クマ子さん 2話

 きさらさんが「ただいま」といってお店の鍵を開けへやに入りました。

 戸口で待っていたミューミューが「だれかな?」というように小首をかしげました。いつもなら帰ってきたきさらさんの足にすりよってくるのに、今日は近づいてくることもありません。

「おそくなってごめんね。ごはんはちゃんと食べた?」

 きさらさんが話しかけても、ミューミューは知らない人を見るようにじっときさらさんを見上げています。

「どうしたの、ミューミュー?」

 きさらさんは手をのばしました。ミューミューはとことこと歩いて、きさらさんからはなれていきました。

「どうしたのかしら?」

 きさらさんは考えました。

「ルリの結婚式につれていかなかったからおこっているのかしら?」

 きさらさんは、ミューミューに話しかけました。

「おいていかれたと、思ってるの?」

「ニャー」

 やっと、ミューミューが返事をしてくれました。でも、いつものミューミューとはどこかちがいます。よそよそしい感じがしました。

「私、へん?」

「ニャー」

「あっ、わかった。こんな着物着てるから、へんなのね。それに、樟脳のにおいがいやなのね。うん、まだにおうわ」

 きさらさんは、着ている着物の袖をクンクンしました。

「さあ、こんな着物、脱いじゃおうね」

 そういってきさらさんは、階段をトントンとのぼっていきました。

 もちろんミューミューもついていきます。

「ああ苦しい」

 自分のへやで、きさらさんは帯をシュルシュルとときました。

「ふー、やっと息ができるわ」

 着替えたきさらさんは、少しの間、お仏壇に手を合わせていました。このお仏壇の中には、きさらさんのダンナさんがいるとミューミューは聞いたことがありました。

 飾りタンスの上にミューミューがトンととびのりました。きさらさんが作ったピンクのクマのレオンとならんで、きさらさんを見上げています。

「今日はね、特別な日だったのよ」

 きさらさんは、ミューミューにいいました。

「あの黒い着物はね、留め袖っていってね、自分に近しい人が結婚式を挙げる時に着る着物なの。今日は、ルリの結婚式だったのよ。ミューミューは、覚えているかなぁ。ときどきここへ帰ってきていたルリよ」

 きさらさんはベッドに座って、ミューミューをだきあげました。

「そうそう、ルリはいつもえさを買ってきてくれたわよね」

 そういって、きさらさんはミューミューの頭をなぜました。

「ああ、つかれた」

 きさらさんは、へやをぐるっと見回しました。見慣れているはずのへやが、今日は一回り大きく見えます。

 きさらさんは自分のへやを出て、ルリちゃんのへやに入ってみました。ルリちゃんが一人ぐらしを始めて、へやの主はずっと前からいないはずなのに、改めて見ると、ベッドと小さいタンスが置かれたガランとした何もないへやでした。

「あれ?」

 きさらさんは、タンスの上に茶色のクマのぬいぐるみを見つけました。

「クマ子さんじゃないの、どうしたの? てっきりルリがお嫁に持っていったと思っていたのに……」

 きさらさんが、クマのぬいぐるみを作るきっかけになったのが、このクマ子さんです。クマ子さんが、あまりにきさらさんに話しかけるものだから、私もこんなクマが作ってみたいと思って作り始めたのです。

 ミューミューをおろし、クマ子さんを持ち上げると、手紙が置いてあるのを見つけました。

『お母さんへ』

 ルリちゃんからの手紙でした。

『お母さん、長い間ピクシーをありがとう』

 こんな言葉から手紙は始まっていました。きさらさんはちょっと笑ってしまいました。このクマを、きさらさんはクマ子さんと呼び、ルリちゃんは、そんな趣味の悪い名前はいやだといって、ピクシーと呼んでいたのです。

『ピクシーは、お母さんが産まれた時に、おばあちゃんが買ってくれたクマですよね。小さい時から、お母さんといっしょに育ってきたピクシーを、私がどうしてもといって、私のものにしちゃいました』

 きさらさんは、ああ、そうだったと思い出しました。クマ子さんはきさらさんといっしょに育ったのです。きさらさんは結婚する時にもクマ子さんを持ってきました。クマ子さんが大好きだったからです。でも、赤ちゃんだったルリちゃんも、クマ子さんが大好きになってしまったのです。ルリちゃんは、クマ子さんをだいてはなさなくなってしまいました。いろんなぬいぐるみを買ってあげても、やっぱりルリちゃんはクマ子さんが好きでした。

『お父さんが死んだ時も、私はピクシーをだいてなきました。仕事でおそくなったお母さんを一人で待っていた時も、私はピクシーといっしょでした。お母さんにおこられた時、ピクシーに八つ当たりしたこともあります。この家を出る時も、お母さんは淋しそうにしていたけど、私はピクシーといっしょに出ることにしました。なぜだかわかりますか?』

 大人になったルリちゃんが一人ぐらしをする時に、クマ子さんをいっしょに連れて行ったことを思い出しました。大人のくせにといっても、ルリちゃんは、どうしても連れて行くんだといって連れて行ってしまいました。

『お母さんは、信じてくれないかもしれないけど、いいえ、お母さんだけはわかってくれるような気がします。ピクシーと私は、話しができるんです』

 きさらさんは、ふっとほほえみました。

『一人住まいで、仕事に行きづまった時や、くやしい思いをした時、いっぱいいっぱい愚痴を聞いてもらいました。もちろん、シュウさんとの結婚が暗礁に乗り上げた時も……』

 シュウさんというのは、今日ルリちゃんと結婚した男の人です。遠くはなれてくらしていたので、なかなか二人の気持ちが一つにならなかったのです。

『今、ピクシーの頭の中をのぞいたら、きっと私の言葉でいっぱいです。でも、もうピクシーはお母さんに返します。これからピクシーが必要なのは、きっとお母さんだと思います。私には、シュウさんがいるからもうだいじょうぶです。きっと、ピクシーもお母さんのところへ帰りたがってると思います。長い間、ピクシーを貸してくれて、ほんとうにありがとう。ピクシーにもいっぱいありがとうをいいました。これからは、二人でなかよくくらしてね。ルリ』

 きさらさんは、クマ子さんをななめ上にだきあげました。ちょっとよりぎみの目が、きさらさんの視線とぴったりあいました。やさしく見下ろして、何か話しかけてくれているようでした。

「長い間ルリを見守ってくれてありがとう。今日はルリの結婚式だったのよ。とてもいいお式だったわよ。あなたも、連れて行ってあげたらよかったわね。ああ、そうだ、写真があるの。いっしょに見てね」

 きさらさんは、クマ子さんを自分のへやにつれていきました。そして、ティーテーブルのイスに座らせました。

「ほら、見て、きれいな花嫁でしょう?」

 きさらさんは、携帯で撮った写真をクマ子さんに見せました。ルリちゃんは、白いウエディングドレスを着て、しあわせそうに笑っていました。

「これがルリの花嫁姿よ。……、ああ、見にくいわ。画面が小さすぎるのよね。老眼にはこの画面はきついわ。眼鏡、眼鏡っと」

 きさらさんは眼鏡をかけました。

「これが、シュウさんのご両親で、これがルリの友だちよ。みんなこんなに大きくなって……」

 きさらさんは、次々に画面を送っていきました。

 ふと、クマ子さんを見ると、クマ子さんは画面を見るのがいやなように背中を突っ張らせ、視線を宙に浮かせていました。

「どうしたの、見てくれないの?」

 きさらさんがクマ子さんに話しかけると、クマ子さんの目が、しょぼしょぼしたように見えました。

「ああ、そうか」

 きさらさんはひざをたたいて笑いました。

「クマ子さんも私と同じだけ年を取ったんだ。見にくいはずよね」

 きさらさんは、予備の老眼鏡を持ってきてクマ子さんにかけてあげました。

「うふ、よくにあうわよ」

 クマ子さんがにっこり笑いました。

「これ、ルリよ」

 ああ、きれいですねというように、クマ子さんはじっと画面を見つめています。

「コーヒーでもいれましょうかねぇ、クマ子さん。今夜は、ゆっくり思い出話に花を咲かせましょうね」

 きさらさんとクマ子さんは、にっこり笑い合いました。


 飾りタンスの上で、ミューミューとレオンがならんで話しています。

「きさらさん、笑ってるね」

「うん、笑ってるね。きっと、とってもうれしいことがあったんだね」

 ミューミューとレオンはお互いに「うん」とうなずき合いました。

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