第12話 食事が楽しいのはきっと保護者のお陰

 奏は夕べの苦しさが嘘のように身体が軽いことに安堵した。朝になって起き上がれなかったらと不安で就寝した夜とは違って、久しぶりに爽快な目覚めだ。


(あんなに苦しいって思っていたのに……)


 夢うつつに助けを求めていたことは覚えている。この世界でたった一人きりで、苦しくても誰にも頼ることはできないから……。

 歯を食いしばって耐えていた時、優しく髪を撫でられているような感覚があった。心地よくて自分は一人じゃないと感じられたのだ。

 ただの夢だろうし、朝になれば一人だったと実感するほかなかった。

 けれど、その夢を見た後は、もう苦しいとは感じなかった。むしろそれまで感じていた不安は、何だったのだろう。


「おはようございます。カナデ様。よく眠られましたか?」

「リゼット、おはよう! すごくよく眠れたよ」

「元気になられたようでよかったです。今日からは安心していられますね?」

「うっ、はい」


 朝から釘を刺される。リゼットが完全復活を果たしたようでなによりだ。


「朝食は普通に戻しますから、無理せず食べてくださいね」

「すごくお腹が空いているけど、適度で済ませるよ」


 一度に沢山食べすぎると逆に胃もたれしてしまう。それにリゼットが注意してくれることは聞いておくべきだ。


「今日はフレイ様が朝食を御一緒したいとおっしゃっています」

「そうなの? そういえばいつの間にかフレイがいなくなったような……」


 侍女よろしく奏の側にいたフレイは知らぬ間に帰っていたようだ。


「騎士団から呼び出しがあったからな」

「あ、フレイ! おはよう!」

「おはよう。朝から元気だな」


 フレイが欠伸をしながら部屋に入ってきた。疲れた様子でソファに腰かける。


「疲れているね」

「そうだな。誰かさんのお陰で」


 フレイの嫌みに奏は苦笑いで答える。


「ははは……。その節はお世話になりました」

「冗談だ。真に受けるな」

「侍女の仕事を楽しんでいたくせに!」

「ああ、いつでも世話してやるぞ?」

「結構です!」


 いつもと変わらない軽口の応酬に奏は頬が緩む。知らず知らずに自然と会話も楽しめるようになれた。不安や緊張で過ごした日々からは考えられない。


「朝食の用意ができましたから、二人ともこちらへどうぞ」

「はーい」


 フレイが一緒ということで、朝食は奏の部屋に用意された。いつもは別室で奏が一人で取ることが多い。そのせいで食が進まないことが度々あったが、今日はそういうこともなさそうだ。


「ねえ、リゼットも一緒に食べない?」


 恐る恐る窺いを立てる。リゼットは目を細め、チラリとフレイを見てから頷く。


「今日だけですよ」

「え! いいの?」

「フレイ様もご一緒ですからいいですよ」


 いつも同じようにリゼットを誘っていたが、固辞されるばかりだった。心境の変化でもあったのだろうかと奏は首を捻る。

 奏はいそいそとリゼットの席を用意する。今日だけでも一緒に食事を楽しみたい。


「朝から豪勢だな。いつもこんなか?」


 リゼットが容易したボリューム満点の朝食にフレイが目を見張る。


「カナデ様がどういった食事を召し上がってこられたかわかりませんから、料理長が毎回はりきっているのですよ」

「カナデは小食だから料理長はかわいそうだな」


 フレイが料理長に同情していたが杞憂に終わる。


「おかげで料理長はやる気です!」

「ええ! そんなやる気はいらないよ!」


 朝食から挑戦状を突きつけられた心境に陥った奏が抗議の声を上げる。しかし、その抗議はあっさりと無視される。


「じゃ、たくさん喰え」


 フレイはそういうと、奏の皿へどんどん料理を取り分けていく。

 相変わらず口が悪いのに面倒見がいい。侍女として張り付かれていた時のことを思い出す。今日はリゼットが給仕をしないからフレイは遠慮しない。


「こんなにたくさんは無理だよ!」

「消化がいいものだけだ。食べられるだろ?」


 皿に盛られた量が半端ない。どうして食べられると思うのか疑問だ。


「騎士は訓練をしていればいいってわけじゃないぞ。食べることも大事だ。それにカナデは食わず嫌いがあるだろ」


 奏はギクリと身体を強張らせた。フレイにしっかりばれている。

 見たこともない料理を口にするのは躊躇ためらわれた。それでなくても口に合わない料理が多いのだ。ここの料理は奏には少々濃すぎる。


「無理そうなやつは避けたから、とにかく一度食べてみろ。それでもダメなら俺が残りを食べてやる」

「わかったよ。ごめん……」


 奏は項垂れる。病気持ちのくせに好き嫌いをしている場合ではないと反省する。


「さすがフレイ様! 保護者の鏡!」

「誰が保護者だ!」


 まったくフレイの言う通りで、奏は反論の余地もない。奏のためにと考えて料理を用意してくれた料理長に申し訳が立たない。


「美味しい」


 とりわけられた料理を口にした奏は食べられる喜びを噛み締める。噛み締めている間に次の料理を勧められる。


「これはどうだ?」

「これも美味しい」


 奏は勧められるままに料理を口に運ぶ。


「食べられるだろ?」

「食べられるかも」


 フレイが取り分けてくれた料理はどれも美味しい。消化のいいものばかりで、味もさっぱりとしていて、どんどん食べ進めることができる。瞬く間に無理だと思っていた量の料理はなくなっていた。





 奏の小食ぶりに気をもんでいたフレイは、料理を平らげて満足げな奏の様子に安堵した。


「食べられたな」

「お父さん!」

「誰がお父さんだ!」

「じゃあ、お母さん!」

「やめてくれ……」


 奏から言われると笑えない。たしかに過保護という自覚はあったが、異性としてはいかがなものか。少なからず意識せずにはいられなくなったフレイは複雑な心境であった。


「デザートはどうする?」

「食べるよ! デザートは別腹だから!」

「甘いものは好きなのか」

「果物も好きだよ」

「そうか」


 奏は甘いものを目の前にしてウキウキとしている。たくさんの料理を前に悲壮感を漂わせていたというのに。


「フレイは食べないの?」

「昨日食べ過ぎたからいい」


 疲れていた理由が騎士団の無礼講騒ぎに巻き込まれたとは言い辛い。

 リゼットが騎士団にどんなお世話をしたのか、フレイは寒気を覚えていた。


 品行方正とは言えないものの、貴族階級が多い騎士団は秩序を守っていたはずだ。それがしばらく留守にしている間に、ずいぶんと砕けた様子に変貌していたのだ。

 フレイが呼び出されて戻ると騎士達に囲まれ、有無を言わさず宴会場に連れて行かれた。後はもういうのも憚れるようなどんちゃん騒ぎになった。


 その宴会の間、フレイはリゼットと親しくしているせいで、やけに絡まれた。「リゼットは戻ってくるのか」「恋人はいるのか」「紹介してくれ」などなど面倒くさいといったらない。

 フレイは無言を押し通し、勧められる酒を断り、ひたすら食事に専念するしかなかった。おかげで今朝はいつもほど食欲がわかなくて、奏に不審がられてしまった。


「フレイ様。こちらを召し上がってください。スッキリしますよ」


 リゼットが訳知り顔で飲み物を勧めてくる。柑橘系の香りに鎮静効果があるという、わりと定番な飲み物だ。騎士団でも深酒をした次の日などはよく飲まれている。


「リゼット、騎士連中に恋人の有無を聞かれた。知っておきたい」

「なぜです?」


 リゼットはいきなりの質問に戸惑ったようだ。


「絡まれ続けるのはごめんだ。どっちでもいいが知らないと対処のしようがない」

「恋人はいません」

「意中の相手は?」

「残念ながら……」


 意外ではなかった。リゼットはどこか男を遠ざけている節がある。恋人がいらないという感じではないからとくに心配はしていない。


「リゼットは恋人いないんだ……」


 奏が意外そうにつぶやいた。正直リゼットはモテる。いないというのが解せないのだ。


「どんな人がリゼットの好みなの?」

「ドラゴンのように強い人ですね。それでいて可愛いとなお良いですね」

「え、ドラゴンっているの!?」


 ドラゴンの存在をリゼットにほのめかれて奏が興奮する。


「伝説の生き物ですね。いないこともないようですよ」

「って、そんな人存在するの!?」

「どうでしょうか? 存在しなければ、私は生涯結婚できないということになりますね」


 奏が慌てふためく。

 フレイはそんなに慌てるようなことかと一歩引いた所から二人の会話を聞く。


「フレイ! 騎士団にいないの!?」

「どうだろうな。強いだけならいないこともないが……」


 ドラゴンというからには、リゼットの求める強さは並みの強さではないのだろう。フレイには相応の強さを持つ騎士に心当たりがあったが、リゼットの求める相手ではないということだろう。


「騎士団にはいませんね」

「え? でも、まだ探せばいるかも知れないよ?」

「探しましたが、残念ながら見当たらず……」

「騎士が何人いると思っている。まさか全員知っているわけないよな……」


 リゼットが嘆かわしいというように表情を険しくする。


「顔は!? イケメンがいいの!?」

「カナデ様。イケメンとは?」

「かっこいい人だよ!」


 「イケメン」の解説を始める奏は、リゼットのような美人には必須ということを主張している。


「カナデは何を焦っている」


 フレイは呆れ顔になる。リゼットに恋人がいない理由は理想を追求して妥協できないことによるものだ。奏が焦ったところでどうにもならない。


「凄まれたら泣きそうな感じがいいですね。いかにも強そうで」


 奏の焦りを余所にリゼットは何処吹く風で自分の理想を語る。


「ええ!? それ、強面の人じゃない……」

「どうしてカナデが残念がる」


 奏とリゼットのどこかおかしなやり取りに、フレイの突っ込みも追いつかない。


「強面の人なんて騎士団にいるのかな。どっちかっていうと兵士とかにはいそうだけど……」


 リゼットの理想は強面だ。どちらかといえば品行方正そうな騎士にはいないタイプのように思える。

 奏の指摘にリゼットの目が大きく開く。


「え?」

「あれ? 兵士っていない? 騎士って王を守るイメージだったから、国を守る兵士がいると思ったんだけど……」

「……兵団があります」

「よかった! リゼットの好みって、どっちかっていうと兵団の人にいそうな気がするよ?」

「気が付きませんでした」


 兵団と言えば、騎士より粗野な男ばかり。リゼットは美人だから入れ食いだろう。

 そこなら或いはリゼットの理想に叶う男が存在するのかも知れないが、リゼットが普通の男を選ぶとは思えず、余計な発破をかけている奏にフレイは不安しか感じない。


「厳つい騎士! 絶対いるから! どこかに……」

「カナデ。やめておけ」


 探し場所を間違っていたことに気づかなかったと項垂れるリゼット。

 フレイの制止は間に合わなかった。


「兵団ですね。カナデ様の助言は必ず活かします!」

「え! え?」

「だからやめろと……」


 リゼットのスイッチが入ってしまった。

 フレイは奏の失態に呆れ返る。

 奏の言葉で、とんでもないことを引き起こしそうな予感を覚えてフレイは戦慄した。


 結局のところリゼットには恋人はいないが、そんなことが騎士団の連中に知られたら大変になるということで、フレイはリゼットには意中の相手がいると答えることに決めた。

 リゼットもそれを了承してくれたので、しばらくは平穏でいられると思いたい。

 リゼットが絡むとどうしても穏便にならないのだが、もうどうしようもない。奏の指導役に抜擢されてしまった己の不運を嘆く。


「訓練に行くか?」

「ちょっと待って!」

「先に行くぞ」


 フレイは、なにやらもたついている奏を置き去りにして、訓練場へ向かった。

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