天使 4話
きさらさんのお店、クマ屋のドアが、カランカランという音といっしょに開きました。
「いらっしゃいませ」
きさらさんがいいました。
お店に入ってきたのは、黒いセーターと黒いジーンズをはいた少女でした。髪の長い少女は何もいわず、お店の中のクマを見てまわっていました。
きさらさんは、まだ小学校の終わる時間じゃないのに、この少女はどうしたんだろうと少し考えました。
「お気に入りのクマがなければ、お作りもしますよ」
きさらさんがそういっても、少女は何もいいませんでした。
きさらさんも、あまりおしゃべりが好きな少女じゃないんだとだまっていることにしました。
少女の目が、ネコのミューミューに止まりました。少女は、ミューミューの前に座り込み、「お前、変な顔してんな」といいました。
ミューミューは、失礼なというようにぷいっと顔をそむけました。
「おっ、お前、人間の言葉がわかるのかい?」
少女はおもしろそうにケケケと笑いました。
ミューミューは、こんな人間は嫌いだと、さっさと立ち上がってきさらさんの後ろにかくれました。
きさらさんを見た少女の顔は、またつまらなそうな顔にもどっていました。
「このネコの名前は、ミューミューというのよ。あなた、よくわかったわね」
「何がさ?」
少女は、手をジーンズのポケットに突っ込み、あごを上げました。
「ミューミューが人の言葉をわかるってことよ」
「つまんね」
少女は、くしゃっと顔をつぶしました。
「あら、ちがったの? 残念だわ」
「何が残念なんだよ」
「だって、ミューミューが私と話をしているってこと、だれもわかってくれないですもの。やっと、理解してもらえる人に会えたと思ったものだから」
「だから、つまんないの」
「そう?」
「その次には『私、クマともお話しできるのよ』っていうんだろ?」
少女は、きさらさんの口まねをしていいました。
「あら、わかちゃった?」
「本気? おばさん」
「ええ、本気よ」
きさらさんは、クマ子さんとレオの方に目を向けました。クマ子さんとレオンは、いつもいっしょにおしゃべりをしているぬいぐるみです。
「ああ、こんな店来るんじゃなかった。ジンマシンがでてきそうだ」
少女は、腕をバリバリかきむしるふりをしました。
「変な話をしてごめんなさい。でも、あなた、なにか用事があってここにいらっしゃたのよね?」
「べつに」
つまらなそうにいいました。
「そう。じゃ、お茶でも飲んでいく?」
「いらないよ」
「そうなの」
きさらさんは、お茶をいれはじめました。
「こんな店、何でやってんの?」
「好きなの」
「クマが?」
「そうよ」
「何でクマなんだよ」
少女は、かざってあるクマの耳を引っ張ったり頭をたたいたりしていました。
「おしゃべり、できるからよ」
きさらさんは、クククと笑いました。
「バカじゃないの、いい年して……、お話しできる、なんていっちゃってさ」
「はい、お茶」
「そこに置いといて」
きさらさんは、ちょっと肩を上げてカップをテーブルの上に置きました。
「こんな店でさ、食べていけるわけ?」
「もうかってるかって聞きたいわけ?」
少女は、うんうんと小さく頭を振りました。
「そうねぇ。ぼちぼちかな」
きさらさんは、もう一度クククと笑いました。
「クマ作ってよ」
少女はぶっきらぼうにいいました。
「どんなクマがお望みかしら?」
少し考えていた少女が「天使」と小さい声でいいました。
「え?」
「聞こえなかった?」
きさらさんをにらみつけ、大きな声でいいました。
「聞こえたわよ。天使っていったわよね」
「そう、そういったの。笑ってもいいよ」
「どうして、笑うの?」
少女は答えませんでした。
「私の望みを叶えてくれる天使が欲しい……。今度は、笑えるだろう?」
「どんな望み?」
「何だっていいじゃん」
「知ってた方が……」
「天使のクマを作ってくれるの、くれないの?」
「作りますよ。でもね、そのクマがあなたの望みを叶えてくれるかどうかはわからないわよ」
「わかってるさ。でも作ってほしいと、今、思ちゃったんだからしょうがないじゃない。おばさんが悪いのよ。おばさんがクマと話ができるなんていうから……」
少女は、きさらさんを恨めしそうににらみつけました。
「いいわ。三日後に来て。ちゃんとあなたの話を聞いてくれるクマを作っておくから」
「うん」
少女は、うつむいて出て行きました。
「きさらさん、変な子ですね」
ミューミューが話しかけました。
「そうね。どうしたんでしょうね。でも、悲しみをいっぱいかかえてることだけは、わかったわね」
「それにしても、変な注文ですね。クマの天使だって」。
クマ子さんがいいました。
「天使のクマじゃないのかな」
レオンが首をかしげました。
三日がたちました。
白いレースの服を着た天使のクマが、きさらさんのお店のカウンターにちょこんと座っています。
「こんにちは」
少女がお店に入ってきました。きょうは、お日様色のセーターを着ていました。
「いらっしゃい」
「天使のクマできてる?」
「ええ、これでどうかしら?」
きさらさんはカウンターのクマを抱き上げました。
「かわいい……」
少女は天使のクマを見てにっこり笑いました。
「天使の羽もついていますよ」
きさらさんは背中を見せました。
「天使の羽……。これ、私の思っていたとおりのクマだよ」
少女は、天使のクマをきさらさんから受け取りました。
「よかった。クマを作っていてね、一番心配なのは、お客さんの思ってるクマになっているかどうかなの。そういってもらえると、ほんとうにうれしいわ」
「でも、ごめん。私お金を持っていないんだ。これは、買えない……」
少女は、きさらさんにクマを返そうとしました。
「そう。じゃ、これは、あなたにプレゼントするわ」
「ほんとう?」
「ええ、思っていたとおりのクマだっていってくれたことが、私は一番うれしいの。どうぞ、持って帰って。でも、どこが一番気に入ってくれたの?」
「ここから帰って行った時、私の望みが叶っていたの」
「まぁ、ステキ!」
きさらさんは大きく目を見はりました。
うん、うんと少女はうなずきました。そしてぽつりと
「出て行った父さんが帰ってきた……」
「帰ってきた?」
「うん、ずっとずっと母さんとケンカばっかりしていて、一ヶ月前ぐらいに出て行ってしまった。もう帰ってこないと思っていた」
「まぁ……」
「きのうは、ケンカはしなかったよ。また、三人で暮らせるかもしんない」
「そういうことなのね。よかったわね」
口をゆがめて、うんうんと少女はもう一度うなずきました。
「それじゃ、やっぱりこのクマはあなたのものね」
「ありがとう」
少女は、天使のクマを抱きしめて帰って行きました。
それから、一週間が経ちました。
きさらさんが、お店のドアを開くと植木の側に手紙を抱いた天使のクマが座っていました。天使の羽にたくさんのシミがついていました。
きさらさんは、急いで手紙を読みました。
『おばさんへ
やっぱりこのクマはお返しします。このクマは天使じゃありませんでした。私は母さんといっしょにおばあちゃんのところへ行きます。だれも私の望みなんて叶えてはくれないことがわかりました。このクマはいりません』
きさらさんの手が、ぶるぶる震えてきました。
「どうしたのですか?」
ミューミューが見上げてききました。
「ううん。なんでもない」
きさらさんは、流れていた涙を手でぬぐいました。
「あ、それは、女の子の天使のクマじゃないですか?」
「そう、いらなくなったんだって。そういうこともあるわよね」
「そういうことって?」
「だから、もう、必要がなくなるってことよ」
「わかりませんよ。あ、天使のクマが泣いてる」
天使のクマの目から、涙がぽとりと落ちました。
「どうして、どうして?」
ミューミューは、きさらさんの足にすがるようにしてききました。
「ごめんなさい」
きさらさんは、天使のクマにいいました。
「あなたは、天使のクマじゃなかったのよ。私がいけないの。みんなに希望を持つようなことをいって……、その結果、みんなを苦しめたの」
「みんなって、だれ? オイラは苦しんでいないよ」
「あの女の子には、天使のクマだといって、この子を渡したのよ。だから、天使だと思っていたにちがいないわ。希望を叶えてくれるって。この子には、あなたは天使だといっちゃったのよ。あの子を助けてねっていいきかせたの。自分は天使だから助けなきゃ、あの子を助けなきゃととずっと思っていたのにちがいないわ」
「天使なんていると思う方がおかしいんじゃないか。自分が天使だと思う方がおかしいよ。そんなの、みんな勝手だよ。勝手に思い込んだだけじゃないか。どうして、きさらさんがあやまるんだよ。どうしてこのクマが泣くんだよ。オイラは、わかんないよ」
ミューミューは、プリプリおこりながら、しっぽをピンと立ててお店に入ってしまいました。
「ごめんね」
きさらさんは、天使のクマにささやきました。
「あなたは、あの女の子を助けられると思っていたのよね。こんなに重い天使の羽をつけてしまってごめんなさいね。これは、とってしまいましょうね」
きさらさんは、羽のよごれたシミは少女の涙だと思いました。
「おばさん」
突然少女の声が聞こえました。
「やっぱり、そのクマをちょうだい」
少女がかけよってきました。
「でも、このクマは、天使じゃないわよ。私はうそをついたのよ」
「いいの。私、きっと、ほんとうに天使が欲しかったわけじゃない。さっき、もうすぐ電車に乗らなきゃいけないと思った時、急にそのクマに話したいと思った。話がしたいの」
「話しがしたい?」
「そう、それだけでいいの」
「天使じゃなくってもいいの?」
「うん、いいの」
「ただの、クマよ」
「うん、それがいいの」
「ほんとう?」
「うん……。だめ?」
「いいえ、とってもすてきなことだわ。この子もあなたと行きたいってさっきから泣いていたのよ。つれていってやって」
きさらさんは、天使のクマを少女に渡しました。
「おばさん、またうそをついてるわ」
「え?」
「このクマ、泣いてなんかいないわ。笑ってるわよ」
少女がにっこり笑いました。
「あら、私がうそつきなのが、ばれちゃったかな?」
きさらさんも、うふっと笑いました。
「ありがとう」
少女が長い髪をゆらして走って行きます。
きさらさんは、少女の後ろ姿が小さくなるまでずっと見送っていました。
了
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