最終話 ハイブリッドとハーフ
その昔、未知の細菌が付着した巨大隕石が地表に衝突した。
後に「大厄災」と呼ばれた世界規模の大災害が起こってから、世界の環境は以前とは全く異なるものへと置き換わってしまったのだ。
もちろん主な原因は隕石落下によって巻き上げられた飛沫が太陽を遮り、地表の気温が十度以上下がったことに加え、飛来した隕石に付着していた細菌が周囲の土壌と動植物を犯し、何も住めない死の大地を広げていったからである。
土は痩せ、水は濁り、空は黒い雲で覆われ、命ある者はことごとく数を減らしていってしまったのだ。
そんな中、一部の動物はより強い種へ進化したり、細菌への免疫を手に入れたり共生したりすることで種を長らえたものもいれば、新たな自然環境に適応できず滅んだ種も存在した。
人類は、選択を迫られた。
順応するか、諦めるか、 ……抵抗するか。
記録として残っているのは、抵抗を試みるために細菌の情報を調べる集団が残した備忘録だった。宇宙へ逃げたものもいただろう。諦め、歴史から消えたものもいただろう。だが、その者達のそれ以降を知ることはできなかった。
抵抗を志した人類は、まず活動が可能な区域の捜索を始めた。意外とその地域は簡単に見つかり、まだ植物がわずかに残る小さな区画にて根を下ろすことができた。簡易的な生活基盤を整え、当面の研究が可能となった。
まだ使用できる数少ない機材を用いて研究を進めると、隕石に付着していた未知の細菌は、自分以外の有機生命体に寄生し、自身の複製組織を形成する特性があることが判明した。つまり、この細菌の周囲の生物が死滅したのはこの変化によるものだったのだ。
原因が分かった。だが、まだ人間の対抗策が判明しないまま、 ……再び、隕石が落下した。
さすがに二度目は慣れたもので、十分な安全を配慮しながら調査を行い、サンプルを回収。またしても別種の細菌が発見された。
だが、この発見は奇跡的な幸運を呼んだ。たまたま二つの細菌を同じ培養皿に入れたところ、硬化を促す細菌は後から飛来した細菌に食いつくされてしまったのだ。そして後から飛来した細菌は、この地上の生物と相性がすこぶる良いことが分かった。
ようやく人類は、この厄災に対する免疫を手に入れたのだ。
しかし幾分かの不安も残っていた。この細菌が本当に人類に無害なのかどうかが分からない。検証している時間がない。
仕方なく、残った人類の半分を別の施設にてコールドスリープさせ、残りに細菌を移植することに決定した。
その時点で活動できる人類は、僅か五人だけになっていた。
* * *
「細菌移植による新人類は、残念ながら一朝一夕では生まれなかった。それでも人類をこれ以上減らすわけにもいかず、もしもの時のために自分たちの
エスト君を大きな手術台に乗せ、協会の処置室の三倍はあろう広い手術室に運び込みながら、タント先生は話してくれた。
突拍子もない話だ。にわかに信じられない。
「そうして長い長い時間をかけて、ついに成功した。石化細菌…… メドロドトキシナバクテリアを克服した新たな人類第一号が、あの巨大培養台にあった素体だよ」
ああ、確かにあった。だが、あれは人間と呼ぶにはいささか
「あれこそ人外の祖…… 妾たちのオリジナルじゃ。じゃから妾たちは元からメドロドトキシンに耐性があるわけなんじゃが」
ここでバゼラが言い淀んだ。それにタント先生が気がついて、話したいことを引き継いだ。
「あれはね、失敗作なんだ。確かに免疫を獲得した。けど生殖能力を失い、さらには人間らしい『知性』が幼く、他の人を見境なく襲う存在になってしまったんだよ。色々な薬品、武器、体術を使ったがなかなか通じなかったが、また偶然にも
タント先生は手術用の前掛けを付け、歩行補助具とともに横へ立った。
「だがそれも束の間。新たな人類が息づくのと少し遅れて、コールドスリープしていた他のチームが機械の故障により早く目覚めた。新人類が人留に馴染む前に、旧人類が目覚めれば……」
そんなのは分かる。迫害だ。
自分たちと違う容姿・能力を持つなら、平常時でないならばまず排除行動に出るのは仕方がないことだ。あの
「一番のすれ違いは、その時点でもうメドロドトキシンが地上から消えかかっていたことだ。死んでしまった大地や植物は戻ることはなかったが、新たな感染者が出ることがなかった。……私たちは
「妾を除いてな」
「……そうか、ここでバゼラのカルテが始まるわけか!」
理屈は大まかには理解した。今まで特に気にしていなかった世界の成り立ちを聞いた気がしたが、伝説級の存在がつい最近まで一緒にいた人物たちである以上、まるで昨日の晩御飯のメニューのような体で話されてしまい少し印象が浅く感じるのは気のせいだろうか。
「ともあれ、だ。私の見立てでは彼女の中に超高濃度のメドロドトキシンが母親の肉片より移植され、さらに人外の細胞組織を吸収したことで成長度・攻撃性が爆発的に強化されたのではないかと思われる」
私たちは再度、エスト君を診察する。
当初タント先生は彼女の父親が母親と共に転成しようとした際、計らずともメドロドトキシンを体内に包有したはずだと予想していた。それが人外になっても発病しないということは、最近になって人外にも症状が出る変異タイプのメドロドトキシンの免疫を、彼女が持っているのではないかとにらんでいたらしい。
だが、タイミングがいいのか悪いのかここに来て謎のバクテリア急成長が起こり、エスト君は未だに気を失ったままである。
「彼の父親が行った転成のベースとなる
私はあの時の事を思いだした。眼鏡が外れていたこともあり、人の命を好き勝手することに能力のタガが外れて勢いで父親(だったもの)を摘出した。実際に腹部を開いて見たわけではないので、もしかしたら転成用の子宮があったとしてもおかしくはない。
「ヴァルマン君…… さ、君が執刀医だ」
私はぎょっとした。
「私より、タント先生の方が成功率は高いでしょう。何をわざわ――」
そこで再度タント先生を見て理解した。先生は人間でありながらこれほど長い時間を生きている。軽く三人分の人生をその身で過ごしている。立っているだけで、話をしているだけで、寿命を縮めているはずなのだ。恐らく、過去の文明の力でもって限界を超えて生きているに違いない。
「う…… あ」
「エストよ! 目が覚めたか!」
目を覚ましたエスト君にバゼラが声をかける。
「せん、せ…… わた、く、し……」
エスト君は、不安そうな眼差しで私を見つめる。一瞬気が揺らいだが、その一瞬で私は腹を決めた。
「バゼラ、九号、タント先生。補佐をよろしくお願いします」
「任せよ!」
バゼラは元気な返事で、九号は笑顔で答える。
「うむ」
「エスト君、必ず助ける!」
エスト君は、辛そうな顔のまま笑顔で返そうとする。が、そのまま再び気を失ったようだ。
「まずは開腹だ、メスを」
タント先生からメスを受け取る。エスト君の腹部からは乳白色の結晶が突き出ており、周囲は今も少しずつ結晶化が進んでいる。まずは指三本分手前、結晶の外側をメスで開き、中の様子を目視で確認すると、予想が現実に置き換わった。
「やはり、残っていたな。外子宮が」
タント先生の言う通り、腹部の脂肪と筋肉を左右に割かれた中央に、あるはずのない器官が挿入されていた。人の脳ほどの大きさのそれから、腹部の結晶が突き出ている。間違いなく、発生源はここだろう。
だが、今までの結晶とは少し異なる点があった。微かに、だが確実に結晶が膨らんだり縮んだりしている。……そう、心臓が鼓動しているかのように、だ。
「とにかく、摘出を」
私はまず外子宮の周囲を露出させ、内部の癒着部分を探る。どうも周囲の筋肉組織らとゆりかごのような状態で繋がり、内部に負担がかからないようになっているようだ。逆にそれがいままで結晶が無事に成長できた理由でもあるかもしれない。元々宿主に存在しない器官なので、痛覚などで気づかれなかったのもあるだろう。
宿主に負担がかからないよう、慎重に癒着部分を切り除いていく。
「気を付けよ! 結晶の様子が変じゃ!」
バゼラに言われて視線だけ上げると、僅かだった鼓動が目で分かる間隔で起こるようになっていた。さらに、それでも手は休むことなく切除するたびに鼓動が激しくなる。
「もしかして、まだ浸食範囲を拡大し続けているとでもいうのか?」
バクテリアも生きるのに必死なのだろうが、こちらもエスト君を譲るわけにはいかない。
上部の突き出た部分の固定を他の者に任せ、残り半分を切除するため反対側へと向かう。開腹自体は終わっているので宿主との癒着部を再度観察すると、どうやらこちら側の方が大きな面積で癒着が起こっており、複雑なつながり方をしている。先ほどとはまた違う難題を解決する必要がありそうだ。
「筋肉だけが癒着していると言うより、脂肪と筋肉と外子宮が折り重なった衝撃吸収材が形成されて、それごとくっついているな。気分的には丸々摘出したいところだが」
それは
「いや、摘出した方がいい。彼女がまだ人外としての体力があるうちに」
「! ……そういえば、確かに今ならまだ」
私は、彼女に行った手術後の回復ぶりを思いだした。不安要素は多いが、先々のことを考えると摘出してしまう方がいいだろう。
「なら、ナイフ《羽白白銀》の方を」
先生からメスより一回り刃渡りが長い獲物を受け取る。ズシリと重い。こればかりは私の人としての力で振るわなければならない。彼女の持つ人外の力と太刀打ちするための、私の最終兵器だ。
ふと、最初の手術を思い出す。
あの時のエスト君は、何を思っていたんだろうか。
本当に、「生きたい」と思っていたのだろうか。
私の気持ちの押し付けになっていなかっただろうか。
結果的にはタント先生の情報操作があったからとはいえ、
「!! ヴァルマン君!」
大声に、はっとなる。
あと数ミリで完全切除となる外子宮から、結晶が宿主の体へと驚異的な速度で浸食を開始したのだ。
「まずい!」
一秒にも満たない思考停止時間から復帰すると、結晶化は既に胸部に達し、肩を超えようとしていた。
しかし、
そう考えた私は、まるで当然のごとく眼鏡とマスクを外し、
エスト君に口づけをしていた。
* * *
真っ暗な部屋。
お母さまはもう、起きることのない眠りにつかれていた。
お父様も、お母さまのそばを離れようとなさらない。
わたくしはまるで、一度に両親をなくしたような喪失感で心がつぶされそうだった。
だからお父さまが家からいなくなったとき、特に何も思わなかった。お母さまもいなくなったことに、疑問がわかなかった。
数日後、お父様がわたくしに最後の願いを聞いてほしいと言ってきたとき、わたくしは必要とされている。そう思った。
だから、体を差し出すことに喜びを感じた。フォークが持てなくなっても、歩けなくなっても、左側が見にくくなっても、両親のために、わたくしは何でもするつもりだった。
でも
またみんなで、おさんぽしたかったなぁ……
……あれ。
なんだろう。
頭の中から、暖かい気持ちが湧いて来る。
お日様の優しい温もりのような、幼い頃お母さまに抱かれていたときのような……
最近も、同じようなことがあったような気がする。
これは、そう確か……
『大丈夫、必ず助ける』
* * *
指以外の部位でこの力を使うことはもうないだろうと思っていた。
だが、緊急事態であることと自分の中にあった謎の確信が、この行動をとらせた。
私の体の中で『舌』は最も能力を強く発揮しやすい器官だ。それゆえ出力の調節がうまく行かず、……相手を死に至らしめたことがある。
今考えると無謀な挑戦だった。
だが、結果としてエスト君の結晶化を止め、外子宮も無事摘出し終えることができた。
摘出した外子宮の内部から、取り除ききれていなかった彼女の両親と思われる別個体の組織が発見され、それらからタント先生の手によって、完全なメドロドトキシンのワクチンが作り出された。これで外の患者も助かり、先生ももう少し生きることができる、らしい。
「そもそも、強制冷凍睡眠と機械化の影響で大した時間生きることはできんだろうがな」
「あ、そうだ」
私は手術後に再度整えた銀縁眼鏡を外し、タント先生に差し出した。
「お返しします。もう、私には必要なくなったものですから」
もう私はこの眼鏡がなくとも、大丈夫だ。そういう意味すら察したタント先生は、笑顔で眼鏡を受け取ってくれた。
「ああ。僕すらいなくとも大丈夫だろう」
「ああ、ここにいたのかプレイボーイ」
九号がとても失礼なことを言いながら私に近づいて来る。悪いが今まで女性とまともに付き合ったことはないぞ。法的に結婚できないからな。
「エストさん気が付いたよ。あなたに会いたい、って」
私は話の途中で九号を振り切って、彼女の部屋へ駆けていった。
「不思議な
「……先生?」
「へえ、先生もそんな顔するんですね」
「お仕事お疲れ様でした。……父さん」
* * *
「エスト君、具合はどう?」
できる限り静かに開けたつもりだったが、扉が古いのかひねったドアノブがけたたましく悲鳴を上げた。
「お、色男が来おったぞ」
「先生! ありがとうございますぅ……」
元気よく挨拶を返すつもりが、思うほどに声に力が入らなかった自分に驚いたのか、ベッドの上で突っ伏してお腹を支えるエスト君は、とても複雑な表情で私を見上げている。
「ああ、いい、いい。腹筋の一部と血液をかなり削ったからね。当分はまたリハビリかな」
「……わたくし、また先生に助けていただきました」
申し訳なさそうにするエスト君に、私は思ったことを素直に伝えた。
「違うよ、エスト君。助けたのは私じゃない。君なんだ」
エスト君はポカンとしている。つられてバゼラもポカンとしている。
「いや、なんとなく、ね。君が診療所に来てから私も色々と変わったというか、たくさん助けられていたことを思い出したんだ」
私は、エスト君の右手を手に取る。最初に会ったときに付けた手だ。今はもう完全に馴染んでいる。年相応の美しい手だ。
「いろんな場所を周り、
バゼラが診察器具を持って部屋から出る。妙に急いでいたようだが、何かあったんだろうか。
「よく分からないが、こう…… 君には生きてほしい。そう思った。失礼とは思ったし、やや問題のある方法だったかもしれないが、私の最善の方法だった」
「キスが、ですの?」
エスト君は軽くあごを引いて、申し訳なさそうに私を見つめる。……責めているわけではないようだ。
「以前も言ったと思うが、あの力は他者を死に至らしめる力がある。だが、あの時は不思議と絶対うまく行くという確信があった。だから――」
「なら」
エスト君は、はじけるような笑顔で私に微笑みかけた。
「今後は、わたくしにだけ使用を許します」
不意に、二人の唇が軽く重なり合った。
「まぁーう、まぁーう」
女性の抱いている赤子が、その乳に口をつける。
「ごめんね、もうお乳は出ないんだ」
女性は痩せてはいないが、ひどく疲れているようだ。赤子を抱く腕に、力がこもっていないように見える。
「あー! わぁーあ!」
赤子が泣き始めた。だが、女性にはどうすることもできない。
「ごめんね。やっと生まれたのに、お乳もあげられなくて」
女性はやさしい笑顔で赤子を見つめる。
「わーあっぁぁ! あーーぁぁ!」
女性は優しく赤子をあやす。しかし、一向に泣き止む気配はない。
いくらか泣いた赤子は、性懲りもなく再び女性の乳に口をつける。
そこで女性は、先ほどとは別の違和感を覚えた。
「……いいよ。母さんでよかったら。よく味わいな」
女性の腕に力がこもる。
「つよく、いきなさい」
赤子は、何かを飲む仕草を始めた。
赤子がその仕草をするたびに、女性は体が、存在が薄まっていった。細胞の一つ一つが光の束になり、瞬いては消えていった。
「フランベール最後の子、ヴァルマン…… あなたの名前よ」
すべての光は、余すことなく赤子へと消えていった。
赤子は、満足そうに誰もいない部屋で寝息を立て始めた。
完
ヴァルマン先生の人外カルテ 国見 紀行 @nori_kunimi
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