第21話 ああっ、壁! 壁の上にっ!
「おお~」
思わず声が出た。領地境の川は、土手も含めると幅が百メートルはあるだろうか。流れは速く、水面に顔を出す岩にぶつかって水しぶきがあがるくらいだ。水は想像よりも澄んでいて、水深がかなりあることが遠目にも確認できる。
「マイ様、マイ様。とても大きいです」
「うん、大きいねえ」
語彙力がちょっと昼寝してるらしい。二人して大きいね、を連発していると、アザリーさんたちがホッコリしているようだった。恥ずかしいなあ、もう。
恥ずかしさから視線を逸らすと、少し川下に巨大な橋が架かっているのが見えた。
「アザリーさん、あの煙は?」
「ああ、中洲で休憩しているやつらがいるんだろう」
「中洲というより小島ですよ」
川の中央付近に中洲────どう見ても小島────があり、両岸から伸びる橋はそこで合流している。その中洲からいくつもの煙が立ち昇っていたんだけど、どうやら休憩所があるらしい。う~ん、だけど、あの煙は……。
「煙、真っ黒すぎません?」
「言われてみれば……」
アザリーさんが首を傾げた途端、ボンッと大きな音を立てて新しい黒煙が立ち昇った。
「エマ、フラウ、準備! チビちゃんたちは後ろへ!」
言うなりアザリーさんは馬車を加速させた。みるみる橋のたもとが近づいてくる。橋は馬車がすれ違うことができるほど幅が広く、大きな柵も設置されている。アザリーさんは手綱を緩めず、そのままの勢いで橋に乗り込んだ。
橋の中ほどで親子が倒れ込むのが見えた。そして、その親子に襲いかかろうとしていたのは────。
「うえっ、
直立した魚としか形容できない、どう見ても冒涜的な奉仕種族としか思えない魔物二体が、粗末な槍を振り上げて倒れた親子にトドメを刺そうとしていた。
「フラウッ!」
「任せて~。ビリッと痺れるわよ~」
エマさんの声に、気の抜けるような返事をしながらフラウさんが詠唱を続ける。馬車から身を乗り出したフラウさんの持つ杖から、轟音とともに電撃が放たれ、二体の魔物を直撃する。うはっ、ヨナの魔法とはレベルが違うな。魔物は生きてはいるが、倒れ込んでビクビクと痙攣している。
「よし、このまま突っ込んで……」
「っ!? アザリーさん、ダメ。止まって!」
魔物を見た時から発動させていた【索敵】は、橋の両側に待機している光点を捉えていた。だけど馬車は急には止まれない。
ザバアッと水を跳ね飛ばしながら、魔物が水中から跳び上がった。イルカも顔負けの跳躍力だ。やつらは槍を構えて、下を通過しようとしている馬車に狙いを定めている!
停車は間に合わない。エマさんもフラウさんも驚いて反応が遅れている。
……ええい、しかたない。【操髪】発動! 橋の両柵を経由して、相手の首に素早く巻きつける。そしてそのまま、可能な限り引っ張る! できればやりたくなかった!
実は【操髪】、巻きつけて動きを封じるのは得意だけど、相手を引っ張るような力は弱い。無理に引っ張ろうとすれば、逆に自分が引っ張られてしまう。だから今回は柵を利用してテコの原理で少しでも力を────あいたあっ!?
髪が抜けて頭皮に激痛がっ! だけど魔物も空中で不自然に後方につんのめり、無防備な背中から橋の上に落下した。馬とか馬車の上じゃなくてよかった。
わずかに遅れて馬車が停止。すぐにエマさんが馬車を降りて、背中を打って悶絶している二体に槍を突き立てる。おおう、見事な手際。フラウさんは感電から回復しようとしている前方の二匹にもう一度電撃を撃ちこみ、今度こそ倒した。
「マイ、あんた魔物の気配がわかるのかい!?」
「えっと……なんとなく、ですけど」
馬車を止めるよう言ってしまった以上、知らないと言えるはずもない。それを聞いたエマさんが駆け寄ってきた。
「マイ、ここから小島までの間に敵はいる?」
「ええと……親子から少し向こうにいるかな。右側に一匹、左に二匹」
「それがわかれば十分。フラウ、行くよ」
「はぁ~い」
二人は駆けだした。倒れた親子を越えた時、左右から魔物が跳び上がって奇襲をかけてきたけれど、出てくることがわかっていれば対処は容易だ。空中の敵は的でしかない。二人は簡単に三匹を倒すと、そのまま小島へ走って行く。
「私も行きます」
「こら、子供が行っても邪魔になるだけだよ!」
「小島の周囲に、まだいっぱい潜んでいるんです。このままだと奇襲されてけが人が増えるだけです。ヨナはアザリーさんを手伝ってあげて」
「はい、マイ様」
「あ、こらあっ!」
親子の保護をアザリーさんとヨナに任せ、私は全力……を出さないようにエマさんたちを追った。全力で走ると確実に追い越すからね。
橋を渡り切ると、そこは休憩所というよりは小さな集落と言えるものだった。小島の周囲は高い木製の壁に囲まれている。多分、外敵や川風を防ぐためだろう。中心部には大きな建物があった……はず。今は紅蓮の炎を上げて燃え崩れてしまっている。その炎を取り囲むように小さな建物がいくつか。その多くは壊れてしまっているけれど。
魔物たちは水飛沫をあげながら、次々と川上から小島へと侵入してくる。あのジャンプ力の前には壁など無意味だった。小島にはすでに二十体以上の魔物がいる。
「気をつけろ、油を吐くぞっ!」
誰が叫んだのか、新たに侵入した一体が大きく喉を膨らませる。そして茶色い液体を弾丸のように吐き出した。地面や小屋に当たった液体は、炎の熱で容易く発火した。
なるほど。多分、中央の建物で火を使っていたんだろう。そこに魔物が奇襲をかけ、文字通り火に油を注いだわけだ。
小島には二十人ほどいるようだけれど、戦えているのは護衛らしき人たちが十人ほど。しかし非戦闘員をかばいつつ、加えて炎と魔物に挟まれる形では劣勢は明らかだった。
「援護するよっ!」
「助かる!」
エマさんとフラウさんが魔物の包囲網に横から突撃した。会ったばかりだというのに護衛たちと息の合った連携を披露し、敵の包囲を少しずつ崩していく。だけど、それじゃ間に合わない。
「後ろ! 敵が壁を登ってきてるっ!」
私の叫びに、壁を背にしていた非戦闘員たちがギョッとして背後を見上げた。それに応えるように、壁の上端を水かきのついた手がしっかりと掴んだ。
ああっ、壁! 壁の上にっ!
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