第20話 イケメンはこれだから……
ゼクスの荒療治が功をなしたのか、奏は徐々に距離感に慣れはじめた。ほとんど慣れされられたといった具合だが、意外と何とかなるものだ。
「王様、疲れたよ」
「まだはじめてもいないのに何を言っている」
そうダンスの訓練はまだはじめてはいなかった。にも関わらず、何もせずにこうしてゼクスとくっついたまま一体どれだけの時間が経過したのだろうか。
「いい加減離れて欲しい」という訴えは、ことごとくゼクスに却下され続けて、今に至る。
奏が仰け反ると、腰に添えられていたゼクスの手が背中に移動して、ぐっと引き寄せられる。少しでも逃げを打つと身体が引き寄せられるといった攻防が数度繰り返されている。
そのたびに「慣れるまではこのままだ」と、ゼクスに脅される始末だ。
奏は肉体的な疲労よりは精神的に疲れていた。今日はもう終わりにして欲しい。
「……王様の瞳って綺麗だよね」
近い距離にいて何をするでもない。自然と目線はゼクスに集中してしまう。
奏は紫色のゼクスの瞳をまじまじと見つめる。見たこともないような深い紫色の瞳は、吸い込まれそうに美しい。奏は宝石を思わせる瞳に見入った。
「それは俺を口説いているのか?」
「え?」
「ああ、意味がわからないか。瞳を褒めるのは口説きの常套句だぞ」
奏はニヤリと笑うゼクスに怯む。
確かに容姿を褒めたのだから口説いていると思われても仕方ないかもいれないが、ゼクスの意味深な笑いはそれだけではないようだった。
「どう口説いていることになるの?」
「女が男を褒める場合は、『あなたの瞳に捕らわれたい』『私のすべてを奪って』といった感じだな。逆になると『あなたしか見えない』『あなたの瞳に映るすべてを奪いたい』『俺だけを見ていろ』という感じになるな」
「二度と王様は褒めない」
奏はフンと鼻息を荒くしてゼクスから顔を背けた。
「そういうな。カナデの瞳も美しいぞ」
「ちなみにそれはどういう意味?」
「『俺だけを見ていろ』だな」
奏にはゼクスが本気で口説いているようには思えない。何故ならゼクスの口元が微妙に笑っていたからだ。
「冗談はさておき、そろそろ特訓をはじめるぞ」
「ダンスなんてしたことないのに」
奏は生まれてこのかたダンスをしたことが一度もなかった。覚えている限りでは、学校の体育でやらされた創作ダンスくらいだったが、それとパーティーのダンスを同じに考えるのは無理がある。
「なにもいきなり複雑なステップを覚えろとはいわない。俺の動きに合わせろ。それでなんとかなる」
「そんなのでいいの?」
「取り敢えずは身体で感覚を覚えろ。それからステップを覚えていけばいい」
「よろしくお願いします」
自信はまったくなかったが、ゼクスに任せるしかないだろう。
「いい加減慣れたと思ったが?」
奏自身そう思っていたが、ゼクスが動きはじめるとそれが間違った認識であると思い知らされた。動くたびにゼクスの身体が触れるので意識せずにはいられない。
ダンスに慣れていないとわかっているのに、ゼクスは意地悪く、奏を翻弄する。
奏はステップすらままならない状態で身体を振り回される。足を踏まないように注意することが難しい。いっそのこと踏んでやろうか、と奏が思い始めた時、小さな揺れによって奏の身体が傾いだ。
「え? 地震?」
「そのようだ」
ゼクスは奏の身体を強く抱きしめた。揺れはすぐに収まったが、ゼクスの表情は硬い。
「悪いが続きは明日だ」
ゼクスが離れていく。奏はゼクスの緊迫した雰囲気に気圧されて、見送るほかなかった。
「約束を守れなくて悪かったな」
数日してから奏のもとに訪れたゼクスは、疲れているようだった。顔色が冴えない。
「王様、無理しないでよ」
「時間がない」
「ダンスなら別の人に習うから!」
「ダメだ」
「どうして!?」
「……譲りたくない」
奏は呆れ果てた。疲れていることを隠せていない人が何を言っているのか。
「頑固」
「お前は俺を癒そうと思わないのか?」
「ダンスなんて余計疲れるだけでしょ!」
「どうせ何をしても疲れる」
ゼクスは投げやりな態度だ。もう疲れていることを隠す気がない。
「王様、ちゃんと寝ている?」
「寝ている」
それは嘘だ。ゼクスは自己管理をしていない。奏はゼクスがいつ倒れるか気が気では無かった。
「今日は何もしない!」
「意地悪を言うな」
「王様! こっち来て!」
奏はゼクスの腕をとると、強引にソファまで連れてくる。有無を言わさず突き飛ばす。
ソファに突き飛ばされたゼクスは驚いて半身を起こすが、奏は伸し掛かって抵抗をさせない。
「随分と積極的だな」
「王様はこれくらいしないと言うことなんて聞かないでしょ!」
ゼクスは揶揄ってきたが真顔で返事を返す。奏は少し怒っていた。
「ここで休めばいいのか?」
「そう。分かっているならいいよ」
奏はゼクスの答えに満足すると身体を起こす。ゼクスの上からどこうとするが腰をがっちりとゼクスに掴まれて動けなくなる。
「ここまでして俺だけ寝ろというのか?」
「邪魔になると思うよ」
「責任をとれ」
「お、おかしな言い方しないでよ!」
まるでゼクスを襲ったような言い方をされて奏は焦る。痴女認定はごめんだ。
「こうしていたら寝られる気がする」
奏は抵抗したが、ゼクスに抱きかかえられるようにしてソファに押し倒される。ゼクスは奏を抱き枕にして眼を閉じる。
「王様は私の心臓を止めるつもりでしょ!」
憤慨する奏の声が聞こえていないのか、ゼクスからの返答はなかった。
「カナデ様。ゼクス様。起きてください」
リゼットの呼びかけに奏は、ぼんやりとした意識が浮上する。近くで温かい何かがもぞもぞと動くと少しずつ覚醒しはじめるが、なかなか身体は動こうとしてくれない。
起きようと思う心とは裏腹に、近くの温もりが手放しがたくて、奏はその温もりにしがみつく。
「これはゼクス様を称賛すべきか、カナデ様に感謝すべきか、迷う状況ですね」
「寝過ごしたか?」
「ゼクス様、おはようございます。日は暮れておりませんから大丈夫ですよ」
「もうそんな時間か」
ゼクスが首を回して欠伸をする。リゼットが微笑ましそうに奏の寝顔に視線を向ける。
「残念ですが、カナデ様を解放してください」
「離れないのはカナデだが?」
奏はゼクスにくっついて幸せそうな寝顔を披露中だ。
「まんざらでもない顔をしていますよ?」
「気持ちよく眠れたからな」
「ダンスの成果はどうですか?」
「カナデにいつ足を踏み砕かれるか心配だな」
ゼクスはダンスの成果をリゼットに報告しているようで、奏のダンスセンスの無さを扱き下ろしていた。
「……王様が振り回すからでしょ」
奏は二人の会話中もまどろんではいたが意識はあった。なんとなく会話を聞いていただけだったが、ゼクスの意地悪な言葉に思わず反論してしまう。
「で、カナデはいつまで俺にしがみついている気だ?」
「あ!」
奏はゼクスの腰の当たりに無意識にしがみついていた。指摘されてギョッとする。ゼクスに慣れるために強制的に触れあっていたが、ここまで慣れるのはどうなのか。
「王様は抱き枕!」
「なんの言い訳だ。押し倒しただろうが」
恥ずかしさを紛らわすように言えば、ゼクスが気怠げに髪を掻き上げ、リゼットが喜びそうな一部間違った解釈を口にする。
案の定、リゼットが歓喜の声をあげ、奏に迫る。
「カナデ様、やりますね!」
「リゼット! 誤解だよ!」
奏は顔を赤くして狼狽える。
「少し睡眠不足で、俺がカナデを抱き枕にした」
ゼクスが笑いながらも訂正をいれてくれるが、奏は憤死しそうになる。
「微笑ましいですね」
リゼットは笑顔だ。誤解でもなんでもいいらしい。
「それにしても久しぶりだな、リゼット」
「それほどでもないですよ」
「で、そっちの成果は?」
「何の話でしょうか」
リゼットはとぼけるつもりらしい。数日も奏をゼクスに任せっきりで一体どこで何をしているやら。
「リゼットはまだ忙しいの?」
「ゼクス様が至らなくてすみません」
神妙な顔でリゼットがゼクスに責任をなすりつける。
「俺に責任を押し付けるな」
「臨時侍女ですよね」
「兼任した覚えはない」
リゼットとの会話に疲れたのか、ゼクスがこめかみを揉んでいる。少しでもゼクスに休息を与えられたと思ったのに、これでは台無しだ。
「まあいい。あと数日はダンスの特訓だからな」
「ええー! まだ続けるの?」
ゼクスはしつこくダンスのクオリティを追求しようとする。奏はうんざりとして顔をしかめる。
「ステップを覚えてない」
「まだ、そんなに初期段階ですか?」
リゼットの声は呆れている。二人はそろって肩を竦めた。リゼットの思うように事が運ぶわけはない。
「カナデが俺から逃げるからだ」
「王様が強引にするから!」
奏は自分のせいにされて憤慨する。
「ゼクス様はカナデ様に何をしたのですか?」
「ちょっとした荒療治だ。成果はあった」
「そうですね! カナデ様があんな風にゼクス様にしがみつくとは思ってもみませんでした!」
「やめてよ。恥ずかしいでしょ!」
ゼクスの近くにいるのがなんだか心地いいとか、離れがたいとか、奏はいつの間にかそんな気持ちになっていた。人間慣れの生き物とはいえ恐ろしい。
「ゼクス様にならカナデ様を取られてもいいです」
「リゼット、何を言い出すの!?」
「それなら貰おう」
「王様まで!?」
最近のゼクスは奏をからかうことでストレス解消している気がした。それでゼクスの疲れがいくらかでもマシになるなら我慢しないでもない。
「いい加減に『王様』と呼ぶのはよせ。ゼクスだ。ほら呼んでみろ」
「な、呼ばないよ!」
「もう一度しつけが必要か?」
「ふふ、今度のカナデ様はどうなってしまうのでしょうねぇ」
「洗脳される……」
奏は恐怖を感じて身震いした。
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