91.ヴラゴが襲撃された、だと!?

 差し込む朝日が昇って眩しさが軽減された頃、飛び込んできたフェンリルが入り口で咆哮を上げた。その響きに、オレは言葉を失う。


 ――ヴラゴが襲撃された、だと!?


 カインは叫んだ後、動けないオレの腕を噛んで引っ張った。動け、と態度で示されて視線を彷徨わせる。何が起きた? 何が起きているんだよ!


「恩人だろ! いま動かずにいつ恩を返すんだ」


 叫んだカインが離した腕に滲んだ血を、無言でエイシェットが舐める。ドラゴンの口はオレの腕を含んで、器用に舌を這わせた。治癒ではないが、慈しむ気持ちは伝わる。唇を噛み締め、オレはエイシェットの鼻先を撫でた。心得た様子で唸る彼女を伴って、洞窟の出口へ向かう。


「ヴラゴのおっさんの容体は?」


「意識が戻らないけど、理由が分かんない。今、アベルが蝙蝠達を抑えてる」


 蝙蝠は吸血種の意味だろう。彼らは敵を知ってるのか?


「どこで襲われたんだ」


「人間が忍び込んで、幼獣を狩ろうとしたところで戦いになった」


 くそっ、また人間か。怒りで頭が真っ白になる。思考能力が消えて、ただ憎い気持ちが湧き上がった。オレから故郷も家族も友人も奪い、命すら取り上げようとしたくせに。まだ奪う気か!


「エイシェット、魔王城まで飛んでくれ」


 ぐるる、喉を鳴らして了承を告げる彼女が先に外へ飛び出す。革の手綱を咥えた彼女が旋回するのを確認し、オレは無造作に飛び降りた。洞窟の下は崖になっており、かろうじて細い道が残るだけ。フェンリルのカインが後を追って飛んだ。彼は自らの体に風の魔法を纏わせ、ゆっくり降下する。


 真っ直ぐに落ちるオレの腹がぞわりと痺れ、直後にエイシェットがオレを掴んだ。爪を器用に使って放り投げ、背中に乗せ直す。


「悪い、先に行くぞ! カイン」


 返事はないが、それこそが答えだろう。力強く羽を広げたドラゴンの背で、オレは面倒見がいい吸血種の長を思い浮かべる。口は悪いが、邪険に扱われることはなかった。一族を守る当主の自覚があり、無茶はしない。危険を察知して、退くこともできる男だった。面目云々で突撃させる人間とは大違いだ。


 幼獣が狙われたと言った。だから他種族でも見捨てられず、つい助けに入ったのだろう。そこで無茶をして……あれ? 変だな。何かがおかしい。あのヴラゴが何の策も勝算もなく、戦うだろうか。それに昼間でも人間より圧倒的に強い吸血種が、遅れを取った?


 オレを叩きのめす男だぞ。何かを見落としている。それが分からない。近づく魔王城の周辺から、黒い煙が立ち上っているのが見えた。


 かっと頭に血が上る。考えている場合じゃない。すべては後だ。まず人間を排除しなければならない。魔法を使ってでも……魔力を消費しても必ず助ける。そうじゃなけりゃ、イヴリースに合わせる顔がないだろ。


 魔王は最期にオレの手を握った。あの時の震えと温もりが忘れられない。徐々に消えていく体温と、動かなくなり硬くなる手を握り続けた。彼が望んだのは、安全な地で生き抜く魔族の姿だ。人間の滅亡じゃない。だけど、叶えるには人間が邪魔で……。


「まずは入り込んだネズミの駆除だ。手伝ってくれ」


 ぐぁあ、大きな声で同意するエイシェットの背を抱きしめるように伏せた。突撃するドラゴンは加速していく。この温もりは奪わせない。幼獣も渡さない。ヴラゴを助ける。入り込んだ人間は駆除だ。優先順位を確認したオレは、覚悟を決めて魔王城の塔へ飛び降りた。

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