第15話 幕間:ヨナ

 私の名前はヨナ。十歳の狐の獣人です。お母さんと二人、ヴァイの村で暮らしてました。

 お母さんは普通の人間だったけれど、それを特に気にしたことなんてないよ。だってお母さんは、私をとっても愛してくれたもの。決して裕福ではない生活だったけれど、お母さんに愛されて私は幸せだった。

 ……お母さんが病気になるまでは。

 お母さんが働けなくなり、代わりに私が村の手伝いをすることになった。この村は特産品と呼べるものがなかったけれど、少し前から葡萄の生産が軌道に乗って、その葡萄を使ったワインがなかなかいい値段で売れてるみたい。村のためにも、お母さんのためにも、私は一生懸命に手伝いをした。

 そんな時、村に領主様が来ると聞いた。村のワインの評価が町で高いそうなので、視察に来るとのこと。村中が沸きたった。領主様が直々に視察に来るのはとても名誉なことなのだと、みんなが大喜びだ。ただ、話を聞いたお母さんだけが悲しそうな顔をしていたけれど。

 そして領主様が村に来た日、私の人生は変わってしまった。



 領主様が村に来た。村人総出で出迎えるべきなのに、お母さんは病にせっていて出迎えられない。そんなお母さんを、領主様は直々に見舞ってくれることになった。領主様が見舞ってくれるなんて、なんて光栄なのだろう。そう喜んだ私は、しかしすぐに奈落へと突き落とされた。お母さんを見た領主様の態度が豹変したのだ。

 悪鬼のごとき表情で、領主様はお母さんを何度も何度も罵倒した。その、あまりの恐ろしさに私は部屋の片隅で震えることしかできなかった。

 やがて領主様は、

「貴様らのような親子が、我が領内で暮らしているなど吐き気がする。早々に出ていくがいい」

 そう言い残して家を出て行ってしまった。

 私がお母さんに駆け寄ると、お母さんは泣きながら私に謝った。何度も何度も、「ごめんね」と繰り返した。どうしてお母さんが謝らなければいけないのか、私にはわからなかった。だから二人して、しばらく泣いてしまった。

 やがて泣き止んだお母さんが、昔の話をしてくれた。お母さんはなんと貴族の娘で、あの領主様と結婚していたんだって。そして、生まれたのが私。え、あの領主様が私のお父さんなの?

 だけど領主様は、私の誕生を喜んでくれなかった。

「人間の夫婦から獣人が生まれるはずがない。お前は私に内緒で不義理を働いたのだな。この売女がっ!」

 お母さんは神に誓って、領主様以外の男性と関係は持っていないと言う。だけど領主様は信じてくれなかった。それどころか、

「ならば獣と関係を持ったのだな。けがらわしい!」

 そう断言し、お母さんと生まれたばかりの私を追い出したという。

 実家に帰ることもできないお母さんは、この村にたどりついた。だけど、お母さんは貴族の娘。汗水流して働いたことなどない。それでも、私を育てるために、お母さんは必死に村の仕事を手伝った。だからお母さんの身体は、ボロボロになってしまったのだ。

 私は自分が許せなかった。私のためにお母さんが身体を壊し、病気になってしまったというならば、今度は私がお母さんのために汗を流すべきだ。だから私は、失礼とは思いつつも領主様に直談判に行った。

「領主様にお願いがあります」

「貴様のような獣の願いなど────」

「お母さんは病気で動けません。無理に動かせば死んでしまいます。薬があれば治るかもしれませんが、そんなお金はうちにはないのです。だからお願いです、私が頑張ってお金を稼げるようになるまで待ってください。お母さんがよくなれば、すぐにでも出て行きますから」

 実に虫のいいお願いだっただろう。だけど、私にできることは他に思いつかなかった。十二歳になるまでは、仕事らしい仕事もさせてもらえないのだから。

 だけど、領主様は少し考えてからこう言われた。

「すぐに薬の代金を稼ぐ方法があるが、やってみるか?」

「本当ですか! やります!」

「しかしなあ、お前は根性がなさそうだから無理かもしれんな」

「そんなことありません。お母さんのためなら私、頑張れます!」

「いいだろう。ならば明日、私と一緒に町に来るがいい」

「ありがとうございます!」

 こうして、急だけど私は村を出ることになった。そのことをお母さんに話すと、ひどく心配された。

「簡単に薬の代金を稼げる仕事なんて……。お願いよ、ヨナ。無茶はしないで」

「大丈夫だよ、お母さん。今度は私がお母さんを助ける番だからね。少し留守にしちゃうけど、薬を持って帰ってくるから」

 私の決意が固いと知ると、お母さんはとうとう折れた。

「決して、無茶だけはしないでね」

「わかってるよ、お母さん」

 その日は久しぶりに、お母さんと一緒に眠った。

 この時は、これがお母さんとの最後の夜になるなんて、考えもしなかった。

 こうして私は、領主様に奴隷として売られた……。



 奴隷となってしばらく。薬は村に届けられたと聞いてはいるけれど、不安ばかりが募って苦しい日々が続いた。

 お母さんは回復しただろうか。

 私が奴隷になったと知ったら、絶対に悲しむよね。

 だけど、一度でいいから村に帰りたい。お母さんに会いたい。

 そればかりを考える日々。決して帰れないとわかっているからこその憧れ。もはや諦めていた私は、ある日、村に戻れると聞いてもすぐには信じられなかった。

 奴隷商人の馬車に揺られ、村の入り口が見えてきてようやく、夢じゃないと理解した。すぐにでもお母さんに会いにいきたかったけれど、命令があるまで動くなと言われて動けなかった。

「今日から、この人がお前のご主人様だぞ」

「村長さん……」

 私のご主人様になるという人は村長さんだった。契約が終わると、村長さんは私を連れて、何人かの村人と一緒に村の外れへと連れ出した。もう夜だというのに村人が家の外にいて、私たちを見送る。その瞳には不安と恐怖があって、私は嫌な予感を覚えた。

 私たちは黙って葡萄畑に向かっていた。だけど沈黙に耐えきれなくなって、とうとう私は口を開いた。

「そんちょ……ご主人様、お母さんは元気になりましたか?」

 返事は、ない。月明かりに照らされた村長さんの顔色が優れないのは、月光のせいだけではないみたい。急激に不安が増した。

「ご主人さ────」

「亡くなったよ」

「え……」

「薬が届いたころには病状が悪化していてな。手遅れだったよ」

 私を見ず、できるだけ淡々と話そうとする村長さん。その言葉が嘘だとは思えなかった。

 お母さんが……死んだ。

 ガラガラと足元が崩れていくような喪失感があって、私はよろけてしまった。だけど、立てと命令されれば身体が勝手に立ち上がる。自分の身体が自分の意思とは無関係に動く。とても気持ち悪い状態だけど、私には好都合だった。

 勝手に歩くに任せ、頭の中はお母さんとの思い出で一杯になっていった。

 もう、抱きしめてもらえない。

 もう、名前を呼んでもらえない。

 もう、愛してると言ってもらえない。

 もう、キスもしてもらえない────。

 お母さんのいない世界。私、そんな世界で生きていても意味がないよね?

 悲しみに沈んでいるうちに葡萄畑に着いた。村長さんたちはその場に留まり、あとは私ひとりで中央まで行き、そこで座って動くなと命令された。

 進んでいくと、見慣れた葡萄畑が一変していた。沢山の葡萄の樹がなぎ倒され、そこに何体もの死体が転がっている。その臭いに吐き気を覚えたけれど、身体は勝手に進み、死体に囲まれるようにして座ってしまった。

 これから、なにが起きるのか。考えるより先に、答えが地響きとともに目の前に下りてきた。

 最初は山が落ちてきたかと思った。それほど大きかったのだ。だけど生臭い獣の臭いで、それが巨大な妖狐だと気づいた。その妖狐が、私に向かってその大きな口を開く。

「ひっ!?」

 ようやく、私は村に呼ばれた理由に気づいた。私はこの妖狐の生贄にされるためだけに、村に呼ばれたのだと。

 もう、お母さんはいない。ならば生きていても仕方がない。そう思っていたけれど、目の前に並ぶ刃のような牙に身体の震えが止まらない。股間に生温かいものが溢れてくる。


 死にたくない。


 ……ごめんなさい、お母さん。会いにいきたいけれど、私はまだ死にたくない。

 誰か……誰か助けてっ!

「てりゃああああっ!」

 え?

 心の声に応えるように、小さな影が妖狐にキックをしたのが見えた。着地したのは黒髪をなびかせた、私とさほど変わらない歳の女の子。村の子ではない。どうしてこんな場所にいるのだろう。

 問いかける暇もなく、女の子と妖狐の戦いは始まった。妖狐の攻撃を素早くかわしながら、女の子はなにかチャンスを待っている。やがて妖狐が炎を放った直後、女の子が妖狐の下に滑り込んだ。お腹を狙うのだと、すぐにわかった。だけど、突如として妖狐が全身に炎をまとい、女の子を蹴り飛ばしてしまった。

「いやあああぁぁっ!」

 大量の血をまき散らしながら女の子は転がっていく。明らかに致命傷だ。動けない女の子に向かって、妖狐は悠然と歩を進めていく。だけど突然、妖狐は身体をビクリと跳ねさせた。そして次の瞬間、大量の血を吐いて地に伏してしまった。ピクリとも動かなくなったのは、女の子ではなく妖狐の方だったのだ。

「大丈夫だった?」

「っ!?」

 一体、なにが起こったのか。混乱する私に向かって、倒れていたはずの女の子が手を差し出していた。妖狐の炎のせいだろうか、全身に火傷を負いながらも私を気遣ってくれている。

 助かった。そう理解した瞬間、私はその子に抱きついて泣き出してしまった。



「もういいの?」

「はい」

 村の外れ。私はお母さんのお墓にお別れを言いにきていた。新しいご主人様────マイ様が許可してくれたので。

 村長さんはマイ様に一泊を勧めたけれど、マイ様はそれを固辞。私もマイ様に従った。もう、この村は私の帰るべき場所ではないのだから。

「じゃあ、行こうか」

「はい」

 私とマイ様は村を離れ、山の中へと歩き出した。最後に一度だけ振り返り、私はお母さんの墓に向かって手を振った。

 さようなら、お母さん。私、マイ様と一緒にもう少しだけ生きてみるね。

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