第22話 ついていかない感情
「あの、スリーさんは仕事中じゃないの?」
「ガラと交代したから仕事はないよ」
奏の隣を歩いているスリーは落ち着いたのか穏やかになっている。奏はようやく安堵できた。
「目は口程に物を言う」という諺があるが、スリーの視線は本当に人を殺しそうな怖さがあった。普段は表情の変わらない人が怒ると、あんなに恐ろしいとは思いもよらなかった。
「じゃあ、予定があるの?」
「ないけど」
「わざわざ交代したのに?」
「カナデ様と会ったのに仕事なんかしないよ」
スリーの言い分に驚く。本気で言っているのだろうか。
「それって私のせいで仕事やめたみたいに聞こえる……」
「そうだけど」
「え! なんで!?」
「そんな恥ずかしい理由言えないよ」
奏は未知の生き物を相手にしている気がしてきた。こんなにも理解できない会話をしたことが今まであっただろうか。
「知りたい?」
「いえ、いいです!」
間髪入れず奏は断る。絶対ろくなことにならないと本能が訴えている。
「ガラはいまごろ団長になにされているかな」
スリーの呟きに奏は戦慄する。怒りは継続中のようだ。
「それにしても久しぶりだね。カナデ様はどこへ行くところだったの?」
「訓練でもしようかなって」
誰もいない部屋に一人でいることが退屈だったわけだが、それをスリーにいうには憚られた。
「彼はまだ帰ってないのに?」
「えーと、ちょっと身体を動かしたくて」
身体がなまっているのは本当だ。けれど、その言い訳がスリーに見透かされているようで奏は身の置き場がなかった。
「そういえばリゼットは?」
「忙しいらしくて」
「もしかしなくてもずっと一人?」
「えーと、さっきまでは王様と一緒だったけど」
スリーの口調がだんだんと険しくなっていく。奏はしどろもどろに答える。
「ちょっと話そうか、カナデ様?」
「はい」
奏に頷く以外の選択肢はなかった。
中庭はやはり人気がなかった。人気スポットではないことは確かだが、もう少し人がいても罰が当たらないだろうと奏は虚ろな瞳で眺める。
目の前いるスリーは人の話など全く聞いてない。開けた空間にいるはずなのに狭い部屋にでも押し込められているような息苦しさを奏は感じていた。
「近いです。離れてください」
「なぜ?」
スリーとの距離感がおかしい。恋人でもないのに近すぎる。
「リゼットに拘束されたいですか?」
「それは困るね。でも離れたくない」
「セクハラはやめてください」
「ねぇ、どうして敬語なの?」
埒が明かない。奏はこうなる前の経緯を思い出して途方に暮れた。どうして捕食されそうな獲物状態になったのか見当がつかない。
一人でいた理由を問われて奏は素直に暴露した。リゼットの特訓宣言からはじまってゼクスと密着してのダンスまで、それもう細かいところまで洗いざらい告白した。
最初は当たり障りのない部分だけはしょって話していた奏だったが、話しているうちにスリーの声のトーンが下がっていくことに気づいて怖くなった。嘘をついたら何をされるかわからない怖さが奏の口を突き動かして、最後には全てをスリーに話してしまっていた。
ゼクスのように分かり易い怖さならいい。けれど、スリーは感情が表情にあらわれないから何を考えているかわからなくて、得体のしれない怖さがあるのだ。
だから、恐怖に駆られてベラベラと喋ってしまったのだが、スリーがどの辺りを気にしているのか全くわからない。スリーの琴線に触れたらしいということはわかるのだが……。
そして現在、まるで恋人同士であるかのような近い距離で、撫でられるなどのセクハラをスリーから受けている。
「スリーさん、どうしちゃったの?」
「……王ばかりずるいよ」
やっとまともな返事を返してくれたスリーだが、言っていることは微妙だ。
「俺は我慢していたのに! ガラは団長に差し出したからいいけど、王とリゼットには何もできない!」
怖い本音だ。ゼクスが王ではなく、リゼットが普通の娘さんだったら、何をしようというのか。想像してはダメな気がする。
そしてガラは哀れすぎる。
「王様とリゼットには逆らえないよね」
「そうだね。どうすればいいと思う?」
聞かれても困る。スリーは途方に暮れているように見えるが、協力できるはずがない。
「諦めが肝心だと思う」
あの二人をどうこうできるはずがない。悩むだけ無駄のように思う。
「仕方ないね。埋め合わせはカナデ様にしてもらおうかな」
「どうしてそうなるの!?」
「カナデ様は意外と迂闊だよね。王はともかく、ガラに付け入るスキなんて与えてどうしたいの?」
何故かスリーに責められた。
「あれは社交辞令じゃない!」
「あいつが社交辞令? 冗談でしょ」
スリーが吐き捨てるように言った。奏はその言い方を理不尽に思う。
奏が誰と会おうがどこで何をしようが、スリーには関係ないことだ。責められる言われはない。
「食事くらい誰と行ってもいいでしょ!」
「ガラと行くなんて許さないよ」
「スリーさんには関係ないよ!」
「ああ、関係ないね。思い出してよかったよ」
スリーの声から抑揚が消えた。
無表情だが口調の柔らかいスリーはどこか人当たりがよく感じる。それが今は感じられない。無表情と相まって人間味がごっそりと抜け落ちている。
奏はゴクリと唾を飲み込む。売り言葉に買い言葉でひどいことを言ってしまった。今すぐに謝りたいのに言葉がでてこない。
ゆっくりと奏から離れようとするスリーの態度に泣きそうになる。
「もう会わないほうがいいね……」
スリーの言葉に奏はビクリと身体を強張らせた。頭が真っ白になって何も考えられない。
(泣かせたくなかったな)
スリーは静かに涙を流す奏の姿に胸が苦しくてたまらなかった。
初めて奏の涙を見てからずっと泣かせたくないと思っていた。それがこの体たらくだ。
自分でも奏に近づきたいのか、近づきたくないのか定まらない。挙句にゼクスやガラに嫉妬して奏を泣かせる。本当にどうしようもない。
(カナデ様が……)
スリーはあり得ない想像をする自分に呆れ果てる。普通に出会っていればなんだというのだろう。異世界から奏を召喚しなければ、この出会いさえなかったというのに。
「スリーさん」
奏の呼びかけにスリーは反応したが言葉は返さなかった。奏は泣いていると気づかないままスリーを見つめてくる。
スリーは瞬きも忘れて食い入るように見つめてくる奏に近づいて行く。そして掠めるように唇を奪った。
スリーと別れてずいぶん経ってから、奏は自分が泣いていることに気づいた。
夜遅くになってリゼットが帰るまで泣き続けて、異常とは思ったが制御が効かなかった。
驚いたリゼットが温めた濡れタオルを用意してくれた。理由も聞かず静かに寄り添ってくれるリゼットの存在が、この時ほど嬉しかったことはない。
そうして気がつけば、朝になっていた。
「カナデ様、おはようございます」
「おはよう」
「目元は腫れていないようでよかったです」
「うん」
ぼんやりとした頭で奏は機械的に受け答えをする。
「……カナデ様。あなたを泣かせた犯人を抹殺してきてもいいでしょうか?」
リゼットが奏の許可を求めてくる。リゼットなら何も言わずに実行に移してもおかしくないのに珍しい反応だ。
「抹殺は困るかな。喧嘩別れしただけだから……」
奏は強がってみせる。リゼットはどう言葉かけていいかわからない、というような顔をしている。
「ねぇリゼット。私がいなくなっても悲しまないでね」
「カナデ様? どうしてそんなことを……」
潮時かも知れない。まだ覚悟は決まらないが、別れの辛さは今なら耐えられる気がする。
「帰られるつもりですか!?」
「そうなるかも知れない」
「嫌です!!」
リゼットの表情が歪んだ。悲しませたいわけじゃない。でも、どうしようもない。
「ごめんね。でも辛すぎるから」
「やはり抹殺します!!」
「喧嘩したからじゃないよ」
スリーと喧嘩別れしてしまったことは悲しいけれど、それだけが辛いわけではなかった。
奏はずっと誤魔化し続けているけれど、この世界に留まっている限り痛みが和らぐことはない。大切な人が増えるほどに痛みは増していく一方だ。
「ゼクス様は許しませんよ」
「そこが問題だよね」
本当はゼクスの許可は必要ない。けれど、帰るならけじめは必要だろう。
「監禁されますよ」
「それは回避したいな」
リゼットの説得にも心は揺るがない。
「本当に帰ってしまうのですか?」
「すぐにじゃないよ」
いつかは帰る。それが今すぐではないというだけだ。
しかし、リゼットがそれで納得するはずはなかった。
「そんなこと許しません! カナデ様なんて監禁されればいいのです!!」
リゼットはそう叫んで部屋を飛び出した。奏はそれを黙って見送るほかなかった。
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