56.懐かしさを絶望して返そう

 偵察に忍び込んだ町は大きかった。都市と呼んで差し支えない。カインとアベルは森で別れた。もう魔王城まで戻った頃か。


「サクヤ、あれ」


 手を繋いだエイシェットが、無邪気に店を指差す。屋台の形で出店している路上の飲食店だった。串に刺した肉を炙るたび、脂の焦げる良い匂いがする。釣られて何人かが購入していた。


「食べたいの、か?」


「うん」


 エイシェットは無邪気に笑う。まるで人間の女の子のようだった。人化して桃色のワンピースを着た彼女は、銀髪をツインテールにしている。赤いリボンを結び、にこにこと笑った。


 オレは顔バレを防ぐため、ローブを羽織っている。エルフに貰った薬で髪の色は茶色にしたが、それ以外はそのままだった。胡散臭い黒ローブの手を引く愛らしい女の子――この組み合わせが荒くれ者達を惹きつけた。


「ようよう、兄ちゃん。不相応に可愛い子を連れてるじゃねえか」


 可愛い子の部分に異論はない。だが騒動が起こせないってのに、面倒くせぇ。舌打ちしたい気分で無言を貫く。裏通りへ連れ込まれたら、その時点で殴り倒せばいいか。オレの考えを知らないエイシェットは、代わりに倒せばいいと思ったようだ。


「やだ、近づくな」


 最低限の言葉で拒否を示した。にやにや笑いながら伸ばされた手を捻り、ごきんと音をさせてへし折る。


「っ! ダメだ、シェリー」


 偽名としてつけた名に、彼女は反応しなかった。自分に対する制止だと気付かぬまま、足払いを掛ける。転がった男はまだ腕を掴まれたままで、凄まじい悲鳴を上げながら倒れた。足はくの字に曲がり、折れた腕は開放骨折の重傷だった。


「な、なんだ!?」


「おい、お前」


 何しやがったと叫んで襲い掛かる彼らに、オレは溜め息を吐いた。やっぱりエイシェットに断ればよかったんだ。大きな目を潤ませて「一緒に行きたい」と言われたからって、絆されたオレが悪かった。反省しながら、飛んできた拳を掴んで砕く。耳障りな悲鳴を撒き散らす男を放り出し、エイシェットの手を掴んで叫んだ。


「逃げるぞ、エイシェット」


「逃げる、やだ」


 言葉の選択を間違えた。行くぞにすればよかったのに。二度目の後悔が胸を過ぎる。テコでも動かないと示すように、彼女の足下の煉瓦道にヒビが入った。オレが全力で引っ張っても、動かない。


「はぁ、わかった。逃げないから好きにしていい」


 手を離すと慌てて掴んでくる。首を傾げたオレの前で、仲間を引っ張ったならず者が逃げていった。エイシェットは名残惜しそうに彼らを見送る。獲物じゃないんだ、諦めてくれ。偵察だけのつもりなのに、騒動が大きくなりすぎた。笛を吹いて走ってくる衛兵に捕まらないよう、今度こそ逃げるとするか。


「エイシェット、おいで」


 嬉しそうに抱きついた彼女を背負い、オレは全力で走った。閉められた城門の前に大地の透明な足場を作る。空中を走るようにして都の塀の頂上に立ち、一瞬だけ振り返った。


 懐かしい。人の気配と営み、賑やかな光景……口角が持ち上がった。首に回されたエイシェットの手に力が入る。わかってるさ、あれは魔族にとって敵だ。騒ぎながら砦に向かう衛兵を横目に、オレは飛び降りた。途中で風を使い、落下の衝撃を和らげる。


 ――この町を絶望の始まりにしよう。あの日の苦しみをそっくり、返してやるよ。

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