エロスの気紛れ
水樹詠愁
エロスの気紛れ
よくよく考えたら、運のない人生だった。子供時代は、優しい両親のおかげで、なに不自由なく育った。でも、大学受験の頃から歯車が狂い始めた。自分で言うのも恥ずかしいが、高校の成績は常に上位で、有名大学にも余裕で入れると思っていた。しかし、人生何があるかわからない。本命の受験当日に体調を崩し、フラフラになりながら受験はできたものの、結果はもちろん不合格だった。仕方なく、滑り止めに受けた大学に入学した。
人とのコミュニケーションは多少苦手だったが、その分、大学では勉強に打ち込んだ。理工系の学部だったのでIT系の資格も取ったし、就職で挽回するつもりだった。しかし、世の中そんなに甘くない。就職試験では最終面接までは行くものの、内定がなかなか取れなかった。最終的には、スマホゲームを作るベンチャー企業に就職できたが、この選択が更に人生を狂わせることになった。入社前の説明では、スキルさえあれば、成果や能力に応じて給料が上がるはず…だった。しかし、深夜残業は当たり前。しかもそのほとんどがサービス残業。さらに、上司の失敗の
仕事の引継ぎを終え、私物を整理してから、会社を後にした。すでに時間は退社時間を2時間も過ぎていた。
「最後の最後まで残業かぁ」
こんなブラック企業には何の未練もないが、これからどうして生きて行こうかと不安が頭を
「そういえば、三日ぐらいまともな食事をしてないなぁ」と独り言が口に出た。ポケットをさぐると、
「不吉な予感・・・、って言うか、これって死亡フラグだろ」と心の中で毒づいた。
よく見ると、黒猫は、金色に輝く眼光は鋭いものの、ひどく痩せこけていた。
「お前も
ふと我に返って、周りを見回した。会社の最寄り駅までのいつもの通勤路を歩いていたはずだが、入り組んだ路地に迷い込んだらしい。いつもの道に戻らなきゃと、道を探していると、薄暗い路地から不意に声を掛けられた。
「お兄さん、死にたいのかい?」
恐る恐る声が聞こえた路地を
「猫の
あの黒猫は、このお婆さんの飼い猫だったのかと、黒猫と老婆のステレオタイプな組み合わせに妙に納得した。
「あ、あなたは魔女ですか、それとも死神ですか?」
「面白いことを言う若者じゃ。魔女でも死神でもありゃせん。でも親戚には、そんな奴がおるがなぁ」と薄気味悪く笑った。
どうせタダなんだから、どんな風に死ぬのかを占ってもらおうと思って、意を決して
「あたしは手相は見ないよ。顔をよく見せておくれ」
「ふむふむ・・・。わかった。仕事が無くなって落ち込んでいるようじゃな。しかし、人生、山あり谷あり。こんなことは、人生にはよくあることじゃ」
「うっ・・・」老婆の顔が一瞬曇った。
「近々(ちかぢか)、大きな出会いがあるじゃろう。ただし、くれぐれも車には気を付けるんじゃよ」
二度目の死亡フラグが立った。そうか、俺は車に
お婆さんにお礼を言って、暗い路地を
「危ない!」
気付けば、とっさに体が反応して、その女性を突き飛ばしていた。なるほど、俺はこうやって死ぬんだ。死ぬ前には、今までの記憶が走馬灯のように流れていくと誰かが言ってたけど、本当かな?と頭の中は意外と冷静だった。キキーッと言う急ブレーキの音を聞きながら、意識が遠のいて行った。
「赤信号で渡る奴があるか!」と運転手が怒鳴って、大型トラックが交差点から走り去っていった。
「しっかりして下さい。大丈夫ですか?」
間一髪。どうやら、急ブレーキが間に合って、まだ死ねなかったようだ。気が付くと、見知らぬ女性に抱きかかえられていた。心配そうに俺の顔を覗(のぞ)き込んだ女性は一瞬天使に見えたが、よく見るとOL風の若い女性だった。夜風に運ばれ、その女性からバニラのような香水の匂いが
「だ、大丈夫です」と言った途端、匂いに刺激されておなかがグーッと大きくなった。恥ずかしさで、青ざめていた顔が一気に
「あのぉ、助けて頂いたお礼と言っては変ですが、食事に行きませんか?」
俺は、彼女の行きつけらしいお
「こんなに豪快に食べる人は見たことがありません」と女性が言った。
「いつもは小食なんですが、3日ほどまともなものを口にしていないんで」と言い訳した。
「あらためてお礼がしたいので、連絡先を教えてください」と言われたので、メールとLINEのアドレスを交換した。そのあと色々あったが、この出来事がきっかけで、俺はその女性と付き合うことになった。付け加えると、彼女の叔父さんが経営する、堅実でホワイトなIT系企業に再就職することもできた。
その後、あの占い師にお礼を言おうと、何度もあの路地を探してみたが、あの時の路地を見つけることはできなかった。あの時の老婆は、人間界に降りてきた神様だったんだろうか。もしそうなら、タナトスの
人生、何が起こるかわからない。ふと、老婆に羽の生えたキューピッドを想像したら、吹き出しそうになった。さぁ、これから彼女とデートだ。
エロスの気紛れ 水樹詠愁 @super_hideking
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