第5話 師匠と呼ぶにはちょっと……

「遅くなっちゃった」

「このくらいは待たせたうちに入りませんよ」


 フレイが奏との出会いを回想しているうちに、着替えが終わったらしい。

 奏とリゼットの笑い声に、フレイの思考が現実に戻ってくる。


(そうだった。これから俺が指導するんだったな)


 何の因果か、もう会うことはないだろう、と思っていた奏の指導役になってしまった。

 十中八九、スリー・リーゼンフェルトが口添えしたと思うのだが、団長命令では仕方ない。


「今日だけは許してやる」


 貴重な時間を奪うからには楽しませてもらおう。フレイはニヤリと笑った。





「それでは、私はここで見学させてもらいます。頑張ってください。カナデ様」

「行ってくるね!」


 奏は、リゼットに着替えさせられた真新しい騎士服に気分が高揚していた。

 白を基調にした騎士服は、当然動きやすさを考えた作りをしていて、とてもしっくりくる。

 ただ、女性騎士が着るということを想定しているせいか、意外に可愛らしい感じのデザインだ。今朝リゼットに進められたドレスと比べると、比べものにならないほどシンプルであった。

 女性用なのにスカートじゃないのがいい。基本的には男性の騎士服と全体的なデザインは変わらないようで、フレイの服装ともよく似ていた。


「フレイさん? よろしくお願いします」

「フレイでいい。こちらこそよろしく。カナデ様?」

「……奏でいいから」

「カナデね。分かった」


 奏は眉を顰めた。フレイは感じが悪い。様をつけて呼ばれたのに、すごく馬鹿にされた感じがする。まだ今朝のことで怒りを解いていないようだった。


「初日だからな。加減はしてやる」


 簡単な柔軟から始めることになった。


「身体が固すぎる。それでよく訓練に混ざるなんて言えたな」

「ううっ……」


 背後から背中を強引に押され、奏は呻いた。弱っていた身体で運動などできるはずもない。固くて当然だろう。

 グイグイと押してくるフレイに抵抗を感じつつも、奏は黙々と身体を動かす。慣れないことに四苦八苦しながら、どうにかフレイについていく。


「剣は使ったことは……あるわけないか」


 基礎的なことを終えると、フレイはしばらく考え込んでいるようだったが、訓練用の木剣を手にすると言った。

 「聞くだけ無駄だ」とでも言いたげな口調に奏はカチンとくる。最初から友好的とは言い難い態度だったけれど、レイはきちんと指導をしてくれるから我慢していた。

 しかし、こう何度も何度も気分の悪くなるようなことを言われると、我慢するのも限界だった。


「フレイは根に持つタイプなの!?」

「なにを言っている?」

「怒っているでしょ!」

「今朝のことか?」

「そう!」


 しれっと言うフレイに奏は憤慨する。終わったことをネチネチと嫌な奴だ、と。


「今朝のことなら、もう怒っていない」

「じゃあ、どうして機嫌が悪いの!」

「機嫌? 機嫌なら悪くない」

「嫌味ばかりいうのは怒っているからでしょ!」

「この程度が嫌味か?」


 「受け取る側に問題がある」と言わんばかりだ。


「性格悪いって言われるでしょ!」

「言われたことないな」

「嘘!」

「優しいと評判だ」


 ああ言えばこう言う。ふざけているとしか思えない。フレイの冷静すぎる態度に更に怒りが増す。

 奏は一人ヒートアップしていた。フレイが笑いたいのを我慢していることなど、冷静さの欠けた奏には見抜けるはずもなく、半泣きで喚き散らす。


「もういい! フレイになんか教わらない!」

「おい。泣くほどか……」


 半泣き状態の奏に、流石にやり過ぎたか、とフレイは動揺する。今にも団長に抗議に向かいそうな様子に慌てて引き留める。


「悪かった! もう怒らせるようなことは言わない」

「信じられない。性格はすぐに変わらないでしょ!」

「普段は違う」

「じゃあ、どうして?」

「……今朝のことは本当に怒っていない」


 突然、歯切れの悪くなったフレイ。奏の荒ぶっていた感情が徐々に収まってくる。


「怒ってないなら何?」

「機嫌が悪いように感じたなら、たぶん緊張していたからだ」

「え? 緊張していたの?」

「召喚された*****様だろう。自覚ないのか?」


 奏は目を見張る。最初からわりと普通に接していたのに、緊張していたなんて驚きだ。


「まあ、多少は意趣返しをしてやろうと思ったけどな」

「!」


 悪びれた風もなく言ってのけるフレイ。奏の目が吊り上がる。


「やっぱり性格悪い!」

「あーはははっ!」


 フレイはついに我慢できずに爆笑した。


「悪かったって。いい加減に機嫌直せよ」


 満足いくまで笑い倒したフレイは、ふて腐れてしまった奏に改まって声をかけた。

 訓練場にいる数人の騎士達も注目している。そのうえ、遠くから威圧するかのようなリゼットの視線を感じる。

 奏は訓練場の隅にうずくまって全身でフレイを非難していた。泣いていると見せかけてフレイの隙を窺っていた。


「フレイ覚悟!」

「!」


 完璧に意表を突かれたフレイは、奏の手加減なしの攻撃をよけきれずに受けて、派手に吹き飛ばされる。


「……っ」

「フレイ!」


 奏は倒れたフレイに驚いて駆け寄る。痛みに呻いている様子に蒼白となる。

 意表をついたとはいえ、フレイに攻撃が届くとは思っていなかっただけに。


「フレイ! 怪我をしたの!?」

「……大丈夫だ。驚かせるなよ」

「血が!」


 フレイの額から血が流れていた。傷自体は深くなさそうだが、奏は慌てふためく。


「ああ、少し切ったか」

「て、手当てしないと!」

「このくらいで騒ぐなよ」


 ゆっくりと立ち上がったフレイは、慌てふためく奏の頭に手を置くと落ち着かせるように言う。


「すごい瞬発力だな」

「なにいっているの。本当に大丈夫なの?」

「打ち身にはなりそうだが、たいしたことはない」


 奏は不安そうにフレイを見つめた。確かに出血はそれほどでもないように見えるが、痛みに呻いていた姿を思い出せば、フレイの言葉を鵜呑みにはできない。

 奏はフレイに近づくとそっと手を伸ばす。


「こら。どこ触る気だ」

「確認させてよ」

「やめろ。噂にでもなったら困るだろ」

「なんでそうなるの」


 何が問題なのか分からず、奏は怪訝な顔をする。怪我をしていないか確認したいだけなのに、一体どう噂になるというのか。


「無暗に男の身体に触るな。どうなっても知らないからな」


 冷たく拒否するフレイにションボリとする奏だったが、リゼットが拒否された理由を教えてくれる。


「そうですよ。フレイ様は独身で人気ですから怖いことになりますよ」

「リゼット!」

「心配になってきてみればカナデ様は無防備すぎますね」


 騒ぎになってしまったようだ。奏を心配したリゼットが駆け寄ってきた。


「フレイってもてるの?」

「意外そうな顔をするな」

「いや、だって……」


 奏は言葉を濁した。確かにフレイは整った容姿をしている。鍛え抜かれた身体をしているし、見た目だけなら文句なしにかっこいい。あくまでも黙っていればの話だ。


「うん、頑張って」

「どういう意味だ?」

「その性格を気にしない人が、きっとどこかにいるから!」

「いい度胸だな!」


 フレイは暴言を吐いた奏の頭をつかむと絞め上げる。


「痛いってば! 離して!」

「暴れるな! 傷に響くだろうが!」

「二人とも、注目されていますよ?」

「「え!」」


 リゼットの言葉に二人は同時に離れる。


「何を遊んでいる」

「団長!?」


 奏の存在はそこにいるだけで注目されていた。二人は騎士達がさりげなく様子を窺い、邪魔をしないように気を遣っていたなどとは知る由もなく、大騒ぎをしたのだ。

 気が気ではなくなった騎士達が黙っていられなくなり、団長であるパトリスを呼びに行ってしまったとしても仕方ないだろう。


「怪我をしたなら医務室へ行け」

「いえ、怪我は問題ありません」

「それならば、カナデ様と打ち合いもできるな?」


 パトリスはそう言うと持っていた木剣をフレイへ放り投げる。


「カナデ様。オーバーライトナーに攻撃されたら避けてください」

「え?」


 奏はパトリスの言葉に慌てる。いきなり何が始まるというのか。


「オーバーライトナー!」

「は!」


 木剣を持ったまま茫然としていたフレイだったが、パトリスの声に思わず反応してしまう。条件反射のように構えて木剣を振りぬく。

 目の前にいたカナデは、信じられないものでも見たように顔を歪めたが、咄嗟に身体を反らせてフレイの攻撃を避ける。


「どうして!?」

「……ちゃんと避けろよ」


 聞かれたフレイは困惑の表情を浮かべている。それでも団長命令に従わないわけにはいかないようだ。


「!」


 迷いのあったフレイの攻撃が、だんだんと熱を帯びてくる。奏は必死に避けてはいたが、時々掠めていく木剣に恐怖を感じる。


「あっ!」


 奏は混乱状態になりほとんど直感で動いていた。考えている暇をフレイが与えてくれない。

 逃げ惑っているうちに、足元の小石に気付かず躓きそうになる。体勢を崩すとフレイの木剣が迫ってくる。


ドン! ゴ、ゴゴゴゴゴゴ!!


 フレイの攻撃を避けられそうになく、奏が覚悟をするように瞳を閉じたその時、身体がふらつくほどの地響きが襲ってきた。


「危なかった……」


 体勢を崩して支えきれなかった奏の身体は、地面に激突する前にフレイが抱き込むようにして支えてくれていた。

 フレイの木剣は奇跡的に軌道を変え、奏に怪我を負わせることはなかった。


「じ、地震?」

「かなり大きな揺れだったな」


 大きな地震にフレイは表情を険しくする。


「平気か?」

「う、うん。大丈夫」


 奏はフレイに抱き寄せられて動揺していた。地震にも驚いたが、今は別の意味で心臓がバクバクしている。


「これは被害が出ているかも知れない」

「状況確認をしろ」


 訓練場は騒然となった。騎士達は慌ただしく動き始める。


「カナデ様。部屋に戻りましょう」


 リゼットに促される。


「でも……」

「今日はもう訓練どころじゃない。カナデは部屋で待っていろ」

「フレイはどうするの?」

「被害状況を確認しに行く。ここは平気そうだが他はどうか分からないからな」


 フレイはそう言うと騎士達に合流するために駆けていった。

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