幸せな死に方

 身体こそジャンパーで寒さから守られているが、顔はしんしんたる外気にさらされている。順番待ちに疲れて、ふうと息を吐くと、たちまち呼気は白くなった。

 除夜の鐘が、初詣の人々に満ちる境内に響く。ここぞとばかりに出店する屋台は、小腹がすいた人々でにぎわっている。屋台の赤い提灯が並ぶ様は、空に沙羅双樹が浮かぶようであった。

 ようやく参拝の順番が回ってきた。

「疲れてないかい?」

 隣に立つ娘はまだ高校生になったばかりだ。私のような中年とは体力が違うだろうに、思わず心配する言葉が出てくるのは、親の性なのだろうか。

「大丈夫だよ。ありがとう」娘はにこりと笑っていった。

 私と妻の間には子供ができなかった。その原因が私の身体にあったと分かった時、私が感じたのは安堵だった。

 そんな歪んだ心の内とは別として、妻と話し合って養子をもらった。血のつながりはなかったが、子どもを抱き、育てるということがこれほど喜びに満ちたものだと、その時初めて知った。

 幸福の時は長くは続かなかった。娘を貰った数年後、妻はがんで他界した。それから、ずっと一人で娘を育ててきた。

 娘が年頃になるまで、あっと言う間だったような気がする。そして、もうじき訪れる来年4月から娘は大学生になる。家を出て上京する。

「お父さん、早く五円玉出して」

 横から聞こえた声で急に現実に戻された。もう目の前に賽銭箱があった。後ろの参拝客からは苛立つような舌打ちが聞こえる。

 慌てて財布を取り出し、参拝を終えた。

 自宅に戻って熱燗を舐めることを想像しながら、大通りをゆっくりと歩く。自宅までの帰路は、疲れからか長く感じた。

「何をお願いしたの?」

「ん? もうすぐ大学生だろ。大学でも元気でやれるようにとね」

「その心配はいらないわよ」娘は可笑しそうに言った。

「お前は何をお願いしたんだい?」

「家族みーんな一緒に入れますようにって」

「みんな一緒か。いいことだね」少しばかりの違和感を感じつつ、私はそう答えた。

「ねえ、知ってる? 死んだ時に一緒にいた人って、来世でも一緒にいれるんだって」娘は無邪気に笑い、その手を開いた。そこには、亡き妻の写真とお骨が握られていた。

 私は妻の遺骨から目を離すことができなかった。いや、娘の顔を見ることに恐怖を覚えた。娘が何を言っているのか理解できなかったが、娘の中に歪みが存在していることだけは、強烈に伝わってきた。

「来世では、今度こそ家族一緒にいようね」

 娘の背後にトラックのライトが輝くのが見えた。それは、こちらに真っすぐ突っ込んできた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る