第10話 ハイブリットとファーストインフェクション
見慣れない服装と、いつもの銀縁眼鏡がない以外は、かつて自分が師と仰いだ人間の医者。あまりの執刀の早さについたあだ名は『早業のタント』と呼ばれ、その身が行方不明になるまで右に出るものはいなかった。
「タント…… 先生?」
「……タント先生、なんじゃその格好は?」
見知った知り合いの唐突な登場に、私たちは今の状況を忘れそうになる。
奥の扉からの来訪者は、白衣こそ着てはいるがその中には別の真っ白な服を纏っていた。つやつやとした表面には、よく見ると白い粉のようなものが付着している。顔立ちから年の頃は二十代後半あたりだろうか。
「あーあ、また勝手に……」
青年はそのままレムリアスに近づき、手にしていた刃を取り上げると、予備動作なくレムリアスの背中へ深々と突き立てた。
「!!?」
「また勝手に『信者』作っちゃって! 先生にダメだって言われたでしょう? 新しい
青年は顔色ひとつ変えず、こちらに向き直る。まるで、いつものことのように、動揺の一つもない。レムリアスも、刃を刺されたことに対して咎める様子もなく、そのまま青年の後ろについた。
「ようこそ。三祖バゼラ様含めた『先生』の教え子さん達。ここは『第6廃棄処理施設・併設保管区域』だよ」
「へいせ…… なんでしょう?」
エスト君は青年の言葉を繰り返そうとして口ごもった。あまりに聞きなれない単語だったのだろう。なにせ私も心当たりのない施設名だったので、私が言っても同じ結果になったに違いない。
『九号、彼らをセンタースペースへ案内してくれないか』
再び天井から声。そう言えば、青年の声と少し違う。いや、どちらかというと青年の声が違うのか。
天井のそれの方が、タント先生に似ている。
「わかりました。では、皆さん。こちらをご案内致します」
奥の扉へ向かう青年に、まずレムリアスが続く。驚くことにその背から刃がなくなっていた。取り出した角度からして、体内に収まっていたのだろうか。
その後ろが私、バゼラと続き、エスト君、協会職員の残りが続いた。
「まだ息のある施設があったとはのう」
バゼラは周囲を観察しながら、先頭を行く青年に話しかけるように呟く。
「ちょっと前に起こった土砂崩れが、施設の集光パネルに積もっていた土砂を流してくれたようで、ライフラインのいくつかが回復したらしいんですよ」
青年は後ろを振り返らずに話す。まるで旧知の中であるかのような口ぶりだ。だが、バゼラはそれを咎めない。というより、当時タント先生と話していたかのような雰囲気にも感じる。
「さあ、ここがセンタースペースです」
ひときわ大きな扉を前に青年は立ち止まり、中へと我々を促す。
躊躇する間もなく扉が開かれ、中へと入ると、最初に目に入ったのは大きなガラスの筒だ。その筒は人が何人も入れるほどの幅を持ち、建物二階分の高さを持つ天井に、今にも届きそうなほどに大きい。
だが、注目すべきはその中身だ。
薄緑色の透明な液体で満たされたガラスの筒の中に、青いヒトのようなものが浮かんでいる。たくさんの管が繋がれ、時折細かな泡がヒトのようなものから発生している。
「……人外か?」
さすがのバゼラも知らないようだ。バゼラが知らないのなら、私たちが知る由もない。
「いいや。そうではないし、しかしそうかもしれない」
またしても人の声。この広い空間に満たされた空気全体を振動させる、腹の底から響く声。
「もう少し違う形・違う立場で会いたかったが、運命の神はそれを許してくれないようだ」
ガラスの筒の向こう側から現れたそれは、人と呼ぶにはあまりに
「……あなたは、誰ですか」
左足から腹部の一部にかけて金属のような輝きを帯びた義体で補われており、そのせいで歩けない体を車の付いた椅子に座ることで移動を可能にしている。
上半身は一応衣類のようなものを羽織ってはいるものの、肌が見えるはずの場所には灰色の、いや、人がメドロドトキシンに犯された際の結晶化反応が起こっているのが見える。それは主に右腕から布がはだけた右胸部にかけてと、左手の小指、薬指が灰白色に染まっているのが分かる。
頭部には数本の管が繋がれ、椅子の後ろにある妙な箱へと続いている。その頭部も、まるで髪や髭のように見えたものはすべて結晶化した皮膚だ。そして、その結晶化が見られない部分は、つやつやとした金属質のものに変わっている。
だが、問題はその顔。間違えるはずはない。だが、間違っていなければおかしい。何故なら、自分の記憶にあるその顔は、今の時点で決して存在してはいけないからだ。
「……タント先生なら、「生きているはずはない」」
途中からバゼラと言を共にして吐き出されたつぶやきによって、他の者の注意を車椅子に座る存在へと向けられた。
「ははは、手厳しい。確かに、君たちが知りえるタントなる人物は人間で、生きていれば百二十歳を優に超える老人だ。しかしだね」
心地よい声。
「目の前の現実から目を背けることは、愚かな行為であると言わざるを得ない」
転じて、冷たい声。感情が失われ、淡々と話すことだけに特化したような、抑揚のない話し方。
間違いなく、これは、あの、自分たちが知るタント先生だ。
「君たちと生前別れたのは、あの大嵐の夜だったね。だが、今は別れと再会を喜び合うために時間を使うべきではない」
タント先生は、自身の様々な部位を指で指し示す。その部位はどれもあの結晶が根付き、今にも進行が進みそうなほどの大きさに成長している。
「様々な要因が考えられる。私にこの症状が現れたのは二年前。『彼』との研究中にレムが冷凍睡眠から復帰したあたりからだ」
二年前、というと、確かエスト君が父親に呼び戻された時、だったか。妙な一致だ。
「元から人間の人外化に積極的だったレムは、『外道信仰』と言うプロセスを元に人間を新しい姿へと造り代えることを己の行動理念としている。が、ある日不思議な病気を持った人外…… いや、そのときは人間だったか? 一組の夫婦を連れてきた」
ぴくり、とエスト君が肩を揺らした。
「聞くと、妻が謎の病で倒れたという。どこの医者もさじを投げたと。普段のレムならいつも通り『処理』して終わりだったろうが、何を思ったが私のところへ連れてきたのだ」
タント先生は大きく息を吐く。その表情は硬くはあるが、幾分か安心しているようにも見える。
「珍しいことは重なるものだ。現代ではほぼ存在しなくなっていたメドロドトキシンに侵され、体のあちこちが既に助からない状態にまで硬化が進んでいた。レムも、その人間に『処理』を施しても、もう助からないことをどこかで悟っていたのかもしれない。私は、彼女を諦めるよう男性に伝えた。そうしたら、だ」
何故か、タント先生はエスト君の方へ視線を向ける。
「『ならば、私は彼女と一つとなり、新しい存在となりたい』と申し出たんだ」
体中の血液が、まるで凍ったかのように冷たく引いていく気配がした。
「……」
エスト君は、タント先生の言葉を黙って聞いていた。
「その時は残念なことに、その後の夫婦の結末は分からなかった。出来うる可能性の全てを伝えたうえで、夫婦は私たちの前から姿を消したからね。だが、奇妙なことはここからだ。その女性を蝕んでいたバクテリアは、なんと人外にも影響のある強力なものだったことが判明したんだよ」
タント先生は続ける。
「この施設の周囲には、放棄された村があっただろう? そこは人外たちが隠れ住むのにちょうどよく、レムの
タント先生は、再び体の結晶化部分を指す。治らなかったのだろう。
「人間にも使ってみたが、症状を遅らせるだけで完治に至ることはなかった。何度か地上でも試したが、うまく行くことはなかった」
「! まさか、協会の制服を着ていた部外者の報告は」
タント先生はにこりと笑う。
「当時の制服が変更されていなくて助かったよ。こっちも臨床試験ができてデータがとれた。だが、人外にきちんと使えるワクチンは一向に完成することがなかった。そんなとき、ヴァルマン君がバゼラの『生え変わり』にかかるという話を聞いてね」
誰から、というのは聞くまでもないだろう。あのザイノの件もある。既にある程度の
「最初は、バゼラの情報を手に入れたかった。彼女の人外の能力からして強いワクチン作用をもつ薬が期待できるからね。……だけど、ある報告を聞いて、考えが変わったよ」
タント先生は、曇った眼をエスト君に向け、またにこりと笑う。
「エストお嬢さん。どうか我ら人外達に協力していただけないかね?」
私は、ふとエスト君の方を見る。
そして、一瞬でも彼女から視線を外したことを後悔した。
「せん…… せ……!」
瞬間、彼女の腹部から勢いよく巨大な結晶が突き破って出てくるのを見て、悪いと思いながらも美しいと感じた自分がいた。
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