消された遺跡

「冗談じゃない! なぜ埋め戻すのですか!」

 青年の抗議が空に響いたが、作業は淡々と進んでいった。青年の言葉に耳を傾ける者は誰もいなかった。蒸し暑い気候が容赦なく体力を奪っていく。配給された麦茶の中にあった氷は瞬く間にとけて、生ぬるくなっている。

 ここはベトナムの首都ハノイ。李朝、陳朝、黎朝、西山朝、阮朝と続いた王朝の遺跡発掘現場である。

 多くの人夫が駆り出されたこのプロジェクトでは、もっとも古い王朝である李朝の遺跡をめぐって、画期的な発見があったばかりであった。

「埋め戻し作業を………やめろ! この発見の意義が分からないのか?」

 まだ大学助教授である青年は、人夫の作業を強引に止めようと、その現場に降りたった。それでも、その埋め戻し作業が止まることはない。

 埋め戻し作業は、昨日になって突如政府が派遣してきた役人が命じたものだった。その役人の表情には、青年の行動をうっとおしく思う感情がありありと浮かんでいた。

 青年は作業が止まらないとみるや、遺跡の中に入り、そこにゴロリと横たわった。身を挺して遺跡を守る覚悟である。さすがに人夫の動かすショベルカーの動きが止まった。

 はあ、とため息をついて役人が下りてくる。

「止める気になりましたか?」

 青年は息せき切って尋ねる。だが、帰ってきたのは淡々とした声だった。

「貴方のその行動が国を危ぶませると気付かないのですか?」

 唐突な言葉に青年の顔に驚きが浮かんだ。だが、そんなことに頓着せず、役人は言葉を続けた。

「確かに貴方の発見は意義深いものかもしれません。ハノイの遺跡に、隣国────中国の強い影響が見れるというものはね。ですが、その発見は中国がハノイの領土保有を主張する理由に成り得るのです」

 政治的理由。それは、これまで青年が考えもしなかったものだった。首をふり、言葉を絞り出そうとするも、それは役人のさらなる言葉にかき消された。

「この世に政治に絡まないものはないのです。────それは考古学でも同様です。いや、考古学こそ、ある意味で最も政治的な研究分野なのかもしれない」

 その言葉と同時に、青年の身体は人夫によって強制的に移動させられた。李朝よりもさらに古代のハノイの遺跡は、土の中に再びその姿を没していった。

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