地下に降りて

「最近、もっと早くなってきてませんか?」

 彼女の言葉ははっきりとは聞こえなかった。だが、口の動きや会話の流れから、その言葉を想像し、曖昧に返事をした。彼女の反応を見る限り、発した言葉と私が聞き取った言葉に齟齬はないようだった。

 空気が薄い。それが、言葉がはっきりと聞こえない理由だった。

 大地震の影響で地殻に激変が起きた。地球上の大地はどれも大なり小なり動き続け、一瞬たりとて止まることはない。大地が安定していると感じるのは、あくまで人間が感じる範囲での話だった。とにかくその大地が、数年前、突如隆起し始めた。それも一年間に数十メートルというスピードで。

 その結果、何が発生したか。

 まず、これまでの土地売買の常識が完全に変化した。それまで世田谷区のように水害の少ない地域は、長く住み続ける地域として愛されてきたが、いかに標高の低い土地を購入するかが、不動産売買の決め手となった。

 一年間に数十メートル大地が隆起すれば、自分が死ぬ頃には購入した土地の標高が、富士山の半合目ほどまで高くなっている可能性がある。ただでさえ階段の上り下りすら難儀する老人だ。そのような標高の自宅では、まず住み続けることはできないだろう。

 結果、タワーマンションのように、金を持っている人間が地上から見て高い場所に住み、そうでないものは地上スレスレに住むというそれまでの常識は一変した。今や金持ちは、いかに標高に低い土地を買うかに躍起になっていた。

 まあ、そんなことは金のない貧乏学生には関係のない話である。今、私にとっての目下最大の悩みと言えば、彼女とのセックスの時にすぐ息切れしてしまうことと、愛の言葉が聞こえないことくらいだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る