第10話 療養しなくていいと思っていれば
奏がベッドの住人になってから二日が過ぎた。高かった熱はすぐに下がったものの、弱った身体はまだ思うように動かない。
「フレイ、あのね」
「喉が渇いたか?」
「そうじゃなくて……」
「果物は食べられそうか?」
リカッセという林檎もどきの皮を器用に剥き始めるフレイ。奏の意識が戻ってから、ずっとこの調子で世話を焼いている。
さすがに夜は遅くまでいるというわけではないが、翌朝からはまた甲斐甲斐しく世話を焼きはじめる。
そうしてフレイが身の回りのことをしてくれているからか、リゼットは顔さえ見せない。
フレイに「騎士団の仕事は大丈夫なのか?」と聞いても、リゼットの所在を訪ねても笑顔で誤魔化されてしまう。
「カナデ、食べさせてやろうか?」
「いいです……」
剥き終わったリカッセを笑顔で食べさせようとするフレイに、奏はたじろぐ。
体調が悪いことがバレた時、あんなにも怒っていたのが嘘のようだ。こんないい笑顔は出会ってから初めて見る。
「怒っているんじゃないの?」
「怒っているように見えるか?」
「見えないけど……」
実は笑顔の裏で、怒りを我慢しているだけなのかと疑いもしたが、フレイは楽しんでいるようにしか見えない。
「侍女の仕事もやってみると、けっこう楽しいな」
二の句が継げない。フレイはまるで別人のようだ。
「フレイ! お願いだから元に戻って!」
「戻る予定はないな」
「そんな! リゼットはどうなるの!?」
「ああ、リゼットは別の仕事に替わった」
奏は茫然とする。別の仕事なんて聞いていない。
「フレイは騎士をやめたの?」
「そうだな。侍女というか侍従か。お前はどう考えても、リゼットより俺がそばについていないと、倒れるまで無理するだろうからな」
「でも、リゼットは野望があるから侍女になったって……」
「野望? それは凄いな」
フレイは苦笑いする。リゼットの野望に興味を引かれている様子だ。
「別の仕事って?」
「さあな。俺は聞いていない」
フレイが明後日の方向を向く。何か知っているようだが、話す気は全くないようだ。
奏は嫌な予感がした。普段それほど仲がいいとはいえない二人が結託している。
フレイはともかく、この場に姿を見せていないリゼットには不安しか感じなかった。
奏が探るような眼で自分を見ていることは感じていたが、フレイには話せることが少なく、黙っているほかなかった。
リゼットは奏を反省させるために一芝居打つことにしたようだ。
フレイはリゼットに協力をしているが、詳しいことは知らされていない。
役割を交代したのだから騎士団にいるのだろう。そこで何をしているかは皆目見当もつかない。
フレイの役目は、奏がリゼットの邪魔をしないように足止めをすることだ。
少しでも元気になれば、リゼットを探しはじめるかもしれない。その懸念はフレイにもあった。
だから、こうして慣れない真似をしているという訳だ。
最初こそ慣れない仕事に手間取ったが、慣れてしまえばなかなか楽しい。案外自分には合っている。
フレイ自身は、一度怒りを吐き出したことで落ち着きを取り戻していた。
けれど、リゼットはまだ怒りが継続中のようだ。その後の報告はまだない。
どっちにしても、リゼットの怒りが収まるまではこのままなのだから、この状況を楽しむつもりだ。
「リゼット!」
部屋のドアが破壊されそうな勢いで開け放たれた。
昼間の陽気にうつらうつらとしていた奏はビクッとして眼を覚ます。
「え、リゼット?」
「どこだ!?」
「王様、そんなに慌ててどうしたの?」
ゼクスの剣幕に困惑する。
「リゼットが怪我をしたと聞いた。部屋にいないから、ここにいると思ったんだが……」
「怪我!?」
リゼットとは何日も顔をあわせていない。別の仕事とは、そんなに危険を伴うことだったのか。
「邪魔をしたな」
ゼクスはリゼットが奏の部屋にいないと知ると、時間が惜しいとばかりに踵を返した。心当たりを探しに行くつもりのようだ。
「ゼクス様?」
「「リゼット!」」
ゼクスが探しに行く前に本人が登場する。リゼットはフレイに支えられるようして、部屋の前に立っていた。その姿は満身創痍だ。
「何があった!?」
「落馬してしまいました」
「落馬? 馬に乗れないというのに、何をしたらそうなる!」
「ゼクス様。落ち着いてください。説明しますから」
落馬と聞いたゼクスは気が動転してリゼットに詰め寄る。
「かいつまんで説明しますと、少々カナデ様の真似をしてみました。ちょうど暴れ馬が目の前を通りましたので……」
まったく説明になっていない。
奏はリゼットが自分の何を真似したのか気になりソワソワする。特に「暴れ馬」という不穏な単語が気がかりだ。
ところが、気になったという程度の奏と違い、ゼクスは切羽詰まったように物騒なことを呟く。
「監禁するしかない……」
「王様!? リ、リゼット! 早く逃げて!」
監禁も辞さないというゼクスからリゼットを逃がそうと奏はゼクスを押しとどめる。
「二人とも大袈裟ですね。騎士ともなれば落馬など慣れたものです」
リゼットは混乱に拍車をかける発言をする。ゼクスが聞き捨てならないと眉を潜める。
「騎士だと? リゼットは侍女だろう!」
「いいえ、騎士になりました。四日前からです。ちなみにフレイ様が替わりに侍女になりました」
どこか得意げなリゼットに、ゼクスはたまらず大きく息を吐き出す。
「最初から説明しろ。許可もなく勝手に仕事を交代するなどもってのほかだ。場合によっては二人とも処罰することになる」
結構な大事になっている。奏は固唾をのむ。
ゼクスは身内だろうと容赦がなさそうだ。いくら日頃から突飛なリゼットの行動を許していても限度があるのだろう。
「説明すると長いのですが……」
「そこに座れ。説明が済むまで、そこから一歩も動くな。で、カナデは寝ていろ」
奏はソファに腰かけるリゼットの隣に陣取ろうとして、ゼクスに止められる。しぶしぶとベッドに横たわった。ソファがベッドの近くでなかったら拒否している。
「お茶を入れてきます」
「フレイ様は器用ですね。もう侍女でいいのでは?」
すっかり侍女の仕事が板についたフレイを褒めるリゼット。ゼクスの眉間の皺が深くなる。
「リゼット!」
「ゼクス様はせっかちですね。心の準備ができてからお願いします」
「そんなものお前に必要ないだろう!」
「私にはないですね」
怒りをあらわにするゼクスを煙に巻くような軽い調子でリゼットが躱す。もちろんゼクスは怒り心頭だ。
「いいから話せ!」
「はいはい」
ゼクスは眉間に皺どころか額に青筋を浮かべている。我慢も限界なのだろう。
「そうですね、何から話せばいいか……」
リゼットは前置きをすると、大きく息を吸い込んだ。息を吐き出すように言葉を吐き出す。
「私は前々から疑問に思っていたことがありました。カナデ様は何故、騎士たちに混ざってあのように身軽に動き回ることができるのか。カナデ様は私から見ましても、それはもう華奢な身体で、今にも消えてしまいそうなほどに儚いと感じてしまいます。確かに身長は小さいというわけではないですけれど、とにかく抱きしめたら折れてしまうのではないかと心配で心配で。それが! 騎士団の猛者たちを相手に、毎日毎日挑んでいく姿ときたら、涙なくしては語れないほどでした。努力の甲斐があってか、いつしか千切っては投げ、千切っては投げと、素晴らしい活躍をするまでに!」
(へ? 私そんなことしたかな?)
「ですが、ゼクス様が騎士団との訓練を許可された時はとても信じられませんでした。異世界からいらしたばかりのか弱い女性になんてことを……。私の心配など杞憂でしたが、やはり納得できるものではありませんでした。カナデ様ほど美しい女性をむさくるしい男達の目に晒すなんて! あり得ません!
(冒涜って、それは持ち上げすぎだと思うよ)
「それもフレイ様のお陰で事なきを得たといいますか、ゼクス様には期待が持てなかった分、それは安堵致しました。ただ、残念なことにフレイ様は……、いえ、若干話がそれてしまいました」
(フレイがどうかしたの?)
「そんな訳で、カナデ様をお守りするためには強くならなければ! と思った次第ですが、侍女のままでは身動きもとれず、困り果てていたところで天啓が閃いたので、騎士になることを心に決めたのです。そうと決まれば実行に移すのみです。突然のことにパトリス団長は渋りましたが、そこはゼクス様が許可をされたということで黙らせました。が、そうはいってもご迷惑をおかけするわけですから、騎士として本格的に始動する前に、侍女として最後に騎士団の皆さまには全身全霊をもってお世話をさせて頂きました。これから起こる出来事は他言無用。皆さまは理解してくださいました」
(騎士団はそれで大丈夫なのかな……)
「騎士として最初に取り組んだことは騎乗訓練でした。馬に騎乗できなければ、カナデ様に不測の事態が起こった場合にすぐ駆けつけることができませんから。猛特訓するまでもなく乗りこなすことができたことは意外でしたが、まだまだカナデ様に及ぶわけもありません。その時です。暴れ馬が私をめがけて突進してきたのは……。そこで思いました。カナデ様ならこの暴れ馬を見事に御することができるはずだ、と。ならば、することは一つです。私は暴れ馬と並走し、ひらりと跨がって興奮する馬を宥めるという夢想を──」
(無双? リゼットは無双する気なの!?)
「してしまったわけです。結果的には暴れ馬と並走しているうちにつまずいて、さらには転がってしまっただけでした。その時、何回転したかはよく覚えていないですが、気がつけばフレイ様に助け起こされていました。無念としかいいようがありません。ですが! これからは粉骨砕身の覚悟でカナデ様を超えて見せます!」
(え? 本当に騎士になるつもり?)
「それにしても良かったです。カナデ様のお世話をどうしたものかと考えていましたが、フレイ様が実に見事に手綱を握ってくださって。侍女の鏡ですね。ああでも、リカッセをカナデ様に食べさせてあげることは許しますが、それ以上はいけませんよ?」
(どこから見られていたの!?)
「これからはカナデ様を見習って──」
「やめてくれ。カナデとは身体能力が違う。そのくらいの怪我ではすまなくなる!」
「ゼクス様には止める権利ありません。カナデ様には無理強いをしないようにと申し上げたはずですが?」
「それとこれとは……」
「ゼクス様は引っ込んでいてください」
リゼットから表情が消えている。怒りが深すぎて表情が抜け落ちてしまっているように見える。
ゼクスが珍しく狼狽していた。リゼットの激しい怒りに当てられて反論もままならない様子だ。
「カナデ様を見習って、体当たりで、騎士を目指しますから、ゼクス様は許可してくれるだけでいいです」
「リゼット……」
「ああ、カナデ様の護衛の件はこれで解決ですね。その前に暴れ馬を調教しなければいけませんが……」
奏は、ここでようやくリゼットの怒りが、自分にも向けられていると気づく。リゼットの独白に突っ込みを入れている場合ではなかった。
リゼットには心配をかけてしまった自覚はある。
けれど、本気で反省していたか、と言われれば、答えは否だ。喉元過ぎれば熱さを忘れるで、また同じことをした。
リゼットに体当たりで訴えられて、やっと自覚するという体たらくだ。
その痛烈な想いは奏に大きくダメージを与える。すぐに反応できないほど、打ちのめされて言葉が出てこない。
すぐにでも謝らなければ、リゼットは騎士になることを必ず実行するだろう。けれど、それほどまでに覚悟を決めているリゼットにどう言えばいいのだろうか。
奏は無言でベッドから抜け出す。ソファに座るリゼットを覆いかぶさるように抱きしめる。
「リゼットは侍女でいてくれないと……」
「騎士になってはいけませんか?」
「騎士のリゼットも素敵だと思うけど、私には侍女のリゼットが必要だよ」
「侍女でいさせてくれるのですか?」
「リゼットが騎士にならなくてもいいようにするから」
リゼットは微笑んだ。不安から解放されたというような笑顔を見て、奏は二度と無理はするまいと猛省した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます