港町のマリア
丁寧に洗った白いベッドシーツを干すと、マリアはベランダに出て、大きく伸びをした。顔をあげると、空と海を切り分ける水平線が、緩やかな弧を描きながらどこまでも伸びているのが見えた。
頬にあたる柔らかな日差しで春の訪れに気付き、カモメが浮かぶ青空に新しい風を感じる。
今年も春がきた。異国から吹く風が、船乗りたちを港町へと連れてくるこの季節が。
街の男たちは商いの熱気にあふれ、女たちは船乗りたちが運んでくる舶来品を心待ちにしている。マリアはそんな街の様子を見おろしていたが、しばらくするとまた水平線に目を向け、「今年こそは来るのかしらね……」と呟いた。
目が合った瞬間、すぐに好みの男だと感じた。太い首、厚い胸板、筋張った腕。そして、不釣り合いに優しそうな目元。
三年前のあの夜、酒場で春を売っていたマリアは、彼の落ち着いたバリトンの声に耳を惹かれ、初めて自分から客を選んだ。
夜すがら幾度も満たされ、朝起きると、ベッドには温もりだけが残されていた。男の乗った船は、朝のまだ早い時刻に遠い異国へと流れていった。
それからマリアは、客を一切取らなくなった。あの夜から毎晩、思い出だけに抱かれている。商売仲間からは、うぶだ、おぼこだと笑い飛ばされたが、マリアは気にしなかった。ただ、生活のために増やした給仕の仕事は、マリアの手から潤いと若さを奪っていった。
「こんな手じゃあ、会えたとしても、もう抱いてもらえないかもね」
あかぎれとひび割れの増えた手を見て、マリアは自嘲げに笑った。
ふと、暖かな風が髪を揺らし、青空に浮かぶカモメが一段と高く飛んで、水平線の向こうへとふわり消えていった。そして、その没した先からは、やがて大きなマストがのぼってくるのが見えた。わあっ、と港町は大きな歓声に包まれた。
「まったく、あの船に乗っていればいいんだけどねぇ」
歓声よりもはやく、港の欄干へとマリアは走り出していた。名前さえ聞いていなかった彼の姿を、あの船の中に見つけるために。
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