わすれもの 3話


 きさらさんとネコのミューミューが、朝の散歩にこの道を通るのはめずらしいことでした。

 広い通りには自動車がスピードを上げて走っていたし、大きな乗り合いバスの停留所もあり、ミューミューが歩くのには危険だと、きさらさんが思ったからでした。

 しかしその日、気がつくと、ふたりは大通りに出ていました。

「あら、ミューミュー、大通りに出てしまったわ。自動車にひかれないように気をつけて歩くのよ。飛び出しはだめよ」

 きさらさんはたのしそうにとびはねながら歩いているミューミューにいいました。

「だいじょうぶですよ。夜の散歩の時はときどきこの道を通っているんですから」

「まあ、あぶない。この道は通っちゃだめっていったでしょう」

「へいき、へいき」

 ミューミューはきさらさんの言葉が聞こえなかったかのように、ビルの前の生け垣にとびのったり、お店の中をのぞいたりしながらきさらさんの前を歩いていきました。

 そんなミューミューが、バス停の前で急に止まってきさらさんをふり返りました。

「どうしたの?」

「何かいます」

「何がいるの?」

 きさらさんは、ミューミューのところまで小走りで走っていきました。

 バス停のベンチの上には、さみしそうな顔をしたクマのぬいぐるみが座っていました。

「あら、このクマさんどうしたのかしら? 誰かにわすれられたのかしら」

「きっとそうですよ。ここで、バスを待っていた人が、あわててバスにのっちゃったもんだから、わすれちゃったんですよ」

「こんなところにずっとおいておくと、クマさんも汚れちゃうわね。といって連れて帰ちゃったら、取りに来た人ががっかりしちゃうに決まってるわ。どうしましょう?」

「何か、張り紙しておけばいいんじゃないですか?」

「そうね。えっと、何か書くものは持ていないかしら」

 きさらさんは、手提げのカバンの中をさがしました。

「こんな時に限って、紙も、ボールペンも何も持っていないわ」

「ぼくがここで、見張っていますから、きさらさんは家に帰って張り紙を作ってきたらどうですか?」

「ああ、それがいわ。じゃ、ミューミユーお願いね、このクマさんがどこにも行かないように見ていてね」

 きさらさんは、いそいで家に帰ることにしました。

 家に帰ったきさらさんは、白い紙に「クマのぬいぐるみを預かっています。三丁目のクマ屋」と書きました。

 ガムテープもわすれずに持って、もとのバス停に急ぎました。

「あ、きさらさん、早かったですね」

 ミューミューがいいました。

「だれも、クマさんを探しに来なかった?」

「ええ、だれも」

「そう、じゃ、これを張って、連れて帰りましょう。探しに来た人はきっとお店まで来てくれると思うわ」

 

 夕方になりました。

「クマさんを引き取りに誰も来なかったわね」

 きさらさんは窓の外をながめながら、一人つぶやきました。

「そうですね」

 となりで、ミューミューもつぶやきました。

「私、ちょっとバス停まで行ってくるわ。誰かが探しているかもしれないから」

 きさらさんは、急いで家を出て行きました。

 バス停に近づくと、ベンチの周りに黒い制服を着た中学生ぐらいの男の子が三人ふざけながら笑いあっていました。

 きさらさんは、嫌な予感がしました。近づいてみると、やはり、きさらさんの作った張り紙を外して「クマのぬいぐるみだってよ」といいながら笑っていました。もっと悪いことに、男の子達は、張り紙をビリビリやぶりはじめました。

「あなたたち、何しているの?」

 きさらさんは、恐い声で怒鳴りました。

「なーんもしてねぇよ」

 男の子がいいました。

「張り紙を破ったじゃない」

「これ?」

「そうよ」

「これ書いたの、おばさん?」

「そうよ」

「こんなの書いたって無駄だよ」

「無駄じゃ、ありません」

「だって、ちょっと風が吹いたら、飛んでいくぜ」

「そうだそうだ。今だって、外れて飛んで行きそうになってたんだぜ」

 もう一人の男の子が言いました。

「いくら、飛んで行きそうだって、張り直すのが親切ってもんじゃないの」

「無駄無駄」

 男の子達は、破った張り紙をサッと空に向けて放り投げました。

 細かくちぎれた張り紙は、風に乗ってひらひらと飛んで行きました。

「何をするの。もしも、忘れたぬいぐるみがその人にとって大事なものだったらどうするのよ。人の気持ちも少しは考えなさい!」

 きさらさんは怒鳴りながら、破れた紙を拾い集めました。

「関係ねぇよ、そんなの。行こう、行こう」

 男の子達は、きさらさんを振り帰りもせず、行ってしまいました。

 きさらさんは「今の若い者は……」とつぶやきながら、破れた張り紙を持って家に帰りました。


 きさらさんは新しい張り紙を作って、もう一度バス停にやって来ました。すると、黒い制服を着た男の子がまた、ベンチの側に立っていました。

「今度はどんな悪さをしているのかしら?」

 きさらさんがそっと近づくと、気づいた男の子はサッと逃げようとしました。

「ちょっと待ちなさい」

 きさらさんは、男の子の制服をつかみました。

「あ、やっぱり、あなたはさっきの悪ガキのひとりね。今度は何をしていたの?」

 きさらさんを見た男の子は、さっき、一言もしゃべらなかった小柄な男の子でした。

「ぼ、ぼくは、な、何も……」

 よく見ると、男の子の手にはガムテープがにぎられていました。そして、ベンチの背もたれには、あまり上手とはいえない字で『クマのぬいぐるみ、三丁目のクマ屋にあります』と書いた張り紙がはってありました。

「あら、これ、あなたがはってくれたの?」

 きさらさんは、制服から手を離しました。

「はい」

「やっと、悪いことをしたと気づいたのね」

「まあ」

「それにしても、わざわざ、はり直してくれるなんて、ちょっとびっくりしたわ」

「ええ」

「ありがとう。あの時は嫌な気がしたわよ」

「すみません」

 男の子は素直にあやまりました。

「だから、こんな事をしてくれるなんて、本当にうれしいわ」

 きさらさんはにっこり笑いました。

「クマ屋って、おもしろい名前ですね。何のお店ですか?」

「そのままよ。クマのぬいぐるみを作って売っているのよ」

「作っているんですか?」

「ええ、そうよ」

 きさらさんは、男の子が何かいいたそうにしているように見えました。

「あなた、何か、クマのぬいぐるみに思い出があるんじゃない?」

「い、いいえ」

「クマのぬいぐるみってさ、いろんな人の思い出を背負ってるのよ。ここにわすれていった人も、きっと大好きなぬいぐるみだったと思うの」

「どうして、そんなことを思うんですか?」

「クマがね、さびしそうな顔をしていたのよ」

「わかるんですか?」

「よくわかるわ」

「へぇ……」

 男の子は、さびしそうにうつむいた。

「私のお店に来る? いっぱいぬいぐるみがあるわよ。売るほどあるの」

 きさらさんの言葉に、男の子ははじめて笑いました。

 きさらさんと、男の子はクマ屋のドアを開けました。

「どうぞ」

 きさらさんが男の子をお店に通しました。男の子は、お店の中にあるクマを一つずつ丹念に見ていました。

 ミューミューは、そんな男の子を珍しそうに見上げていました。

 男の子が一つのクマの前で立ち止まりました。眼鏡をかけた、クマ子さんの前でした。

 クマ子さんは、きさらさんが子供の頃はじめて買ってもらったお気に入りのクマでした。このお店の一番古いクマです。

「そのクマ気に入った?」

 きさらさんは、紅茶のカップをテーブルの上に置きました。

「ぼく、子供の頃、これとそっくりな人形をもっていたんだ。こんな茶色で、こんな手足をしていたんだ。本当によくにている……」

「そう」

「眼鏡はかけていなかったけどね」

「そのクマ、クマ子さんっていうの。私と同い年なのよ。だから、ちょと老眼が入ってるの。若い頃は、そのクマも眼鏡はかけていなかったのよ」

 そういって、くすくすきさらさんは笑いました。

 男の子は、ちょっと笑ってから

「ぼくのは、グーっていう名の男の子だった。仲良しだったんだ」

といいました。

「グー、おもしろい名前ね」

「じゃんけんしたら、いつもぼくが勝つんだ。グーしかできないからね。だから名前もグーになっちゃったんだ」

「おもしろいわね」

「小学校四年生になった頃、母さんが、もう必要ないわねっていって、捨てちゃったんだ」

「まあ」

「捨てないで、ってぼくいえなかったんだ。でも、ぼくは大好きだった」

「そう」

「男の子ってさ、ぬいぐるみなんか持っていたら、バカにされるんだよね。それが、どんなに大切なものでもさ。それでさ、破っちゃいけないものでも、みんなが破れば、破らなきゃ、バカにされるんだよね」

「私にはよくわからないけど、そういうものかしらね。でも、あなたがいうみんなっていうのが、私には一番わからない。世界中には、クマのぬいぐるみをいっぱい集めている男の人もいるし、好きな人だって、いっぱいいるわよ。みんなって、世界中の人のこと?」

 男の子は、ゆっくり首を傾けました。

「もしも、私が、このネコと話が出来るのよといったら、あなたは、私をバカにする?」

「うーん、それはありかな。心が通い合うっていうことで……」

 きさらさんは、あら? と思いました。バカにされることをとても嫌がっているけれど、この男の子は、まだ心のどこかに柔らかい心を持っているんだと思いました。

「じゃ、このクマ子さんとお話しができるのよといったら、どう?」

「それは、ちょっと……、冗談きついかな?」

「バカにするのね」

「そんなこと言ってないよ」

 男の子は、きさらさんの顔を見て、すぐにうつむいてしまいました。

「でも、私は平気よ。本当のことだもの」

 男の子は不思議そうな顔をしてきさらさんを見上げました。

「おばさんは、変な人だね」

「あら、そうかしら?」

 きさらさんは、ちょっとキザっぽく大きく両腕を広げて見せました。

 その時、カランカランと音がして、お店の戸が開きました。

「あのう、三丁目のクマ屋さんは、こちらですか?」

 女の子とおかあさんが入ってきました。

「はい、クマ屋ですが」

「この張り紙を見て来たんですが」

 男の子が作った張り紙を見せました。

「あ、それは……」

「クマのぬいぐるみを預かってもらっているのですか?」

「ええ、このクマちゃんですね」

「あ、ミミ」

 女の子がクマに抱きつきました。

「あなたのなのね。よかったわ、持ち主がみつかって」

「ありがとうございました。この張り紙を作って下さったのは、あなたですか?」

 おかあさんがきさらさんにききました。

「いいえ、これはこの子がつくってくれたのよ」

 きさらさんは男の子の背中を押して、前にだしました。

「ご親切に、ありがとうございました。ぬいぐるみを忘れたと気づいた時、もう捨てられていても仕方がないと思っていたんですよ。でも、この子が、泣いてないて……。実は今は外国に住んでいる父親に始めて買ってもらったぬいぐるみだったんです。こんなに大切に預かっていただけたなんて、どう、お礼をいえばいいのか……」

「いえ、いえ……、ぼくは……」

 男の子は、少しずつ後退りしています。

「今の若い子も捨てたもんじゃないでしょう? やさしい子が沢山いるんですよ」

 きさらさんがいいました。

「はい、本当にありがとうございました」

 女の子とおかあさんは、何度も頭を下げ、お店を出て行きました。

「あの女の子、すぐには会えないお父さんをあのぬいぐるみを見て思い出していたんだね。さびしいんだろうね」

 男の子がいいました。

「そうね。あなたもいいことをしたわね。感謝された気分はどう?」

「え、ぼくは何にもしてないから……」

「いいのよ、そんなにテレなくっても」

 きさらさんは、男の子の背中をドンとたたきました。

「なにいってんだよ。テレてなんかいないよ」

 男の子はそういいながら、にっこり笑いました。

「もし、クマ子さんと話がしたかったら、いつでもいらっしゃい。クマ子さんは、ずっとここにいるわよ」

「ぼくにも話してくれるかな?」

「クマ子さんは、とってもおしゃべりなのよ」

 きさらさんは、ふっとやわらかく笑いました。

 男の子は、ちょっと恥ずかしそうに「また来るよ」といって、帰って行きました。


「ねえ、きさらさん。どうして、クマのぬいぐるみを男の子が持っていたらバカにされるんですか?」

 ミューミューがききました。

「さあね。どうしてかしらね」

 きさらさんは、ちょっと肩を上げてみせました。

「本当にね、不思議だわ。ネコだって話すんですよ。どうして私が話しちゃいけないんでしょうね」

 それまで静かにしていたクマ子さんが、そういって大きなため息をつきました。

 となりに座っていたピンクのクマも、ククク……と笑っていました。

「さあ、もうお店を閉めましょ」

 きさらさんは、窓のシャッターをおろし、ドアにカギをかけました。



               了



 


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