まあ、この世界だとこれくらいの量は普通なんだろう。
「楕円形に成形して、掌に叩きつけるようにして空気を抜いて」
「こ、こうか?」
「あ、上手いじゃない」
さすがは料理人、初めてのハンバーグのタネを器用にお手玉しながら肉の形を整えていく。最後に真ん中をへこませれば、あとは焼くだけ! ……なんだけど。
「とりあえず、全員分を用意しようか」
「そ、そうだな」
昼食がまだだからヨナたちの視線があまりにも熱くて。全員分を用意しなかったら暴動が起きそうだ。
ジェフも気づいていたようで、すぐに全員分の肉を整え始めた。あ、エイダさんがちょうど小麦粉を練り終えたので、それは濡れ布巾をかけて少し寝かせておく。
さて、いよいよ焼きに入るんだけど……すごいな、この店。だってでっかい溶岩のプレートが鎮座してるんだよ。多分、これでステーキを焼いていたんだろう。あいにくと今は温めていないんだけど、ハンバーグを売り出したらまた活躍するだろう。
とりあえずハンバーグは、鍋をかける竈の方で焼くことにする。火力は中弱火がいいので……って、これはなんだ? 薪でもなく炭でもない、なにか赤い石のようなものが燃えている。
「ああ、火山の種って呼ばれる石だな。火の精霊の力が宿ってるらしくて、火山の熱で温めれば何度でも使える」
「……ほしいな」
「火山の熱がないと使い切りになっちまうぞ?」
「あー、それもそうか」
これがあれば【マイホーム】内の燃料問題が解決すると思ったんだけどな。この町限定のアイテムじゃしょうがない。
気を取り直して。火山の種の数を調整して火力を調整して、フライパンにハンバーグを投入。肉の焼ける匂いが空腹にキツイ。
「軽く焦げ目がつくまで。判断は任せるよ」
「おうっ、任せろ」
ガスと違って火力の調整が難しい。その店その店のクセのようなものもあるし、その辺りはジェフに任せる。
しばらくするとジェフが頷いたので、ひっくり返してから少し水を入れて蓋をして蒸し焼きに。
蓋? とジェフが首を傾げたけれど、そういえばこの世界、「蒸す」という調理法がなかった気がする。まあ、それはあとで説明すればいいか。
時間を見計らって蓋を取り、串を刺して透明な肉汁が出てくるのを確認。よし。
「はい、完成」
おおおっと店内に期待の声が満る。
皿に取り分け、ステーキに使っていたというソースをかけて、と。さあ、めしあがれ。
「これは……柔らかいね」
「切り口からたくさんの肉汁が……」
「ふわあ、肉ですっ。これ、すっごく肉ですっ」
「あの肉がこんな料理に化けるなんて……」
うん、つなぎが入っていないので肉の味がストレートにくる。スジ肉の硬さも気にならないレベルだし、配合率もまあまあかな。試作でこれなら悪くはないと思うんだけど……、ジェフだけがなにか考え込んでいる。
「お口に合わない?」
「……いや、美味いよ。あの肉でこんな料理が作れるとか、正直驚いてる。だけど」
「だけど?」
「男連中は、もっと歯ごたえが欲しいかもしれん」
「それじゃあ、スジ肉をもう少し大きく切る?」
「そうだな、色々試してみたい」
料理人だねえ。まあ、私は作り方を教えるだけだ、あとはこの店の作り方に変えていってくれればいい。
ふと女性陣を見ると、ヨナが溢れた肉汁をパンに吸わせて食べている。「だって、もったいないですもん」とのこと。ふむ、じゃあ、こういうのはどうだろうか。パンを上下に切り分けて葉野菜を乗せ、ハンバーグを挟む。そう、ハンバーガーだ。
「兄さん、これいいよ!」
「うん、パンが肉汁を吸って美味いし、なにより持ち歩けるのがいい。食べ歩きにちょうどいい」
よし、好評。
手応えを感じていると、エイダさんが私の袖を引いた。
「ねえ、小麦粉はなにに使うの?」
「ああ、あれはね」
ハンバーグのタネも余ってるし、小麦粉で作った皮で包んで餃子にした。焼き餃子と、スープに投入して水餃子に。
こちらも、とても好評でしたよ。
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