療養先は!?

百瀬咲花

第1話 希望は自称神様から

 最初は風邪を引いたとか、頭が痛いとか、そんな小さな症状だった。それが段々とひどくなり、気がつけばベッドから起き上がれなくなっていた。


 体調不良はいつものこと。小さい頃から虚弱体質で、季節の変わり目には風邪を引くのは当たり前で、そんな慣れからか自分の身体がどれだけ弱いのか忘れてしまっていた。


 酷く眩暈がする。こんな状態になってようやく、天崎あまさきかなでは自分の認識の甘さを痛感した。


 両親が事故で他界した後、奏はあまり他人を頼ることをしなくなった。両親の知人には「一人で頑張り過ぎないように、何かあれば頼って欲しい」と言われていたのに、仕事で迷惑をかけている自覚があり、なおさら頼れなくなっていた。


 長引く体調不良に渋々と病院に行けば、とても珍しく治療が難しい病気との診断。「治る見込みは薄い」と診断されてしまえば、仕方ないかな、とそう思うだけだった。

 そして現在、誰にも相談出来ずに後悔する羽目になっている。


 昨日はまだ起き上がれた。言い訳するわけではないけれど、一晩すれば体調不良も良くなるだろうと楽観的に構えていた。処方された薬は、どうせ気休めにしか過ぎない薬だからと飲まずにいた。


 とても寒くて苦しい。色々な感覚が遠くに感じる。


「助けて、神様……」


 もう自力で起き上がって助けを呼ぶことはできそうにない。囁きのような言葉を誰が拾ってくれるわけでもない。

 それでも死ぬかもしれない不安から何かに縋りついてしまったのは、死から逃れようとする本能かも知れない。「苦しい時の神頼み」とはよく言ったものだ。

 だから、本当に助けを求めたわけではないのに、口から勝手に零れていた。


 しかし、返ってくる言葉はない。奏は離れていく意識を保つことを諦めた。





「これ死んでいるのか?」


 どこからか聞こえてきた声に奏の意識がわずかに戻る。


「死にかけているな……」


 急に聞こえた男の声の近さに、奏は身じろぎもできずに思考を巡らす。


(とうとう迎えがやってきたのかな……)


「……いや、迎えじゃない」


 こんな一人暮らしの女の寝室に無断で忍びこんで、どうしようというのだろうか、と奏は急浮上した意識で色々な可能性を脳裏に浮かべる。


(強盗とか?)


「強盗のわけない」


(死にかけているから何でも盗めるのに。……だったら、あとは変質──)


「おい、変質者ってなんだ!」


 奏の思考を遮り、男が慌てたように大声を上げる。


(襲うなら今が絶好のチャンスなんだけど……。もう死ぬから後腐れもないし……。それとも死んでからがいいとか?)


「助けを呼んだのは、お前じゃないのか……」


 相手をするのが疲れたとでも言いたげな声音だった。

 侵入者に助けを求めた覚えはなかった。奏はただ、いるかもわからない神様に縋っただけだ。


「だから、俺が来た」


 それが本当ならこの男は神様ということになる。にわかに信じがたいことだった。


「迎えは来ていないな。ということは……」


 自称神様がブツブツと何やら言いながら、近づいてきた気配がした。


「移動するぞ」


 男はそう言うとぐったりとしている奏の身体を持ち上げた。突然の男の暴挙にパニックになりかけた奏は、身体が動くわけでもなく、無抵抗で連れて行かれた。


 男の動作は決して乱暴ではない。それでも移動は奏にとっては苦痛であった。男はゆっくりと奏に気遣うように歩を進めているけれど。

 しばらくすると奏の身体から苦痛が遠ざかる。不思議なことに何故かそう感じたのだ。


「眼を開けられるか?」


 男も苦痛の表情を和らげた奏の様子に気付いたようだ。

 奏は瞼に力を入れてみたけれど、持ち上げられそうになかった。ただ、少しだけ光を感じることができた。


「無理はするな」


 そうして気遣う男に運ばれているうちに、徐々に身体の感覚が戻ってくるようになった。冷たくなっていた指先の感覚も足の感覚も、力こそ入らなかったが戻っているようだ。

 奏の目から一筋の涙がこぼれ落ちた。


「ここは……」


 身体がポカポカと温まり、奏は目を覚ました。


「ようやく目覚めたか」

「え?」


 ぼんやりした視界に一人の男が飛び込んできた。まだ目覚めたばかりで状況を把握できていない奏に、男はのんびりとした調子で声をかける。


「茶でも飲むか?」


 湯呑にお茶を注いだ男は、奏の前にズイッと押し出した。


「水がよかったか?」


 奏が湯呑に手を伸ばす前に、今度は水の入ったペットボトルが目の前に置かれた。喉が渇いていた奏は、遠慮なくペットボトルに手を伸ばす。


「ありがとうございます」


 喉を潤すと随分と落ち着いてきた。寝起きの感覚を引きずってはいるものの、身体の不調はあまり感じることはない。多少だるいといった程度だ。


「俺のことは覚えているか?」

「……え~と、自称神様?」


 目の前にいる男に見覚えは全くなかったけれど、声に聞き覚えがあった奏は、目覚める前のことを思い返していた。

 死ぬかも知れない、と思った時、突然現れた男にどこかへ連れて行かれたことは、何となく覚えている。


「自称かよ。まあいい。信じるも信じないも好きにすればいい」

「そうですね……」


 投げやりな男の言葉に思わず頷く奏。自分でもどう考えたらいいのかまとまらず、目の前の男を眺める。


 歳は三十代後半といったところだろうか。肩につく長さの茶色の髪で、スッキリとした目鼻立ちをしていた。鋭い目つきがやや怖さを感じさせる。


 奏が想像する神とはイメージがかけ離れていた。近寄りがたい雰囲気とか、人間らしくない美しさとか、神にはそんなイメージを持っていた。

 印象的な琥珀色の瞳が、唯一神様と言われれば神様らしい特徴かもしれない。身長は座っているのでよく分からないけれど、身体は鍛えていそうだった。

 そして、自称神様は妙に色気のある男であった。


「コタツは身体を温めるには丁度いいだろう」


 何故コタツなのだろうか、と奏は一瞬考えただけで、それを口に出してはいなかった。

 そういえば意識が戻るまで声を出していない。それなのに普通に会話が成立していることが不思議である。


「えっと自称神様。考えている事がわかるとか?」

「イソラと呼べよ」


 「自称神様」と呼ばれるのが嫌なのだろう。奏は素直に名前を呼ぶ。


「イソラさん」

「さんはいらないぞ?」

「年上の人を呼びすてはないです……」


 明らかに年上の男性を呼び捨てにできない。奏がそう言うとイソラの口角が上がる。


「俺は変質者じゃなかったか?」

「うぐっ」


 意外に根に持つタイプなのか、意識が朦朧もうろうとしていた中で思ったことを揶揄されて、奏は言葉に詰まった。


「全てが分かる訳じゃないが、口がきける状態じゃなかったからな。会話ができるなら必要ないことだ」

「今は会話できますけど……」


 あまり考えを読まれることは嬉しくない。意思疎通ができるようになったのなら止めて欲しい。そんな気持ちでジッと窺うと、イソラは視線を反らす。


「……もうしない」


 考えている事が分かるように何かしたらしい。イソラは少しバツが悪そうだ。


「お手数をかけました」

「突然どうした?」


 驚いたイソラの視線が奏に向く。奏は不安そうな顔をするイソラに考えていることを明かす。それから感謝していることも。


「どうして生きているのか分からないですけど、助けようとしてくれた事には感謝しています。でもこの先……生きていけるとは思えませんけど……」

「諦めるっていうのか?」

「諦められなくて迷惑をかけていると思っています」


 今こうして会話するほどに回復しているのはイソラのお陰である。何をしてくれたのかは分からないけれど、イソラが奏の求めた助けに応じてくれたから、こうして死を前にして穏やかでいられる。それだけで救われた。


「諦める必要はないんだぞ」

「どうしてそんなこと言えるの……」

「俺は助ける気でいるが、諦められたら助けようがない」

 

 イソラはすっかりしょげてしまった奏の頭を撫でる。


「ここではない世界でなら、あまり不自由なく暮らしていくことはできる」

「え? どういう……」

「詳しいことは話せない。ただ、そこでなら病気は落ち着くはずだ」

「……治る?」

「いいや、それは難しいな。……まあ延命措置だ」


 奏は意味が分からず、イソラの次の言葉を待つ。説明を促すように見つめる。


「身体にとって負担が少ない。後はそこで体力をつければ、回復する見込みもでてくるだろう」

「……また帰ってくることはできる?」

「お前次第だ」


 「諦めなければ希望がある」と言うイソラに、奏はすぐに頷くことはできなかった。


「もちろん不安はあるだろう。だが、俺が提示できる選択肢は他にない。療養と思って行ってみたらどうだ?」

「療養……」

「あれだ! 温泉へ湯治に行く。あー、湯治って通じないか……。じゃ、高原に静養に行くみたいなものだ。今時、高原はないか……」


 何故かどんどん自信なさげに説得をはじめるイソラを見て、突然笑いがこみ上げてきた奏は肩を震わす。

 そんな奏に更なる説得を試みようとして言葉が見つからず、イソラは黙り込む。


「……ふふ。イソラは面白いこと言うね」


 ついに我慢ができなくなり奏は笑い出す。イソラはどこに笑いのツボがあったのか分からずに面食らっている。


「元気が出てなによりだ……」


 イソラは釈然とせず顔をしかめた。そんなイソラを尻目に奏は笑顔を見せる。


「うん。行ってみるね」

「そうか」


 奏はこの提案を前向きに考えてみることにした。死に際に命を助けてくれた恩人のことなら信じていいかも知れない、と。

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