第16話 幕間:アンシャル

 私の名はアンシャル。先日、成人を迎えたばかりの駆け出しの神官です。仕えるべき神の名はアマス様。愛と生命の女神様です。

 私の勤める教会は、フルーシャ領の北部、山の中にある小さな町・ブクハにあります。かつては炭鉱の町との中継点としてそれなりに栄えていたそうですが、炭鉱が閉鎖されてからは人々の往来も激減し、もはや辺境と呼んでも差し支えない町となっています。

 ですが、そんな辺境の教会に勤めることは、私たちアマスの信者にとってはとても名誉あることです。なぜかといえば、神話の時代にアマス様が降臨したという聖なる山・ユリーティアがすぐ近くにあるからです。しかし、北方から西方にかけて、隣国との国境でもある魔の山脈が連なっていて、強力な魔物が棲んでいます。そのため、ユリーティア山を魔物から守ろうと、教会は総力を結集して巨大な結界でユリーティア山を囲いました。ブクハの教会の神官たちは、その結界の管理・維持を担っているのです。これが名誉でなくてなんでしょうか。

 なので、ブクハの教会への移動を希望する者は非常に多く、実際に勤められる者はほんの一握りです。その一握りに入れたことを、アマス様に感謝します。



 その日、ブクハの教会に衝撃が走りました。結界が何者かに破壊されたのです。このままでは強力な魔物が聖地を穢してしまう。結界内で平和な生活を送っていた人々も危険にさらされる。教会はすぐに結界の修復に着手、私も仲間とともに結界の調査に向かいました。

 結界の性質上、弱い魔物がすり抜けることはまれにあります。えーと、あれです、目の粗い網です。大きな魚は逃がさないけれど、小さな魚は網目から逃げられるという。ユリーティア山の結界は範囲が広いため、網が荒い状態なのです。強力な魔物は通しませんが、弱い魔物が抜けてくることはありました。

 私たち教会の者が定期的に魔物を倒していましたし、ゴブリンやオークならば、大軍でもない限り村の自警団でも持ちこたえられます。ですが、そう、平和に慣れた村では、少しでも強い魔物が侵入したら壊滅の危険すらあるのです。急がねばなりません。

 私たちはある村を拠点とし、二人一組で結界の要石を調べに向かいました。要石が破壊されていたら、すぐにでも修復せねばなりません。

 私は上級神官のラクシャさんと一緒に担当の場所を回りました。幸いなことに、私たちの担当区域の要石は問題がありませんでした。

「妙ね」

「なにがでしょう?」

「要石が破壊されたならば、他の要石にも多少なりとも影響があるのですよ。ですが、要石に異常は見当たりません」

「それは……」

 知識としては知っていました。ですが、考えたくない事実です。どうやら今回の結界の異常は、要石が破壊されたのではなく、強力な魔の者が力ずくで結界を抜けた結果、破壊されたということになるのです。それはつまり、結界を破壊できるほど強力な魔物が、まだ聖なる山の付近にいるかもしれないということです。

 情報を共有するため、私たちは急いで拠点の村に戻ることにしました。ですが、知らず焦っていたのでしょう、谷を渡る時にラクシャさんが足を滑らせたのです。咄嗟に助けようと手を伸ばしたまではよかったものの、結局、私も一緒に川へと転落してしまいました。水面に叩きつけられた衝撃、そして秋の冷たい山水。急速に意識が遠くなっていきました。



 目が覚めた時、自分の置かれている状況がまったく理解できませんでした。真っ暗な室内、押さえつけられている手足、脱がされようとしている神官服。まったく意味がわかりません。私を押さえつけている男性二人は、濡れた服を脱がすのだと言います。溺れていたところを助けていただいたことは感謝しますし、濡れた服を脱ぐのもわかります。ですが、彼らが服を脱がそうとする目的が、まったく別の意味を持っているのは明白です。

「いやああぁぁぁっ、誰かあぁっ!」

 ここがどこか、わかりません。こんなピンチに助けが来るのは御伽話の中だけかもしれません。それでも叫ばずにはいられませんでした。アマス様、どうかお助けくださいっ!


 ドバアァンッ!


 なので、まるで私の願いに応えるかのように扉が吹き飛んだ時は驚きました。飛び込んできた影は瞬く間に男たちを入り口から外へと放り出してしまいました。

 ……王子様?

「大丈夫ですか?」

「え、あの……はい」

 助けに来てくれるなら白馬の王子様しかいません。ですが、聞こえてきたのは幼い、しかも女の子の声だったのです。それでも、自分の危機を救ってくれたその姿に、不覚にも胸が高鳴ってしまいました。

 彼女はラクシャさんの縄を解くよう告げると、男たちを追って外に出て行きます。とはいえ、入り口から射し込む月光だけでは縄を解くのは難しいです。なので私は魔法で聖なる光球を生み出しました。まさか彼女が、その光を浴びて悲鳴をあげるとは思いませんでしたが。

 ラクシャさんの縄を解きながら私は混乱しました。聖なる光でダメージを受けるのはアンデッドの特徴です。では、彼女はアンデッドなのでしょうか。あんな、人間のように会話ができるアンデッドなど、吸血鬼か、伝説の不死の王くらいしかいません。

 外から聞こえてくる会話からするに、彼女はあの男たちに殺され、なにかしらの方法で蘇ってきたようです。そうなると、やはり吸血鬼としか思えません。

 吸血鬼ならば、アマスの神官として倒さねばならない宿敵でもあります。

 ……でも、本当に吸血鬼なんでしょうか? 吸血鬼ならば私を助ける必要などありません。この場にいる全員の血を吸って殺し、気が向けばアンデッドとして配下に加えるだけです。

 ラクシャさんの縄を解くと、私は疑問に突き動かされるように外に出ました。彼女と話してみたくなったのです。

「待ってください」

 今まさに男たちに鉄槌を下そうとしていた彼女を、私は止めてしまった。復讐に水を差され、怒りを買うかと思いましたが、意外にも彼女は黙って私の言葉を待ってくれるようでした。

 ここでようやく、私は彼女の姿を確認することができました。歳のころは十歳になるかどうか。艶のある黒髪に、吸血鬼を思わせる真紅の瞳。毛皮をまとっただけの恰好で、不自然なまでに大きな胸が特徴でした。一見すれば人間のようですが、溢れんばかりの魔力は人を超えています。やはり吸血鬼なのでしょうか。

 私はつい、彼女の復讐を止めてしまった。法で裁くべきだとか、人に害を為したらアマスの神官として裁かねばならないとか、口にしながら、それらが言い訳だということを徐々に自覚していきます。ええ、私はただ、彼女に人殺しをしてほしくなかったのです。命の恩人である彼女が、たとえ罪人であろうと、殺すところを見たくなかっただけでした。

 どうしてこんなことを考えてしまったのか、自分でもよくわかりません。私を助けてくれた王子様然とした彼女のイメージを壊したくなかっただけなのかもしれません。なんて身勝手でしょう。

 ただ、彼女からは、積極的に二人を殺したいという意思は感じません。それが救いでした。

 結局、ラクシャさんが聖光の魔法で彼女を追い払ったため、彼女の意思をちゃんと確認できませんでした。しかし、最後に彼女が言い残した言葉。


『二人の処分は任せたからねっ! 逃がしたりしたら許さないからっ!』


 敵対してしまった私たちに処分を委ねるなど、吸血鬼では考えられません。彼女は吸血鬼ではないと言いました。一体何者なのか、私は知りたくてたまらなくなりました。



 その後、なんとか仲間と合流した私たちは、彼女に任された男二人を拘束したあと、数日かけて結界を修復しました。ラクシャさんからは、人類の敵である吸血鬼と呑気に会話をするなどアマス信者として失格だと説教されました。彼女が助けてくれたと言っても信じてもらえず、この件を神官長に報告すると言われました。

 確かに、私の行動はアマスの神官として問題だったと思います。ですが私には、あの子がどうしても吸血鬼とは思えないのです。

 結界の修復も終わり、ブクハに戻ろうとした時、急報が入りました。近くの村に巨大な妖狐が出現したというのです。おそらく、結界が消えた時に侵入してきたのでしょう。急ぎ進路を変更して件の村に向かったのですが、到着した時には解決していました。

 村人は、同族である狐の獣人を生贄にしたため、生贄を食べた妖狐が呪われて死んだと話していましたが、その生贄を連れて行った村長と数人の村人は真実を知っていました。なんと、正体不明の女の子が妖狐を倒したというのです。しかも、その特徴は、私を助けてくれたあの子と一致しています。

 その戦いぶりから、彼女は吸血鬼に間違いないと、仲間の意見は一致してしまいました。ひょっとすると結界を破壊したのも、その吸血鬼ではないか、とも。

 村長は生贄の女の子を彼女に譲ってしまったと言いました。ラクシャさんなどは、

「生贄を提供するなど吸血鬼を助ける行為です!」

 と言って村長を責めたてましたが、私はなんとなく、あの子は生贄にされた奴隷の女の子を殺したりしないだろうと、何の根拠もなく思っています。

 敵対するはずのアマスの神官を助け、生贄の少女を助ける。本当に彼女は何者なのでしょう。願わくば、また会いたいものです。

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