孕ませてください
「……孕ませてください」
月光も届かぬ深い山中。深夜に私の
周りを見渡すも、暗闇に人の気配はない。この女は一人でここに来たようだ。庵に招き入れ、囲炉裏の傍らに座るよう促すと、女は従順にそれに従った。
何故ここに来た。その問いに、女は訥々と語り始めた。
「私はここから山二ツ越えた東京市の出でございます。今から2年前までは、父と母、そして妹と暮らしておりました。けっして裕福ではありませんでしたが、幸せでございました」
女の言葉は、私の興味を引いた。
「家族は亡くなられたのか?」
「父も母も、幼い妹さえも殺されました。官憲の手によって」
「官憲も
「何もしておりません。ただ、徴兵を忌避しただけにございます。父は生来より
ようやく、この女が私のもとを訪れた理由を察した。なるほど、そうであれば確かにこの女は孕みたいと思っているのであろう。だが、
「そうであれば、貴方も基督教徒であろう。無用の流血は忌むべきではないのか」
「どれほどの篤信も、官憲の弾圧の前には無意味でした。もはや今は、信仰に価値はないと思うに至りました」
「どこで私を知った?」
「父が生前、井上日召和尚と知己を得ておりますれば」
「なぜ私を選んだ?」
「貴方が井上和尚より
「そこまで知っているのであれば、覚悟は出来ていると言うことか」
女は深く頷くと、差し出された茶を一口にすすり、返事をした。それは、洞窟から響くような仄暗い響きを持つ声であった。
―――故に、私に狂気を。無情に万人を害するための狂気を、
「孕ませてください」
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