第19話 王様には逆らえない

 すっかり雨もあがった。いい加減帰らないとリゼットが心配するだろうということで、奏はスリーと温室を出たのだが──、


(どうして手を繋ぐの!?)


 二度目に偶然会った時もそうだが、スリーの行動はいつでも唐突で、奏は呆気にとられる。

 温室を出た瞬間に普通に手を取られた。拒絶するほど嫌というわけではないけれど、緊張感に奏はぎくしゃくとしてしまう。


「ここはあまり知られていない場所なんだよ」

「そうなの?」

「先代の王が大事にしていた場所だから、庭師の好意で解放されるまでは王の許可がなければ入ることは許されていなかった」

「綺麗なところなのに」

「庭師もそう思ったんだろうね。今では恋人と一緒に過ごす場所として知られるようにはなっているかな。まあ、それでもごく少数しか知らないけれどね」


 そんな場所をスリーは当然のように知っている。恋人と来たことがあるのだろうか。


「俺は温室より木々に囲まれたこの場所が好きだから、よく来るんだよ。恋人と来たことはないからね」


 考えていることを見透かされたようで奏はドキリとする。スリーの言葉は、行動と同じように心臓に悪い。狙っているなら質が悪すぎる。


「ここが初めてだと迷いやすい。カナデ様が嫌でなければ手はこのままで」

「……恋人はいないの?」

「いないから心配しないでいいよ」

「してない」

「あれ? 本当に?」

「本当に!」


 奏がムキになると、スリーは「残念だ」というように肩を竦める。無表情が笑っているように見えるのは、きっと気のせいだ。いや、絶対気のせいだ。


 スリーと話しているうちに中庭まで戻ってきた。どこをどう歩いていたのか、緊張していた奏にはわからないが、一人では戻ってこられそうになかったので、安堵に胸をなでおろしていると──、


「そこの二人!! 離れなさい!!」

「!」


 リゼットの怒号が響いた。二人は繋いだ手をバッと勢いよく離す。


「スリー様!! 私の許可なくカナデ様に触れるとは万死に値します!!」

「え、いつから許可制に?」


 スリーはリゼットの迫力に恐れをなしたものの、納得がいかず果敢にもリゼットに疑問を投げかける。

 そんなスリーを完全に無視したリゼットが奏に宣言する。


「カナデ様!! もう遠慮はしませんからね!!」

「遠慮していたことないじゃない」


 マイペースを崩さないリゼットに遠慮の文字などなかったはずだ。


「連行してください!!」

「「え?」」


 仁王立ちして怒りをまき散らしていたリゼットがそう命令すると、どこからともなく騎士達が現れて奏とスリーを拘束する。

 真面目にリゼットの命令に従っているのかと思いきや、ニヤニヤと笑っていることから察するにリゼットの独断らしい。


「副団長悪いね!」

「リゼットちゃんには逆らわないことですよ!」

「カナデ様は微妙だよなぁ」

「副団長って少年趣味?」

「二股ですか!? 見損ないましたよ!」


 なにか失礼な言葉が聞こえたが奏は無言を貫く。リゼットの視線が怖い。こういう時は余計なことは言わないに限る。


「二股? 気づきませんでした……」

「リゼット!?」


 そんな事実はないのに、誤解されるような言い方をされてスリーが慌てる。騎士達の拘束を解こうとして暴れるが、いくらスリーが強かろうが複数で押さえられては動けないようだ。


「カナデ様に誤解されるでしょ!?」

「私のことはどうでもいいと?」

「なに言って……」


 リゼットが悲しそうな顔をする。迫真の演技にスリーは嫌な予感がして冷や汗が止まらない。リゼットを黙らせたくても、騎士達に押さえつけられていてはどうにもできない。


「……どうすればいい?」

「カナデ様の目の届く範囲に近づかないで下さい」

「そんな横暴な!」

「私がカナデ様を探していると知っていましたよね?」

「あ、しまった!」


 奏はリゼットの顔が般若のようになるのを見た気がしたが、瞬きをした一瞬で慈愛に満ちた表情に変化していて首を捻る。

 見間違いかとも思ったのだが、スリーに告げた次の言葉を聞いて見間違いではなかったことを悟る。


「残念です。スリー様はカナデ様と接触禁止にします」

「なぜ!?」

「私が認めないからですよ」

「わかった。カナデ様の目の届く範囲には近づかない……三日ぐらいは」


 スリーがリゼットの顔色を窺っている。


「ご冗談を! 私が生きているうちに会えるとお思いで?」

「……せめて期間を決めてくれない?」

「ひと月です」

「もう少しなんとかならない?」

「な・り・ま・せ・ん!!」


 リゼットの宣告にスリーはうなだれてしまう。スリーは決して悪くない。それなのにスリーは一切言い訳をしない。

 奏はたまりかねてリゼットに恐る恐る声をかける。


「あのね、リゼット」

「なんでしょうか?」

「それって月の半分くらいにならない?」

「スリー様に優しくすることはありませんよ」

「そういう訳では……」


 ではどういう訳なのか、とリゼットの眼が語りかけてくる。奏は自分でも理由が分からず言葉を濁す。


「まさか『会えないと淋しい』なんていいませんよね!?」


 それは少し違うのだけれど、リゼットにうまく説明できる自信がなくて、奏は曖昧に頷いた。

スリーが驚いたように息をのんだ気配がする。

 奏は恥ずかくて視線をスリーに向けられない。


「これだからカナデ様は……」

「ダメかな?」


 リゼットが嘆息する。奏は期待をするようにリゼットを見る。


「仕方ありませんね。カナデ様に免じて許しましょう」


 奏の期待の眼差しにリゼットが折れた。奏は嬉しくなり笑顔を浮かべる。


「リゼット、ありがとう」

「いいえ、それだけあれば十分ですから」

「?」

「カナデ様が気にすることではありませんよ」


 リゼットの言い方は気になるが、取り敢えずは期間が短縮されたので奏は安堵する。

 奏が原因でリゼットの怒りを買ってしまったスリーには申し訳なさしかない。

 スリーは決して言わないだろうが、奏が泣いていることに気づいて、誰も近づかないようにしてくれていた。

 最初は気づきもしなかった。けれど考えてみれば、まるで泣き終わるのを待っていたようなタイミングでスリーは現れたのだ。冷静になれば、どれだけ気遣われていたのか、分からないはずがなかった。


(酷い顔していたよね……)


 スリーに泣いていたと知られて恥ずかしい気持ちはあったが、奏は見守られていた事実に苦しかった胸が温かくなっていくのだった。


 スリーは騎士達に連れ去られてしまった。

 一人残された奏は恐る恐るリゼットを見る。これから恐怖の説教がはじまりそうで怖い。

 ところがリゼットは特に怒っている様子がない。それよりもどちらかというと奏の顔色を窺っている気がする。

 少し前まで凄まじい剣幕で怒り狂っていたというのに、妙に静かで逆に不安を感じる。

 先に謝ってしまおうと口を開きかけた奏だったが、それよりも先にリゼットが話はじめる。


「カナデ様には特訓を受けてもらいます」

「え? でも明後日からフレイと訓練の予定だよ」

「フレイ様は……狩り、いえ遠征に行きましたので、しばらくは帰ってきませんよ」


 フレイはどうやら狩りに行ってしまったらしい。リゼットが「遠征」と言い直したのは聞かなかったことにする。


「それなら仕方ないね。特訓ってなにするの?」

「はじまればわかりますよ。明後日からですからね」


 リゼットが考える特訓は想像することさえ難しい。何かが起こりそうな予感がした。





 特訓の予告をされた日がやって来ると、奏は朝食後すぐにドレスに着替えされられた。

 疑問を抱きつつもドレスを着たのはいいが、リゼットはそそくさとどこかへ行ってしまうし、どうしたらいいのかわからず、奏は戸惑う。

 勝手に着替えるわけにもいかず、リゼットを探しに行こうかどうか悩んでいると、部屋の扉がノックされて、ゼクスが入ってきた。


「久しぶりだな、カナデ」

「王様?」


 奏は部屋へやってきたゼクスに驚く。ゼクスの顔を見るのは本当に久しぶりだ。


「王様もリゼットの特訓に関係しているの?」

「特訓? 何のことだ?」


 ゼクスが不思議そうな顔をする。リゼットから何も聞いていないらしい。


「……王様。リゼットはなんて?」

「俺が贈ったドレスをカナデが着るから見に行ってこいと執務室から追い出された。ついでだから昼食を一緒とろうと思っていたんだが……」


 二人して疑問を抱く。わざわざゼクスを呼んだ理由がリゼットの特訓に関係ないとは思い難い。

 けれど、疑問を解決しようにも肝心のリゼットがここにはいない。嬉々として奏をドレスに着替えさせてから、部屋を出て行っていっこうに姿を見せない。


「それにしても似合うな」

「え?」

「ドレスが似合う」


 突然褒められた奏は戸惑いを隠せない。

 奏の鈍い反応にゼクスは苦笑する。


「似合っているのかな」

「自信なさそうだな。俺は世辞など言わないぞ」


 ゼクスに予想以上の出来栄えを褒められたが、奏は信じていない。

 やけに大人びたドレスは身の丈に合っていないように思えて、落ち着かない。

奏は落ち着かないままにドレスの裾を蹴っていたが、それをゼクスに咎められる。


「気に入らなかったか? 装飾品もつけていないようだが……」


 華美なドレスは好まないという要望で、ゼクスが用意してくれたのは、マーメイドラインのドレスだ。腰から裾へのグラデーションは美しいが、刺繍は胸元にごく僅かしかない。

 ゼクスに色々な装飾品も一緒に贈られているけれど、綺麗なドレスだけで充分だった。

 それに今日に限ってはリゼットが飾り立てるのを止めている。


「よくわからないけど、リゼットが今日は必要ないからって」

「……なるほど」


 ゼクスはリゼットの意図するところを察したようだ。


「カナデ、こちらへ」


 ゼクスに広い空間のある部屋の中央へ誘導される。

 踵の高い靴には慣れていないから、ゆっくりとした動作でゼクスに近づく。フラフラとしている奏の手をゼクスが取ると、逃げられないように距離を詰められた。

 ゼクスの手が腰に回る。


「ちょっと王様!?」

「こら、逃げるな。ダンスの特訓ができないだろう」


 ゼクスは逃げようとする奏の腰を捕らえ、ガッチリとキープする。


「え? ダンス?」

「そうだ」

「リゼットから何も聞いてないのに、どうしてダンスってわかるの?」


 奏は首を傾げた。短い髪がサラリと揺れる。


「わざわざドレスに着替えさせて特訓するとなれば、それ以外には考えられないな。リゼットが装飾品を外すように指示したなら間違いない」

「そうかなぁ」

「大抵の騎士はダンスを苦手としている。だから俺を相手に選んだんだろう」


 リゼットがわざわざ指名したのだから、ゼクスはダンスを得意としているのだろう。


「覚える必要あるの?」

「覚えておけば必要になったときに困らないと思うが」

「必要になるとは思えないけど」


 ダンスが必要になるようなパーティーに出席する予定は今のところはない。そもそも奏の存在は公になっていないのだから。


「いいからはじめるぞ」

「王様に教えてもらうとか恐れ多いです」

「……なぜそこまで嫌がる?」


 ゼクスが近づこうとするから、奏はじりじりと後退した。

 ゼクスが舌打ちする。


「リゼットを怒らせるようなことをしただろうが!」


 苦々しくゼクスに怒鳴られた奏だったが、言い分があり、ゼクスに食いつく。


「したけど! 王様はないと思う!」


 ダンスを覚えるのは、この際仕方ないと思える。どっちにしてもリゼットが特訓というからには、覚えさせられるのには違いないのだから。

 けれど、特訓をするのにゼクス直々となれば、話はまったく違ってくる。


(王様は自分が美形だって自覚が足りない!)


 老若男女問わず魅了するような美形が至近距離にいては、ダンスなど覚えられるわけがない。

 それ以前にダンスの姿勢がいただけない。密着などしたら息の根が止まりそうだ。奏の場合は本当に洒落にならない。


「これほど嫌われるとは思ってもみなかったな……」

「王様!? 違うから!」

「逃げているのに?」

「は、恥ずかしいだけなの!」

「ダンスが?」


 理由を言うのは余計に恥ずかしいというのに、ゼクスは察してはくれなかった。


「王様が美形すぎるから……」


 奏は、ゼクスに誤解されたままよりはと意を決して言ったが、最後まで言い切ることはできなかった。眼も泳いでしまっている。


「褒められて悪い気はしないが、今すぐ慣れろ!」

「やめるって選択肢はないの!?」


 ゼクスの横暴ぶりに奏は抗議した。


「ない! リゼットに言い訳が通用すると思っているのか?」

「しないけど! 王様はリゼットに甘すぎるよ!」

「甘くしているつもりはない。諦めろ。時間が無駄になった」


 ゼクスは容赦なく会話を打ち切ると、カナデを逃がさないように囲い込んでくる。


「この距離に慣れろ。逃げたらどうなるか知りたいか?」


 奏は、ゼクスに引き寄せられるように後頭部に手をまわされた。逃げを打つが、がっちりと固定される。ゼクスに至近距離でささやかれた。

 奏は蛇に睨まれた蛙のように眼も反らせず硬直する。逃げたらどうなるかなんて知りたくもない。


「お前なら泣き顔もそそられそうだ。逃げるなら覚悟してからにしろ」

「王様のいけず」


 ゼクスの本気に奏はすでに泣きそうだった。泣かせる宣言をされてしまっては、逃げることは諦めるしかないだろう。

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