第7話 ハーフのプロファイリング
エスト君が臨時とはいえ、看護師としてこの診療所に勤めるようになって数週間が経った。
最初は、常連の患者との再会に喜んだり入院中の人外の対応に一喜一憂したりで本人は気がつかなかったようだが、彼女の住まいからこの診療所まで、実はかなりの距離がある。それを毎日通うのは肉体的に厳しい。まして、時々入院患者の入れ換えで夜遅くまでの仕事となると、これが案外翌日に響く。十日を過ぎた辺りでさすがにミスが増え始めたので、私から近くに宿をとっては、と進言した。
「いえ、皆さん頑張っておられるのです。わたくしだけ楽をしてはいけません」
そういいながら消毒液の入ったボウルを落としそうになる。頼む、休んでくれ。
本人の入院中も思ってはいたが、彼女は妙にガッツがある。挫けない、というか今時これほど前向きな人はいない。かといって限界を無視して働くのはまた別の話だ。本当に大変なときに倒れるようなことがあってはならない。
* * *
「なんですか、惚気ですか?」
「相談なんだよカートス君、真面目に聞いていたかい?」
「あんなかわいい看護師さんを囲っておいて困る、って言われても」
カートス君は心底恨めしそうな顔で私を見つめる。配属を決めたのは私ではないんだが。
「本来女性看護師は人外担当診療科には配属されないんですからね。銀縁先生のところは、臨時病床扱いなんで彼女に入ってもらってますけど」
「……そうなのか? そういえば人外医療従事者に女性は少ないな」
「単純な事故発生予防ですよ。男性の方が丈夫で、人間では起き得ない症状にも対応できる傾向が強いんです。あ、でも今回のような内科的なものだと、看護師は女性の方が患者の精神的不安を和らげる効果もありますし、得手不得手は患者と症状をよく見比べる必要はありますけどね」
そういえば、何人か受け入れ患者が変わっているが、退院・転院する際は大体私よりエスト君が礼を言われて去っていくケースがほとんどだ。
「確かに、年頃の男女が同じ屋根のしたに住むのは問題ですけど、確かあの物件って離れに小さな小屋みたいなの、なかったですか?」
「ああ、あるけど。今は物置小屋になってる。入居した直後、使いたい部屋に書類がいっぱいあってね。移動させたんだよ」
「そこを整理すれば、形だけでも別棟扱いにできるんじゃあないですか?」
「なるほど。さすがはカートス君。じゃあ君の仕事が終わったら手伝いに来てくれないか?」
「馬鹿言わないでくださいよ。給料が出るなら考えますけど、ボランティアで時間外労働するほどこっちは暇じゃあないんですからね」
そう言いながら、カートス君は新しい書類の束を差し出してくる。
「先日の、バゼラさんが襲われた時の件で銀縁先生が提出した状況報告書のアンサーと、その時に発見された新種のバクテリアの件です」
パラパラとめくる。襲撃された当時の事を思い出すと今でも背筋がぞわっとするが、あの時の発見は無視できるものではなかった。あまり字が上手くない私が、インク瓶の半分を費やして書いた報告書だ。……五倍くらいになって帰ってきているが。
「銀縁先生が、ある種の特化型人外で非常に助かりましたよ。この成果にたどり着くの、普通なら半年くらいかかるって分析調査にかかってた先生が仰ってました。ただ、簡単に実験にかかれるものではないってことで、机上の空論の重ね合わせになった、とも仰ってました」
見慣れた単語を読み飛ばし、実験結果と経過観察の項目を斜め読みする。
今回私が協会に報告するに至ったのは、メドロドトキシンの変異種…… もとい、メドロドトキシンを生み出すバクテリアを確認したからだ。
本来、人外にとってメドロドトキシンはそこまで有害な物質ではない。が、過剰摂取などでアレルギー反応は起こりうる物質ではある。それは大前提だ。だが、人外の種類にもよるがその分解速度はかなり早く、ちょっとやそっとの過剰摂取では硬化症状が起こるほどの量を摂取できない。水より早く体外に排出されるし、なんなら有効物質に変換できる人外の方が多い。
ところが、先日の施術の際。このバクテリアの周辺にあったバゼラの細胞は、硬化反応を示していた。これがさらに進行すると、結晶化現象へと繋がる。つまり、人外でも石になりうる、ということだ。
私では、バゼラの細胞とバクテリアの違いを判別することができなかったため、摘出した周辺の細胞標本をそのまま協会に預け、後日それについての
「……なるほど、人外でも結晶化は起こるのか」
「そのバクテリアがどういう経緯で彼女の体内に入ったとか、あの三祖バゼラですら犯す細菌が存在する事実とか、密かに協会内では騒然となってますよ」
「で、治療法とかは?」
分かっていて聞いている。治療法はない。硬化した細胞を再活性させるには、体の細胞を一括で結晶化から解放しなければならない。
「……眉唾情報なんですけどね」
少し、カートス君の顔が曇る。いや、これは『職務上は通達を禁止された話題だが、伝えることで自分の責任を軽くしたい』ときの顔だ。
「大昔に、タント先生が対応した患者の中に、似たような症例の人がいたらしいんです」
私は、先ほどよりもより低い寒気が全身を襲った。ここで聞く名前ではない。
「協会内でも、その関連性に警鐘を鳴らす人もいて。どうしてそんな話になったか、出所の確認まで始まっちゃって。ただでさえ銀縁先生が持ってきた報告書から始まったこととは言え、これでもう盗難にあったカルテとの関連性が完全に肯定されちゃった形になりまして。……どう思います?」
どうもこうも、こちらが何か言えるほどの情報も、立場もない。
例の襲撃者は、カルテの盗難事件の犯人でもあった。
その襲撃者は、人を結晶化させるバクテリアをばら撒いて、人間も人外も関係なく攻撃し、今もその被害は広まっている。
ただ、バゼラが襲われた翌日以降は目に見えて被害は減少したらしい。あの襲撃者の目的がバゼラの血とカルテだったのかと考えると、翌日以降の襲撃の理由が分からないが、何か大きな発見があったことは間違いないだろう。
「目的が変わっている可能性があるけど、当初の目的は達成されたんだろう。それがバゼラの血なのか、カルテなのか、あるいはそれまですべてなのか。そして、まだ襲撃が続いているからその目的を探らないと、未然に防げないよね」
当たり障りない内容でお茶を濁す。探偵でもないのに相手のプロファイリングなんかできるわけがない。
「ですよね…… とりあえず、被害者が減少傾向にありますから、近いうちに銀縁先生のところの臨時病床は引き上げることになると思います。半数を切ったらエストさんの派遣も終わりますから……」
そこでカートス君は一呼吸ぶん会話を止める。
「それまでに、決めてくださいね」
なにをだ。
* * *
次の日、私はなぜか離れの倉庫を片づける作業を始めていた。
日課の診察は午前に数件で終わり、午後からは往診もない。とりあえず診療所にいるだけで仕事になるため、暇なのだ。そう。暇なのだ。
引っ越し作業でもないが、離れの荷物を運搬用の磁器籠へと運び込む。
ある程度溜まったら、空いた入院病棟へと放り込む。そんな肉体労働をしていると、連日の疲れからかひと箱つまづいて中身をバラしてしまった。
「あーあ、しまったなぁ。縛っていた紐もほどけて……」
ふと、ほどけた書類のようなものを拾い上げる。
「この文字は…… バゼラのカルテにかかれていた文字に、似てる……?」
というより、これはカルテだ。しかも読める。読めるし、なんなら書いたことがある。これは……
「タント先生が、バゼラの担当だった時に作ったカルテの
当時、医師見習いとしてタント先生のもとで看護職をしていたときに、先生が使っていたカルテを協会に提出するために、写しを作る作業を手伝っていたのを思い出した。もう五十年近くは経つ。あの時の診療所、ここだったか?
「というより、バゼラの生まれたときからタント先生がいた……?」
まずいな、このままだと大目的の離れの整理が終わらない。ひとまずこの紙束をとっとと奥の部屋へと片づけてしまわねば。
* * *
「あれは、『キャンワーズ』という大昔の言語じゃ。ジッポンという国が開発した言語で、一つの単語や文字に多くの意味を持たせることで、記録に使う媒体を広く使えるようにする知恵が備わっておる」
「聞いたことありますわ。ジッポンでは今より繊細な筆記用具を量産できる文明があって、単純な構造の積み重ねや意味が重なる文字を並べて強調されたりなど、難解ながらも一つを理解すると他の理解が深まるという、非常に興味深い言語を普段から使用していたと」
昼食時。少々傷が残る脇を隠す様子もなく食事をするバゼラと、その間に入って露わな脇の防波堤になろうと奮闘するエスト君とが、同じ食卓についている。今日はメギ牛のミルクスープに例のパンだ。寝る前にたくさん食べる必要はない。もちろん他の患者へは食事を提供済みである。調理責任者は私だ。
「タント先生がこの言語を使っていたということは、まさか先生が例の行方不明になった三祖、なわけは」
「ないわい。あやつは人間ぞ? 確かに寿命を全うすることはなかったが、晩年はそもそもいい歳じゃったし、むしろ人生の峠は過ぎておったじゃろう」
「え、どういうことですの?」
「平たく言うと、タント先生は事故で亡くなったんだよ。嵐の日に増水した川の鉄砲水に流されて、ね。捜索依頼を出したけど、見つかったのはこの眼鏡だけ……」
私は、自分がかけている銀縁眼鏡に手をやる。素材こそ羽白白銀で出来てはいるが、大本の持ち主は人間であるタント先生なのだ。
「タント先生がその言語を使うておったのは、貴重な紙資源を有効活用するにはちょうどよいといっておったな。そなたにも教えていたはずじゃが、すっかり忘れておるようじゃのう」
「何年前だよ、バゼラ。人の人生が一人ぶんなくなるほど経っているんだ。いくら私が人外だからといって、普段使わない文字を覚え続けるのはちょっと、ね……」
だが、思い出したからこそひっかかる事もある。
「あの、例の犯人はあの文字で書かれたカルテを読めるのか?」
そうだ。普段扱われることのない文字で書かれているカルテを欲する理由は何だ?
そもそも、そんなカルテであることを知らずに?
そんなことはない。彼らはカルテを探していた。中に書かれている内容が必要だからだ。なら、どんな文字で書かれているかを知っていなければおかしいのではないのか?
そして、そんな特殊文字で書かれたカルテを欲しがるとしたら……?
「……ヴァルマン先生?」
「あっ、なんだい?」
「いえ、何か急に黙り込んでしまわれて。何かお気づきになったんですの?」
エスト君が心底心配そうな顔で覗き込んでくる。しかも近い。
「あ、いや…… なあ、バゼラ」
「なんじゃ?」
頑張って視線を逸らし、バゼラへと質問を飛ばす。
「あの文字を、他の人が使うとなるとどんな地方の人になると思う?」
質問の内容に何かを察したのか、数刻黙り込んだのち、申し訳なさそうな顔で続けた。
「妾が知る限りでは、もうその地方に人は住んでおらぬ。長く人が増えず、最後の村も土砂崩れで地図から消えた故、もう使い手はおらぬじゃろう」
「……もしかして、そのタント先生さんが亡くなったっていう事故ですの?」
「む、ちょっと時期がずれておる。土砂崩れがあったのはそれより後じゃ。あの辺は得に樹木の死滅がひどかったからのう。まあ、地域的にはまさにそのあたりに間違いないぞ」
世界は、徐々に崩壊へと進んでいる。人が住める場所が減り、人が食べるものが減り、それらを必要としない人外が徐々に増えつつある。だが、人外は滅多なことで家族を持たない。自身が長寿であるがゆえに、他者に興味を持ちづらく、人間ほどに子孫繁栄への意識が薄いのだ。
結局、ろくな結論が出ることもなく食事が終わり、倉庫の後片付けも終わった。患者用のではあるが、簡易ベッドも置けたので、人ひとりが寝泊りするくらいなら何とかなるだろう。
私は、エスト君に布団を用意するよう頼むために本館へと戻ろうとしたとき、受付から誰かの話声が聞こえて来た。
別に隠れる必要はないが、なんとなく物陰から話の内容を聞く感じになってしまった。
「それで、どこで見つかったんですの?」
「それが、三十年ほど前に土砂崩れで無くなった『ミリカ村』の近くで、たまたま近くを通りかかった翼獣の運転手が見つけたらしいんですよ」
「土砂崩れ、ですの?」
ミリカ村といえば、確か昼食時にバゼラたちと話していた集落の名前だったな。タイムリーというかなんというか。
「ええ。今はもう人は住んでいないはずなんですが、恐らくは無人であることをいい事に住みついた野盗ではないかって言われてるんです。それで、直接顔を見たのはヴァルマン先生とバゼラさんだけらしいじゃないですか。できるなら直接確認をしてもらいたいと思って、こちらに」
そこまで聞いては私も顔を出さずにはいられない。
「私が、何か?」
顔を出すと、協会の受付の一人がそこに居た。名前までは覚えてないが、カートス君の部下だったと記憶している。
「ああ、銀縁のヴァルマン先生、始めまして。協会の方から来ましたザイノと申します。ちょっとお願い事がありまして」
カートス君よりいくらか若手のその青年は、私を見るや話しを始める。大方の内容は先ほど聞いていたが、肝心の冒頭を聞き逃したので黙って話を聞くことにする。
「実は、先日バゼラさんを襲ったとみられる犯人が見つかったんですよ。ミリカ村周辺で。 ……全身結晶化した状態だったんですけどね」
「……何、だって?」
私は、今までにないほどの寒気を背筋に感じていた。
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