二回目の初鑑賞

 ちょうどヘッドフォンのような形状の装置だった。

 両耳にあたる部分には突起が付いており、隙間なく耳の中に入るようになっている。そこから伸びるアーチ状の部分は頭にあたる部分だ。この内側には見たこともない形状に加工された金属が取り付けられていた。

 外部刺激型脳内記憶消去装置────通称 忘却装置────は、私の手の中にあった。

 一生に一度しか使えないこの装置は、一般的には性暴力被害などによるトラウマを治療するために使われている。これから私も、まさに記憶を消去するために、忘却装置を使用する。

 すでに使用準備は完了しており、忘却装置は腕の中でブウウンと鈍い振動音を立てている。ガラス窓の向こうの別室に待機する医師は、片手を軽く上げて、いつでもそれが使用可能であることを知らせてくる。

 リノリウムの床はひんやりと冷たく、緊張に発熱する身体が静まっていく。ゴクリとつばを呑み、私はゆっくりと忘却装置を持ち上げた。


 私が忘却装置を使うことを希望したのは、一本の映画がきっかけだった。北野武監督による「ソナチネ」。ネットフリックスなどの動画配信サービスでは提供されておらず、ビデオレンタルしなければならない。

 突然の雨にうたれたあの日。私は、偶然見つけたビデオレンタル屋に軒を借りた。ゆうに二十分も経ったころだろうか。もうビデオなど何年も借りていないと、私は唐突に思い出し、自然に店内へと足を向けた。

 中に入ると、子どものころの記憶が蘇ってきた。ただ陳列されているだけのビデオパッケージを見るだけで心が躍ったあのころ。自分の知らない世界があるという単純な事実でさえ、心を昂らせる理由になれた。新しいビデオを手に取り、裏の説明を読む。そこには自分では構想もできないようなストーリーラインが描かれていた。

 そして今、数年ぶりに同じことをしている。

 パッケージを手に取り、裏面を読む。ネットを使えば、自分の好きな時に映画に触れることができる今だからこそ、店内でしか体験できないその行為は特別な何かに思えた。

 ふと、目線を上げる。そこには、串刺しになったナポレオンフィッシュの描かれたビデオが陳列されていた。残虐なような、シュールなような、どこか物悲しいような。────それが「ソナチネ」だった。


 耳元に近づく機械音が、私の意識を現在に引き戻した。

 まったく、他人から見れば至極くだらない理由に見えるのだろう。ガラス窓の向こうの医者にも、どこか投げやりな様子が見て取れる。

 だが、私にとっては、これ以上ない理由だった。もう一度、「ソナチネ」を初鑑賞したい。それが、忘却装置を使う理由だった。たとえあの雨の日からの記憶をなくしても、いつかどこかで「ソナチネ」に巡り合えると信じて。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る