第17話 痛みだけの関係じゃない

「フレイ? 誰かと一緒にいるみたい。誰だろう……」


 昨日街に出たが比較的おとなしく行動していたおかげで、リゼットから自由を取り戻すことができた奏は、一人で訓練場に向かっている最中にフレイを見かけた。

 声をかけようとして、フレイの隣に見知らぬ女性がいることに気がつく。


(わぁ、すごい美人)


 女性は華やかな美人だったが、騎士服を着用しているということは騎士だろう。

 スラリとした肢体がなんとも艶めかしくて、奏は思わずドキドキしてしまう。女性なのにカッコいい。ちょっと憧れる。


「カナデ? そんなところでどうした?」


 声をかけるタイミングを逃していた奏にフレイが気づく。


「訓練場に行く途中だけど」

「なら、一緒にいくか?」

「え、邪魔だから一人で行くよ」


 遠慮するに決まっている。フレイと女性の関係は気になるが邪魔するつもりはない。


「フレイ、私からは以上よ。団長には伝えておくわ」

「悪いな。カナデを一人にしたくない」


 騎士団の連絡事項を伝えていただけのようだ。女性の騎士がフレイに手を振って去って行った。

 奏は名残惜しそうに女性の騎士の背中を見送る。


「女性の騎士に初めて会ったよ。綺麗な人だね」

「そうか?」

「そうだよ。美男美女でお似合いだよね」


 奏のその一言はフレイの地雷を踏んだ。フレイの眼が据わる。


「……質が悪いな。お前は俺を揶揄からかって楽しんでいるのか?」

「え?」


 キョトンとする奏にフレイは舌打ちをする。


「あの時! 俺の気持ちは伝わらなかったはずないよな!?」

「あ……」


 奏はビクリと身体を震わせ、逃げようとしてフレイに追い詰められる。背中に壁の感触を感じた瞬間、フレイの両腕に囲まれる。


「そんな反応したら肯定しているようなものだ!」

「フレイ……」


 フレイの視線が突き刺さり、奏は泣きそうになる。

 確かにフレイの言う通りだからだ。

 最初こそ、自分の勘違いかも知れないと思った。

 けれど、言い訳すればするほど、あの時にフレイから向けられた気持ちは、間違いなく自分に向けられていたと痛感せずにはいられなかった。

 はっきり言われないのをいいことに、黙っていればやり過ごせると誤魔化し続けていた。フレイの気持ちをはっきり知るのが怖かった。


「カナデが俺に恋愛感情を持てないなら仕方ない。けどな、俺だけじゃないよな? 最初から誰も好きになるつもりがない。この世界の誰も!」


 フレイの怒気で空気がピリピリとしている。奏の身体が硬直する。


「カナデ、答えろ!」

「!!」


 奏はフレイに追い詰められた。頤を持ち上げられ視線が交わる。フレイの瞳から獰猛さを感じ取って奏は震え上がる。動いたら何をされるかわからない。

 視線を逸らせず固まっていると遠くから奏を呼ぶ声が聞こえてくる。


「カナデ様?」


 その声に自然と身体が反応した。頭で考えたわけじゃない。気がつけばフレイの腕から抜け出して駆け寄っていた。

 奏は震える腕でスリーに縋りつく。


「どうしたの?」


 スリーの困惑した声が聞こえる。奏はその声が遠くから聞こえてくるように感じていた。





 スリーは全身で縋りついてくる奏を受け止めた。なかなか落ち着かない奏を宥めていると鋭い視線が突き刺さってくる。


(フレイ・オーバーライトナーか)


 奏が一人ではないと分かっていた。ただ、様子がおかしい気がして声をかけたのだが、どうやら正解のようだ。

 奏は動揺している。スリーの声が聞こえていないほどに。


「カナデ様に何を言った?」

「あんたには関係ない」


 挑戦的な態度だ。けれど、その視線は不安そうに彷徨っている。


「確かに関係はないが、カナデ様と話したいなら冷静になってからにしろ」

「……言われなくても」


 スリーに乱入されたことで冷静さが戻って来たようだ。フレイは一度だけ奏に視線を送ると黙って二人から離れていく。


「カナデ様、彼は行ったよ」

「……逃げちゃった。どうしよう……」

「そうだね。どうしたらいいのか、言わなくてもわかるよね?」

「うん」


 奏の瞳が揺れる。スリーは勇気づけるように優しい声を出す。


「彼が意地悪するようなら助けに行くから言って?」

「大丈夫だと思う。ごめんなさい。ありがとう」

「どういたしまして」


 二人の間に何があったのかは知らない。緊迫した空気を邪魔したというのなら、そうなのだろう。けれど、怯えていた奏をスリーは見捨てられなかった。

 スリーは「関係ない」と言われて引き下がれないほど、奏が気になっていることを初めて知った。





 スリーに迷惑をかけてしまった。そのうえ事情も知らないのに慰めてもらって、奏はいたたまれない気持ちで一杯になる。

 けれど、何も聞かないスリーの優しさに救われた。ちゃんとフレイに向き合おうと決意する。


 答えは決まっている。それなのに今さら迷いが生まれてしまう。

 フレイは呼び出しに応じてくれるだろうか。本当は自分から会いに行こうと思っていた。けれどリゼットに止められ、伝言を届けてもらうだけにとどめた。

 奏は不安で胸が苦しくて堪らなかった。


「待たせたか?」

「ううん」


 自室ではリゼットがいるからと、早朝のあまり人気がない中庭へフレイを呼び出した。

 いつもと違う空気は奏をさらに緊張させる。


「昨日は悪かった。追い詰めるつもりはなかった」

「それは私が悪いから。……卑怯だったと思う」


 フレイに指摘されなければいつまでも逃げ続けていた。こんな自分をさっさと見限って、相応しい人を恋人にすればいい。そんな傲慢な考えがあったのかも知れない。

 フレイの気持ちをないがしろにしていた。好きな相手から別の女性を勧められて、フレイは一体どんな気持ちだったのだろう。


「はっきりしなかった俺も悪い」

「私って鈍そうに見える?」

「見えないな。だからこそ逆にわかりやすかった。意図的に恋愛話を避けていただろう?」

「当たり。フレイには嫌われていると思っていたから油断したのかな」


 初対面ではほぼ無視する形になっている上に、二度目は会ったことを忘れかけていた。憎まれ口を叩きながらもこんなにも大切な存在になるとは想像もつかなかった。

 そのうえ、好きになってくれるなんて……。


「嫌ったことはないが、最初は面倒だったな」


 正直に気持ちを吐露するフレイ。奏は苦笑いで答える。


「フレイは隠さないね」

「二度会うことはない。俺にとってはそういう相手だったからな」

「それなのに、ほとんど毎日一緒にいることになって大変だったよね」

「いつの間にか当たり前になっていたな」


 出会ってまだそれほど月日はたっていない。それなのに随分と濃密な時間をフレイとは過ごした。

 当たり前の日々。それもあとわずか。


「答えはわかっている。それでも言っていいか?」

「いいよ」


 お互いにけじめをつけないと先には進めない。


「カナデ、好きだ!」


 ストレートな告白はとてもフレイらしくて、奏は決まっているはずの答えを告げたくない気持ちにさせられる。


「率直なフレイが好きだよ」

「それは友達としてか?」


 フレイも答えを分かっているのだ。だから決して辛そうな顔をしたりしない。


「そうだよ。大切な友達として好き」


 奏にとってのフレイは友達だ。異性として好きになることはない。


「……その気持ちが変わることはないんだな?」

「ないとは言い切れない。でも待たないで……」


 奏は我ながら酷いことを言っているとフレイから顔を逸らす。期待を持たせるようなことを言っておいて、フレイに選択することさえ許さないのだから。


「待てない。心配しなくても忘れてやる」

「さすがフレイ。男前だね!」

「振ったことを後悔しろ!」


 もう後悔しているとは言えない。


「訓練は続けるか?」

「続ける。でも、フレイはどうするの?」


 さすがに振った相手を、いつまでも付き合わせるのは躊躇ためらわれる。騎士団長に相談すれば、指導をしてくれる相手はすぐに見つかるはずだ。


「指導役を降りるつもりはない。団長命令だからな」


 フレイはキッパリと答える。奏はフレイに気まずい思いをさせたくなくて逡巡する。


「……それでいいの?」

「騎士団は公私混同しないのが鉄則だ。あくまでも建前だけどな。俺のことは気にするな。……それともなにか、俺では問題があるとでも?」

「……問題なんて! お願いします!」


 奏は訓練場でフレイが自己紹介をしてすぐ後の出来事を思い出していた。

 険悪な雰囲気を醸し出していたフレイに、指導をしてもらえないかもしれないと焦っていた。団長命令だから仕方ないといいつつ、指導をしてくれる意思を示してくれたフレイに飛びつくようにして答えを返した。

 それほど昔というわけではないのにひどく懐かしく感じる。


「あの時と同じだ。素直に指導されておけ」

「明後日からでいいかな?」

「明後日? なぜだ?」

「なんでもいいから明後日で!」


 きっと明日はフレイに見せられない顔をしている。だから明後日と指定する。


「ああ、明後日な」

「フレイはもう行って」


 一人になりたい。奏は無理をして顔に笑顔を貼り付けるとフレイに手を振る。


「カナデは?」

「中庭ってあんまり来たことないから、ちょっとゆっくりしたい」

「帰りに迷うなよ」


 そう言うとフレイが背を向ける。奏はフレイを見送ると笑顔を崩した。

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