第9話 ハーフとハイエロファント

 扉は左右に開く形で我々を迎え入れ、一行は中へと侵入する。


 私は改めて建造物の観察を行う。


 不思議な既視感は、ある程度歩いたときにある確信を得た。ふわっと香る人工的な匂いと、不自然なほどに整った壁面。


「……バゼラの屋敷に似ているな」


 それも、あの本がたくさん置いてあった部屋。その部屋に入る所作が、先ほどのと重複する。しかし、そうなるとあの部屋とこの建造物はいったいどんな関係があるのか。


 そして、あの声。「蝶と交互なる者バタフライ・ゼブラ」とは……


「ここは一体、なんの建造物なんですか? 協会のどの建物にも共通しない作りにも見えるし、かといって先程のバゼラ殿の所作から、何かしらご存知なようにも見えますし」


 ザイノは、一言一言選んで話す。


 それもそうだ。なんせ今我々は土壌汚染の原因を調査するためにこの地下建造物に入っている。その建造物の設備を易々と操作し、あまつさえ率先して案内しているのだから、疑うなと言う方が難しい。


「妾の記憶のものとは別の場所じゃが、かつてこの身を預けていた施設と同じものじゃろう。認証のための暗証番号が以前と変わらず受け付けよったから、姉妹施設で間違いではないはずじゃ」


 そういえば、そんな話があったな。だが、その話はせいぜい百年ほど昔の話。この建造物はどうみても百年程度では利かないくらい古い建物にも見えるし、あるいは……


「年代が合いません。貴女に協力を頂いていたのは記録上せいぜい百年前までで、この建造物は明らかにもっと古い、そうですね…… 五百年は経過しているのではないでしょうか?」


 そんな会話をしていると、ひときわ大きな扉の前に到着した。今度は取っ手のようなものがきちんと付いていて、扉であると分かる。


 バゼラが躊躇なく扉を開けると、その先から激しい異臭が鼻をついた。


「ぐっ! なんだこれは!」


 私は咄嗟に袖で顔を覆う。横にいたエスト君も異臭に顔を歪め、持っていたハンカチで口元を覆っている。なのに、バゼラとザイノは平気な顔をしているのは何故だろうか。


 ……いや、よく見たらバゼラは普段通りの顔だが、ザイノはわずかに、なにかを期待している顔にも見える。


 バゼラが扉を開ききる。


 扉の先は、広間になっていた。


 と、すぐに異臭の原因が分かった。それは、床に転がっているものから放たれていたのだ。


「なん…… ですの、これ」


 エスト君でなくともこの光景は絶句する。私ですら、異臭という形で前もって知ってなければ数秒固まっていただろう。


 そこには、無数の「人間らしきもの」がいくつもいくつも転がっていた。


 そのどれもが、何かしら体の部位を失っているうえ、ほとんど動くことがない。出会った頃のエスト君のようにあるものは手、あるものは足、あるものは耳、目、鼻、指、首…… それでいて、死体らしからぬ新鮮な体が床に放り出されているのだ。


「……外道崇拝者」


 連れてきた協会職員の一人が、ヒソヒソとそう呟いた。


「報告にあった内容のうち、最…… 悪のパターンですね。ミリカ村にいた人外は、どうやらもと人間。身体の欠損部位が多い人外だったので可能性が高い、と報告を受けていたのですが」


 ザイノは言葉の内容とは裏腹に、どこかしら嬉しそうな表情で話している。私はこの異様な環境と脂肪と血と体液の混ざった不快な臭いが気になって、それを気に留める余裕がない。


 その嫌悪感の表れは、エスト君が一番顕著だ。先程から周りを見ないように目の半分まで覆うようにハンカチを顔に当て、空いた手で私の白衣を掴んでいる。下を見ると嫌でも目に入るので、私の後頭部を凝視している。視線が突き刺さるように鋭く痛い。なんせ、ちょっと前までは自身がそうだったのだ。ここに立ってるだけでも辛かろう。


「……しかし、彼らはこんな状態になりながらどうやって生命活動を行っているんだ?」


 私はエスト君の姿勢に変化が出ないか注意しながら、周囲の欠損体らを観察する。


 それらは、かつてエスト君を診た時と同じように傷口を縫合されたものもいれば、切断面がそのままになっているものもいる。しかし、不思議と血は止まっていたり、さもその先があるかのように筋繊維が脈打つものもいる。一言で言うなら、体の一部が見えなくなっただけのように見えるのだ。注意して見ると、胸がゆっくりと上下しているのが分かる。つまり、何らかの方法でこれらのものたちは『生きている』のだ。


 正直、私もこんな状態の外道崇拝者を大量に見たのは初めてなので、少々そら恐ろしくはある。


「……! 先生! こんな小さい子まで……」


 エスト君が私から離れ、たまたま目に入ったのであろうとおにも満たない幼い少年の側へと駆け寄る。その体は両腕を失った状態で横たえられていた。


 私も近づき、少年の様子を診察かんさつする。


 少年は、まるで眠っているように動かない。呼吸もしてはいるが通常の半分くらいのテンポで行っていて、一回一回息を確かめながら呼吸しているように見える。


 私は体温を確認すべく、首筋に手を伸ばしたその時、背後から地響きのような声が部屋中に響いた。


「我が信徒への無礼な振る舞いは控えていただきたい」


 私は驚いて背後を振り返った。


 そこには私の身長を優に越える長身の人外が立っていた。いつからいたのか、どうやって来たのか、気配を感じることなくそこに巨体の人外は立っていたのだ。


「……やはりそなたか」


 バゼラが巨体の人外に言葉を投げ掛ける。だが、巨体の人外は変わらず私をその小さな目で睨み付けている。たまらず、私は立ち上がり少年から離れ、バゼラたちのいる場所へと合流する。


「古い施設ゆえ、特にセキュリティを強化せなんだが、まさかかつての同胞が訪れようとは、のう。〝蝶の者〟よ」


 ゆっくりとした所作で巨体の人外はバゼラに向き直る。ゆったりとした紺色の大きな布製の服は、今では滅多に見られない聖職者が纏うという法衣に違いない。ならば、この人外は外道崇拝者たちの指導射的立場のものなのだろうか?


「今はバゼラと名乗っておるし、その名を気に入っておる。そなたもそう呼ぶがよいぞ」


 そしてバゼラは衝撃的な名前を口にした。


「レムリアスよ。……おぬしも息災のようじゃな」


「れ、レムリアス様ですって!?」


 私たちは絶句した。


 何十年も前から行方が知れず、とうに死んだと噂されていた人外。三祖の一角を担う人外。バゼラとは違う方法で今を生きる伝説級の人外、レムリアス。


「や、やはりご存命だったんですね! ミリカ村で崇拝者予備軍がわいていると聞いて、ささやかな期待を持ち続けた甲斐が!」


 ……ザイノの様子が変だ。


 いや、変な兆候は先程からあったが、とある理由で協会の職員は『外道崇拝者を雇わない』のだ。大雑把に言うと「人と人外の隔たりを物理的になくす考えを強制する危険性」があるからだ。


 だというのに、ザイノはそれを隠さない。少なくとも協会の職員を続けたいならこの行動はおかしい。


「お探ししておりました! 行方知れずと聞いて、協会の情報網ネットワークを使って捜索を続けておりましたが手がかりもつかめず、何十年もかかってしまい申し訳ありません!」


 ザイノは明らかに様子が変わっている。それに、協会の情報網を勝手に使ってまで探していた、というのが本当なら相当数の外道崇拝者が協会に紛れていることになるが、いよいよこれは聞いてはいけないことを聞いたのではないか……


「どうか、私を貴方様のお力で! 人という殻を破り、進化した生物へと! 貴方様に近しい存在へと! どうか!」


 ザイノは、じりじりとレムリアスとの距離を詰める。……今まで崇拝し、捜索してきた対象が目の前にいるのだから無理からぬことだろうが、挙動が明らかに不審である。


「……まったく、人間はいつの世も欲が深く、思慮が浅い」


 レムリアスは、よどみない動きで懐からノコギリのような細かい歯のついた長い刃物を取り出す。その刃には赤黒いものがこびりついており、その固まり様から血液であることが見て取れる。……この付近の信徒を切り刻んだ獲物なのだろうか。


「だが、だからこそ我らが導かねばならぬ。正さねばならぬ。救わねばならぬのだ」


 刃をザイノへと向ける。が、その間にバゼラがすっと割って入る。


めよ。こやつは人間であるからこそ価値がある仕事をしておる。例えば、どこぞの地下に隠れて夜な夜な怪しげな宗教活動を行っておるようなの相手など、のう」


 まさに一触即発。


 先に動いたのはレムリアスだった。


 ゆっくりと刃を上に向け、攻撃をやめる仕草をし、軽く腕を引いた。


 そして、その姿勢から目に映らない速度で刃を自身の足元付近まで振り下ろし、不可視の刃をザイノへと閃かせたのだ。


「!?」


 本来ならば届くはずのない距離からの挙動に、私たちはもとよりバゼラもその動きに驚く。切り裂かれたのはザイノの右腕だけだった。袖からもげるように転がりゆく腕の切断面は、出血もなくいまだ繋がっているようなきれいな色をしており、言われるまでは血液すら流れているのではないかと疑うほどだ。


 ザイノは、落とされた自身の腕を恍惚の表情で見つめているうちに、意識が混濁していくようにうつろな表情に変化し、力が抜けてきたのか膝から崩れ落ちるように倒れてしまう。


「レム…… 堕ちたか」


 見たことのない顔でバゼラが刃の主をにらみつける。


「彼の者は、我の信仰者である。崇拝を集める法王ハイエロファントとしての役目を果たしたにすぎぬわ」


 レムリアスは、私たちに視線を戻す。それに気が付いたザイノ以外の協会職員は、彼と彼の腕を気取られないように、静かに近づいて拾い上げる。


 「なぜこんなことを!」


 私は、自身の感情が壊れそうになるのを抑えるために、思わず大声でレムリアスへと質問する。


 レムリアスはそんな私を見て憐れむ表情を投げかけ、また無表情へと戻す。


「……『穢れ』を、落としておるのだ」


「穢れ?」


「『穢れ』とは、生物として捨て去らねばならぬもの、または不要であるもの。それらを落とし、清き肉体を持ち、新たな生物へと進化を促すのが、我らの使命」


「何を、意味の分からないことを! なら、人外は人間の進化した姿だとおっしゃるのか!?」


「まさに」


 会話が途切れる。レムリアスにとっては、それは至極当たり前のことであると彼の持つ雰囲気が主張している。


蝶の者バタフライ・ゼブラ死体隠しフランケン・ヴェールのやり方ではまどろっこしい。我らはもう待てぬのだ」


「フラン…… ベール?」


「貴様は死体隠しの血族だな。数は少ないなれど、その血脈は徐々に人間たちへと溶け込んでいくだろう」


 レムリアスは続ける。その表情は、声の優しさから反して徐々に憎悪を帯びていく。


「だが、それはあまりに時間がかかる。人間の穢れを持ったまま生まれ変わる可能性がある。穢れ落としはく、多くを救わねばならぬのだ」


 レムリアスは再び刃を構える。だが、既に背後にいた協会の職員たちはザイノとその腕を持って逃げ出している。残っているのは……


『やめなさいレム。久しぶりのお客さんだし、用があるから来たんだろう。バゼラも一緒なら、こちらはむしろ大歓迎だ』


 その膠着した空気を変えたのは、天井から響いた大音量の声だった。


 その声は、私はここ何十年も聞いていない、聞くことができなくなってしまった声だ。少しノイズが入っていて確信はないが、バゼラの表情からもその見当は決して間違っているわけではないと思わせる。


「ここの主は我だ。こればかりは汝に咎められることではない」


 レムリアスの返事に、少し間を置いて広間の奥の扉が開く。


「まあまあ。もしかしたら、彼らは今我らが直面している難局を切り開くきっかけになるかもしれないんだから、さ」


 その扉の奥から現れた青年を見て、私は、バゼラは、レムリアスと対峙した時など比較にならないほどのおぞましさで体に緊張が走った。


「た…… タント先生?」

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