第2話 誤魔化すにしても聞いてないんで

 眩しいくらいの光を感じる。奏は眩しさに目を細めて慣れるのを待った。


「ようこそおいで下さいました。*****様」

「*****様、どうぞ声をお聞かせください!」


 光に慣れた視線を向けると口々に言葉を浴びせられて奏は驚く。

 そもそもこんなに大勢の人々が、まるで奏を出迎えるように集まっていたことに困惑した。どこか広い場所にいるようだけれど、奏はどこかも分からずに視線を彷徨わせる。


「そう煩くするな。驚かせてしまっただろう。すまないな」


 奏が困惑していると声がかけられた。近くから聞こえてくるのに、見える範囲にその人物は見当たらなかった。

 視線を彷徨わせていると、奏の前に集まっていた人々が声の主に道を譲るように脇へ移動してく。目の前に目の覚めるような金髪に紫眼の美丈夫が現れた。奏は一瞬息が止まった気がした。これほどまでの美形にお目にかかったことがなく、異性に免疫のない奏は激しく動揺する。


「名前を聞いても?」

「……奏といいます」

「カナデか。いい名前だな」


 人々が道を譲ったのだから身分は高いのだろう。それなのに随分と気さくに声をかけてく人だった。


「あの、ここは?」

「セイナディカという国だ。カナデは*****として俺が召喚した」

「……召喚」

「カナデは異世界からきたのだろう?」

「分からないです」


 奏は曖昧に言葉を濁す。


「カナデ、突然のことで混乱しているのだろう。こんなことは本来すべきでないことは分かっているが……。カナデは*****として**を***くれないだろうか」


(何を言われているか、さっぱり分からない……)


 奏はこの世界へ来る前に、イソラから言われたことを思い出していた。話によれば、別の世界へ行っても不自由がないように言葉が翻訳されるはずだった。それなのに肝心な部分は全く翻訳されていない。療養中は不要な雑事に煩わさないように、イソラが仕掛けをしたらしいので、そのせいかもしれない。


 それにしても召喚されて来たことになっていることが驚きだった。事実は全く違うけれど、イソラには目的を伏せておくように約束させられていたので、こちらの事情は知られるわけにはいかないとすれば、言動には気をつけなければならないだろう。


「あなたは王様よね」

「そうだが……よくわかったな」

「そういう感じだから」

「そうか?」

「だから、名乗りもせずに一方的に話を進めようとしたり、勝手に触ろうとしたり、偉いから許されると思っている。権力者はそういうものなの?」


(ああ、言っちゃった。本当にこれでいいのかな……)


 奏は王様に近づかれて手を取られそうになった瞬間、咄嗟に身をひるがえしていた。べたべたと触れられたくなかったことも理由の一つだけれど、イソラに授けられた作戦を決行している最中だからだ。


 イソラの作戦とは「とにかく舐められないように横柄な態度でいること」というハードルの高いものだ。「最初が肝心だ」なんてイソラは言っていたけれど、王様を相手にこんなに偉そうな態度でいいのか、と奏は不安になる。

 けれど、王様は生意気な態度を咎めるどころか謝ってきた。あまりの腰の低さに奏は眼を瞬く。


「悪かった。俺はゼクス・ヴァイゼ・アーベントロート。セイナディカ王国の王だ」


 話している途中、ゼクスはじりじりと奏に近づいてくる。そのままどこかへ連れ去られそうな圧力を感じて、奏は戦々恐々とした。

 逃げ出したい気持ちで一杯になるけれど、冷静に対処しなければならない。何しろ色々と誤魔化さなければいけないことが多すぎるから。

 けれど、当たり障りのない会話を続けるのは意外に難しかった。段々と奏は焦り始めていた。


「仕事にいかなくていいの?」

「仕事中だ」


 焦る心がおかしな質問を吐き出させた。ゼクスに冷静に返されて、うぐっと言葉に詰まった奏。仕事を理由に早々に退場してくれればいいのに、という甘い期待はあっさり砕け散った。

 奏はひっそりと溜息をついた。追い払おうとして失敗するだけなら未だしも、ゼクスがやけに近くて緊張するし、ゼクス以外の存在が無言で様子を窺っていることも溜息の原因だった。ゼクスがいるから大勢に詰めかけられずにいるけれど、人々の好奇の視線は居心地が悪くて堪らなかった。

 

「部屋を変えて落ち着いて話をしないか?」


 奏の溜息をどうとったのか、ゼクスがそう提案してきた。本格的に召喚理由を話すつもりらしい。説明されても翻訳されないので意味がないのだけれど……。


「ごめんなさい。疲れているから……」

「休めるように部屋へ案内させよう」


 ゼクスはあっさり身を引いた。顔色を窺ってくるゼクスの視線が、気になって仕方ない奏の様子に気付いたようだ。

 奏は一度一人きりになりたくて無理を通した自覚があった。異世界へ渡ることは事前に知らされてはいても、召喚という状況に混乱していないわけではなかったのだ。頭を整理するためにも一人で考えたかった。





 今朝はやけに気分がいい。こんなに気分がよく目覚めたのはいつぶりだろう。奏はゆっくりと身体をベッドから起こす。いつもなら身体が重く感じて、すぐには起き上がれず、朝から憂鬱になっているというのに、身体が軽く感じるというだけで、とても幸せな気分になった。


 ついに別の世界へやって来てしまった。経緯はどうであれ、これからはここで生活していかなければいけない。

 無事にこちらの世界の人たちと交流できたかといえば、不安しか感じないようなゼクスとの会話を思い出して、奏は少しばかり気が重くなった。

 昨日は中途半端に会話を打ち切ってしまっている。まだ早朝とはいえ、ゼクスが昨日の続きを話すために、部屋までやってきそうな予感がしていた。


「おはようございます。カナデ様」


 奏が目覚めたことに気付いたのか、侍女のリゼットが声をかけてきた。昨日部屋に案内された際に紹介された女性だ。

 初対面から好意的で、気さくに声をかけてくれるリゼットを、奏はすぐに好きになった。


「おはよう」


 慣れない呼び方に苦笑しつつ挨拶を返す奏。そんな奏の戸惑いに気付きつつも、笑顔を返してリゼットは、テキパキと着替えを手伝い始める。


「これ本当に着るの?」


 リゼットに用意されたドレスを見て、奏は顔を盛大に引き攣らせた。どこのお嬢様と言わんばかりの装飾を施されたドレスは、シンプルな服装を好む奏には正直辛すぎる。

 これを着るのが目の前にいるリゼットなら、可愛らしい容姿によく似合うと思うけれど、自分が着ると思えば、なんの拷問なのか、と思ってしまう。

 絶対に似合わない自信がある。というか笑われたくないからやめて欲しい。成人しているのにフリルに埋もれたようなドレスは痛すぎるだけだ。


「似合うと思いますよ」

「いやいや、似合わないから! もっと大人しい感じのないの?」

「ここにはございません」


 リゼットが満面の笑みでフリルのドレスを手に迫ってくる。ジリジリと奏は後退していった。


「とりあえず、昨日の服を着るよ」

「そんな! あんまりです!」

「な、泣くほどって……」


 断固とした拒絶をすると、嫌々と首を振ってリゼットが半泣き状態になる。しかし、そんなに期待をされても痛いドレスは着られない。


「明日! 明日ならドレス着てもいいから!」

「本当ですか! 絶対ですよ!」

「大人っぽいやつでお願いします……」

「わかりました!」


 泣き顔から一変したリゼットに詰め寄られる。奏は約束したことを物凄く後悔した。嫌な予感しかしない。可愛い子に弱い自分の性格を恨んだ。


「朝食はゼクス様と一緒にされますね」

「え? なんで?」

「聞いていませんか? ゼクス様は一緒にとおっしゃっていましたが……」


 ブルブルと首を奏は横に振った。普通は王様と朝食なんかしないだろう。これが普通なのかも知れないけれど、昨日はゼクスから逃げているので、出来れば遠慮したかった。


「王様は庶民派?」

「ゼクス様は身分に関係なくお優しいですよ」

「へぇ、意外。俺様っぽいのに……」

「どういう意味ですか?」

「う~ん。結構強引な感じが……」


 間違った印象ではないと思うけれど、まだ知り合ったばかりだから断言はできない。身分に関係なく優しいと、何だか慕われている様子に余計なことは言えなかった。


「ゼクス様に何かされました?」


 恐る恐るといった様子でリゼットが聞いてくる。心当たりがありそうだ。


「何かされた訳じゃないけど、いちいち近いというか……」


 ゼクスの距離が初対面にあるまじき近さだったため、奏の戸惑いは大きかった。リゼットは理解したというように頷き、恐いことを言い出す。


「*****様を逃がしたくないという気持ちが、態度に現れてしまったのですね!」

「ええ!? 逃がさないって怖いじゃない」


 奏はブルリと震える。いきなりストーカーに遭遇したなんて思いたくはなかった。


「ゼクス様はカナデ様にメロメロだという噂がありますから」

「昨日会ったばかりなのに! どうしてもうそんな噂が流れるの!?」

「それは昨夜……」

「いやいや、言わなくていいから!」


(昨夜って! いったいどうなっているの!)


 たった一晩で流れるような噂の真相など知りたくはない。奏はリゼットの言葉を遮ると、何気なさを装って部屋を出ようとする。


「どこへ行く気だ?」

「へ?」


 笑顔でリゼットを誤魔化しつつ部屋のドアを開けると、機嫌が悪そうな声が頭上から聞えてきた。

 本当にゼクスが部屋までやってきた。思わず部屋のドアを閉めようとすると、強引に身体を割り込ませてゼクスが部屋に侵入してくる。ゼクスは反射的に逃げようとする奏の腕を容赦なく掴んだ。


「ゼクス様! おはようございます!」

「おはよう。朝から騒いで悪いな。カナデはこのまま連れて行くから後は頼む」

「はい! お任せください!」


 奏を逃がさないように捕らえているのに、何事もなかったように会話を続ける二人。奏は恨めし気に二人を見つめる。


「体格差に任せて押さえ込むなんて卑怯!」

「ん? 手加減してくれたのか?」

「手加減するのは王様でしょ!」

「何を言うかと思えば……。カナデは優しいな」


 話がかみ合っていない。奏の頭は疑問で一杯になった。


「理解不能」

「説明不足だったな。朝食のときにでも昨日の続きを……」

「朝ご飯は食べない派だから!」


 実際は朝から食べられないことが多いというだけなのに誇張して告げる。何より逃げ出すことが先決なので。


「そ、そうか……」


 思わぬ返答に驚き、押さえ込む力を抜いたゼクスから強引に逃げ出した奏。咄嗟に捕まえようと伸ばされた手を振り切って、部屋から飛び出して行く。ゼクスの目の前で扉を勢いよく閉めた。


「こら! どこへ行く!」

「カナデ様~!」


 二人の慌てふためく声が部屋から聞こえてきたけれど、奏はそれを振り切るように足早に駆け出す。


(嘘! なんでこんなに身体が軽いの!)


 奏は二人から逃亡をはじめてすぐに身体の感覚の違いに歓喜する。

 昨日は思った以上に疲れていたからか、普通に過ごせることにそれほど嬉しさは感じなかった。重かった身体はここへ来る前に解消されていたし、イソラが言うように療養に適した環境ならいつもより元気であることは予想できたからだ。

 けれど、普通以上に元気が漲ってくるのはどういうことだろう。無理をしないなら、生活するのに支障がないという程度なのか、とあまり期待はしていなかったのに。


「もしかして全力で走るとか? できたりする?」


 奏は自分の考えにゴクリと喉を鳴らす。本当なら嬉しすぎてどうにかなってしまいそうだ。


 追ってくる二人の声が遠くから聞こえてくる。二人を撒くために、適当に廊下の角を曲がり続けたおかげなのか、二人の声が近くなってくることはない。


 奏は一歩を慎重に踏み出す。さらに一歩。もう一歩。一歩、一歩、一歩──。

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