第11話 なんだか雲行きが怪しい
執務室でゼクスはスリー・リーゼンフェルトの任務報告を聞いていた。
一か月という長い遠征から帰ってきたスリーは疲れた様子を微塵も感じさせなかった。
「対象の動きは限定的でしたが、近隣の村に被害があり、ガラが対処しています。小規模ですが地形の変化が各処で確認されました」
スリーは淡々と報告を続ける。
「目視可能範囲まで近づきましたが、とくに反応はありません。活動実態も確認できませんでした。王都で地震が発生したようですが、こちらの動きと照らし合わせて無関係であることが確認されました」
「よく目視できたな」
ゼクスは難しい任務を終えてきたスリーに感嘆の眼差しを向ける。
「少人数ですが影響領域を超えることができました。そちらはアスターが監視をしています。何か変化があれば、すぐに連絡が入るでしょう」
「周期は変化なしということか……」
「そのようです」
「徐々に間隔が短くなっているな」
予断は許さなくなりゼクスは嘆息する。
スリーが危険を冒してさえ、多くのことが不明のままだ。監視を続ける以外に現状では手の打ちようがなかった。
この状況を打破できる手段を模索していて、ゼクスはいまだに決断できずにいた。
「……緊急の要件はどうなりましたか?」
「すまない。こちらの都合で時間が遅くなったな。……特に問題ない。気を遣わせた」
「いえ、余計なお世話とは思いましたが、顔色が優れないようでしたので……」
スリーに問いかけられてしまうほど、ゼクスは疲れを隠せていなかった。
苦笑いを浮かべてゼクスはかぶりを振る。
仕事中は寡黙な騎士にまで心配されるとは、自身が思っているよりリゼットの暴走は堪えたようだ。
しかし、ゼクスに休息をとるような時間はない。
目の前の騎士にしてもゼクスと似たり寄ったりな状態だったはずだ。
ただ、この先に控えている任務を考え、事前に騎士団長へ強制的に休暇を取らせるように指示をしていた。
「休暇はどのくらいの予定だ?」
「五日です」
スリーにしては思い切った日数だ。休暇は強制したが日数までは指示していない。
しばらく休暇を取ることは難しい。それを考えれば妥当なところだろう。
「その間はどうするつもりだ?」
「特には考えてはいませんが……」
スリーが目を瞬く。本当に何も考えていないようだ。
「そうか。城にいるつもりがあるなら自由にしていい」
「そうですね」
スリーは思案した後、ゼクスの提案に頷く。
「部屋を用意させる。不都合があれば侍従長に対応するよう言っておく」
「ありがとうございます」
「遅くまでつきあわせたな。しっかり休んでくれ」
「はい。では失礼します」
スリーは執務室を退出した。
ゼクスがスリーの報告を聞いて頭を悩ませていた頃、奏は絶望的な状況に頭を抱えていた。
(舌の根の乾かないうちに約束を破りそうになるなんて……)
リゼットには申し訳ないと思う。奏自身、よもやその日のうちに無理するはめになるとは思っていなかった。
この感覚はよく覚えている。本当に悪夢としか言いようがない。
(確かに治ったわけじゃないけど……。でも、イソラは大丈夫だって……)
熱が下がって、ようやく床上げすることを許された。
リゼットはまだ心配そうではあったけれど、奏の元気そうな様子に、夜になるとしぶしぶではあったが自分の部屋へと戻って行った。
奏自身も突然の不調に、病気が悪くなったのではと内心びくびくしていたが、それほど熱は高くなく、わりとすぐに下がったことで安心していた。
しかし、それは間違いでしかなかった。奏は一人になると身体の奥に感じる不快感に気づいた。
苦しいわけでもない、痛いわけでもない。それでも誤魔化せるものではなかった。
身体の力が抜けていく。指先が強張っている。冷たい何かが、胸の奥からせりあがってくる。
奏は胸元を抑えて息を吐いた。
(まだ大丈夫……)
これはダメだ。誰にも言えない。嘘をつくことになると分かっているけれど……。
言ってしまえば、きっとこの世界にいられなくなる。それは奏にとっては死刑宣告でしかない。
(リゼットごめんね……)
奏は意識を失うように眠りに落ちていった。
どうやら道に迷ったらしい。
スリーはゼクスと別れてから用意された部屋へ向かっていたはずだった。
やはり長期の遠征でそれなりに疲れてはいたらしく、ぼんやりと歩いているうちに、あまり見覚えのない場所に入り込んでしまった。
城には慣れているからと、部屋への案内を断ったのは間違いだった。
スリーは「仕方ない」と嘆息すると、部屋の場所を聞くために人を探したが、夜も遅いせいかまったく人気がなく、誰も捕まらない。
しかし、運が悪いと嘆いている場合ではない。夜な夜な徘徊していると思われては困る。
(どこかの部屋をあたろう)
幸い人気はないが客室はあるようだ。誰か滞在しているようなら聞けばいい。
とりあえず目の前の扉をノックする。応答はない。すでに就寝しているのかもしれない。
スリーは次の部屋を確認する。
ガタン!
どこからか聞こえた物音にスリーは反応する。大きくはないが確かに聞こえた。
物音がしたと思われる方向にスリーは眼を凝らす。やはり誰も見当たらないが、部屋の中から聞こえたのなら誰かいるだろう。
ガシャン!
今度は何かが割れる音がハッキリと聞こえた。
(この部屋か……)
音が聞こえた部屋の目星がついた。スリーは足早に歩み寄ると部屋の扉をノックするために腕を上げたが、扉が開いていることに気づき眉を顰める。
いくらなんでも不用心過ぎはしないかと、スリーはそっと周囲を見渡すが、やはり誰もいない。
「夜分に失礼します。どなたかおりますか?」
スリーは部屋の奥に向かって声をかけた。すると小さな声がスリーの耳に届く。苦しそうな息遣いとうめき声が聞こえて、スリーはハッとして顔を上げる。
不法侵入であることは重々承知でスリーは部屋へ入っていく。
スリーは部屋の主がいると思われる寝室を目の前にして立ち止まった。ここまで来てしまったが躊躇いがある。
「!?」
スリーが部屋の前で逡巡していると、今度はすすり泣きのような声が聞こえてきた。迷っている場合ではないと決意すると扉を開ける。
部屋のベッドに人影が見える。暗くてはっきりはしないが、女性のようだ。ベッドからは苦しさから逃れるように伸ばされた華奢な腕が、だらりと垂れさがっている。
よく見れば、その腕の下あたりには、用意されていたと思われる水差しが無残に割れて転がっていた。スリーが聞いた物音は、この水差しが落ちた時の音だろう。
スリーは静かに近づく。
(カナデ様!?)
スリーは驚きに目を見張る。ベッドに眠っているその女性の顔には覚えがあった。長期遠征の前に会っている。
会話らしい会話をした覚えはないが、キラキラした笑顔で「師匠になって欲しい」と迫られたことだけは記憶に残っていた。
初対面にも関わらず物怖じせず、ゼクスに信じられない要求を突き付けていた。それを笑いながら応じていたゼクスにも驚いたものだが、ゼクスが召喚した異世界人ならばどこか人と違っておかしくはないと納得した。
黒髪黒眼という異質さも屈託のない笑顔を向けられれば普通の女性であると感じられた。
彼女はこの国に必要な存在だ。それなのに何故、こんな人気のない部屋で一人苦しんでいるのか。
「……っ、ううっ」
奏の呻きにスリーの思考は停止する。一体どうしたらいいのか。
「いや……」
「カナデ様」
スリーは咄嗟に宙に伸ばされた奏の手を握る。ひやりとした冷たさにスリーの胸が痛む。
「いや、死にたくない……」
「!?」
スリーが知る限り、奏はとても元気にしているように見えた。突然の召喚に緊張しているようではあったが、それを周りに感じさせないように明るく振舞っていた。気を使って無理をしていたのかもしれないが、死を連想させる要素はなかったはずだ。
(いったいどうして……)
悪夢を見ているのか、奏の顔はとても苦しそうだ。
スリーは汗で貼りついた奏の前髪を掻き上げる。奏のさらりとした髪の感触に、スリーはしばらく撫で続けてしまう。そうしているうちに気がつけば、苦しそうだった奏の表情は穏やかなものに変わっていた。
スリーは安堵する。奏の苦しみが少しでも和らいだのなら、ここに自分が居合わせた意味がある。ただ、迷い込んだだけだったとしても……。
(朝までその眠りを妨げるものがないといい)
スリーは握っていた奏の手を名残惜し気に離す。いつまでも部屋に居座るわけにはいかない。
「次に会うときは……」
スリーは信じられないことを口走りそうになって、慌てて口元を手で覆う。けれど、その表情は驚きばかりではなく、かすかに笑顔であった。
奏は深い眠りに包まれていて、一人の男が静かに去って行ったことを知らない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます