第6話 ハイブリッドとハーフライフ

 私は一瞬迷ったが、翼獣の運転手に協会へ向かうよう依頼した。カルテの窃盗犯と例の吸血魔が一致していた可能性が高いことを伝えるためと、ある程度設備と人数が整った協会の処置室を借りられれば処置が早くなる、その可能性にかけた。


 若干の飛行時間をかけて協会へ到着すると、すぐに発着場にいる職員に事情を話す。怪我人が真横にいる状態では話が早く、すぐに処置室を借りることができた。が、空いている処置室が少し遠く、職員と共に担架を借りてそこそこの距離を運ぶことになった。


「すまない、通してくれ!」


 大声をあげながら処置室へ向かう。決して広くない通路は広げた担架でいっぱいになり、結果そこそこの人混みを作ってしまう。だが、出来るならすぐにでも治療に入りたい。


「なにがあったんですか!?」


「怪我人なんだ、例の吸血魔にやられた!」


「な、手伝います!」


 聞き覚えのある声がすぐ後ろから聞こえてきた。カートス君だろうか?


「いや、医療従事者じゃない者に手伝わせるわけには……」


 いかない、と言おうとして振り替えると、そこにいたのは別の者だった。カートス君だと思って向けた顔の高さには頭がなく、ふと視線を下げると少し前によく見た眼鏡…… いや、熟考して買った覚えのある眼鏡をつけた女性がすぐ横まで来ていた。


「エスト君!? どうしてここに?」


「先生、そんなことよりバゼラさんの処置が先です!」


 そう答えた彼女の襟元に、協会のバッジが光っていた。


 一瞬駆け足が止まった私を促し、処置室への扉をエスト君が開く。そう、まずはバゼラの処置が先だ。それからでも考える時間はある。聞く時間はある。話をする時間も…… なんとかその時に考えよう。


 ようやく簡易ベッドまで運び、再度傷口を見る。やはり簡単な止血では足りなかったらしく、ハンカチが赤黒く染まっている。これ以上は意味をなさないのですぐに手を付けなければならない。


「まずは汎用血液を! 彼女は人外だからそれに栄養転換剤も付与して! それから……」


 私は近くで準備を始めていた職員の方に指示を出す。急患は日常茶飯事な彼らにとってはいつもの手順だろう。だが、私にとっては気の抜けない一コマだ。


「バゼラさん! 傷口以外どこか痛みますか?!」


 エスト君の質問にバゼラは小さく首を降る。そういえば一番近くにいたというのに脇の傷以外の確認を怠った。今さらながら、自分が相当焦っていることに気がついた。


「エスト君、君も手伝いを頼めるかい?」


「もちろんです!」


「じゃあ、まずはバゼラに挿血(輸血)を。ゆっくりでいい。その間に私が傷口の処理をする」


 私は眼鏡を外して手指の簡単な消毒を済ませる。


「先生、眼鏡、外して施術されるんですか?」


 吸出し管ドレーンの準備をしているエスト君に、笑顔で答える。


「時間がないし、この方が確実なんだよ」


 私はバゼラの上着を取り去る。まだ小さい乳房が露わになるが、それもかまわずに胸の間に右手を乗せる。


「……先生?」


 エスト君の表情が一瞬強張ったように見えたが、バゼラは逆に少し痛みが和らいだかのように表情が緩んだ。


「済まぬな…… よろムッ」


 言葉を続けようとしたバゼラに、私は左手で『静かに』のジェスチャーで反応する。

 乗せた右手は徐々に淡い光を放ち始め、まるで最初から細い糸でできていたかのように光と共にほつれていく。そして、手首までが完全に光と糸の集合体になると、それらはじわじわとバゼラの中へと吸い込まれていく。


 糸状になった細胞繊維は、万能な接触感覚器と変わり、彼女の内面を観察する道具となって目で見るよりも遥かに高い制度で症状を見ることができる。まずは傷口の深さだ。状況から察するに、刺された側の肋骨と肺には、何らかのダメージがあると考えて、そこまで細胞繊維の診察範囲を伸ばしていく。細胞繊維はバゼラの体組織の隙間をぬって移動し、患部の状況を私に伝える。幸運なことに肋骨はかすっただけで大きなヒビもないが、肺は少し血液が入り込んでいたようで呼吸の阻害が心配される。数束の細胞繊維を行使して肺に流れ込んだ血液を出すためのバイパスを開ける。肺外、臓器外、体外の順番に細胞繊維を駆使して溜まっていた血液を外へと出す。もちろんあけた穴は縫い込んできっちり締める。


「先生、腹側部のから別の出血が!」


「ああ、大丈夫。肺の内出血を解放したんだ」


 私は細めた瞼の間からエスト君を見る。


「これは、先生の人外の力、ですか?」


「まあ、ね。元々は治療に使う力じゃあないけど」


 次は傷口に至る、周囲の診断だ。


 ゆっくりと細胞繊維を巡らせ、状況を把握していく。何度も刺されたわけではないのでひどいわけではないが、それでも獲物の大きさから相応のダメージが伝わってくる。


 それに伴い、バゼラの細胞とは別の異物が検出された。形状はよく似ているので気づきにくかったが、恐らく他の人外の血液だろう、ろくな洗浄をせずに獲物を使い回したものと思われる。これも普通の治療では取り除けないが、今の私なら難しくない。


 が、ここでまた別の異物を発見した。


(…メドロドトキシン!?)


 例の結晶化現象の主物質であり、治療手段を目下研究中の毒物である。人外にとっては分解できる物質でもあるのでそこまでで危険なものではないが、問題は別にある。この周辺の細胞が、硬化し始めていたのだ。


(つまり変異種だな。……人外の細胞すら変異させる物質へと進化をしている?)


 細胞の硬化はまだ始まった所のようで、まだそれほどまで硬くはない。慎重にそれらを切り離し、いったん体の外へ送り出す。そこでちょっと考えてから、一回り大きめに細胞を切りだし、体外への摘出を試みる。転移部位が多くかなりの細胞がえぐられ、合計四回は同じ作業を行うことになったが、なんとか治療は終了した。


「……終了だ」


 眼鏡をかけなおし、近くの椅子に座り込む。


 急に体の重さを感じるようになり、自分が人外としての力をほぼ限界まで消耗していたことを実感した。


 治療としての自分の仕事は一通り終わったので、残りの縫合や摘出部位の処分などは引き続き協会のサポートに来ている職員が行っている。といっても、おおきな傷はあらかた自分が処理したし、あふれた血液の洗浄や摘出した細胞の保存などが主な残処理になるだろう。


「お疲れ様です、ドクター、エスト助手。術後処置が終わりましたので、我々は失礼します」


「あ、ああ。助かったよ。ありがとう」


 唯一まともに働く感覚器官の働きにより、協会のサポート部隊が処置室から出ていくのが分かった。が、その内の一つがこちらに向かってきた。あの足音は、エスト君だな。


「……あれが、先生の”人外の力”ですか?」


 私の横に座りながら、小さな声で囁く。


「あまり、医療行為に向いていないんでね。なるべくアレは使わず、人と同じ方法で治療を行うようにしてはいるんだ。なんせ人に向けて行うと、逆に患者を『喰って』しまう。今回は相手がバゼラだったし、緊急だった。うまくいったのが救いだ」


 自分の手を見る。そこには、人と同じ形をした、人の手のようなものが私の右腕から生えているのが見える。……今は。


「わたくしも、看護師としての初仕事が知り合いの緊急処置になるとは思いませんでしたわ」


「そういえば、パン屋の息子の時といい今回といい、素人とは思えない初動だったけど、もしかしてそういう教育を受けていたのかい?」


 自分の話題になりそうだったので、それを誘導して彼女の話にすり替える。しかし、エスト君はそれを聞くや、顔色が暗くなってしまった。


「……わたくし、もともとは医療関係の学校におりましたの」


「看護学校、か」


「いいえ、医術全般の。どちらかというと先生と同じ、医者としてのお仕事ができるはずだったんです」


 そこから、ぽつるりぽつりとエスト君は自分の事を話し始めてくれた。


 彼女の家は昔から医者を輩出している家柄で、父親も母親も医者だったそうだ。元々は大きな屋敷も持っていなかったが、三代前の身内が貴族のかかりつけ医をしていたそうで、その縁から屋敷や土地を、お金のかわりとしていただいたらしい。


 エスト君はそういった家庭環境から全寮制の医療関係の学校に行くことになったのは、当然の成り行きだったそうだ。だが数年後、彼女の父から『母が亡くなった』と知らせを受けたのをきっかけに、学校を休学。屋敷に戻ったが、そこにいたのは既に正気を失った父親の姿だった。あとは、私と会うまでは外道崇拝者と化した父親に、いいようにされてしまっていたのだろう。


「わたくしも、お母様が亡くなり、お父様がああなってしまわれてからは、わたくしも生きることに意味を見いだせなくなっておりました」


 私は、静かに彼女の独白に耳を向けていた。恐らく、最近の出来事の中では私の診療所にいた時間が貴重な思い出だったのだろう。


 ……もう少し、入院期間があってもよかったのかもしれない。


「その時です。素敵な瞳に心を射抜かれてしまったんです」


 ここで、僅かに覚えのある情報が出てきた。


「『生きたい』。わたくしは心の底ではそう思っているのだと、その時ようやく自覚することができたのです。それを一時の迷いでなく、確実なものにするために、ルシオン達にわたくしを助けて下さったお医者様のことを聞くと、なんとうちの家で管理している診療所で開業している方だというではないですか」


 なるほど、協会経由で借りたから家主までは知らなかった。そりゃ鍵も意味をなさないわけだ。


 ここでエスト君はさらにヒートアップすると思ったが、ここでなぜかいったん一呼吸おいて落ち着いた口調に戻っていった。


「でも…… 先生と一緒に色々とお話したり、他の患者様たちと接していくうちに『生きる』っていうことと『先生と一緒にいる』ということは少し違うんだ、って思うようになりましたの」


 エスト君は、服の裾ごと手を強く握る。声をかけたいが、声にならない。


「決定的だったのは、バゼラさんとお話しするようになってからです」


 彼女の左右の異なる瞳が、同じものを見つめている。見つめてくる。私の目を。まぶし過ぎて目をそらしたくなってしまうほどに。


「今のままでは、ただの患者と医者。その関係を変えることはできない。バゼラさんはその関係でよいとおっしゃっていたのですが、わたくしはその思いに違和感を感じたのです。きっとわたくしは、そうではない。きっと、あなたの隣に立ちたいと思っていたのだ、と思い至りましたの」


 あの時の、無言の退院はそういった感情がないまぜになっていたからか。彼女の中で色々な決意と思いが入り交じり、何も言えなくなっていたというわけだ。


「君が思っているほど、私はいい医者ではないよ」


 だからなのか、つい口に出た言葉は謙遜にすら至らない、自己弁護の塊のような呟きだった。


「医者をやっているのも、師匠だったタント先生が協会所属の人外専門医だから、というのが大きな理由なんだ。先生が協会を去ってからも続けているのは、罪滅ぼしみたいなものさ」


 私は眼鏡をはずし、ツルを反対側に向ける。まるで、誰かに眼鏡をかけるように持つ。


「人を、殺しかけたことがある。いや、もしかしたら何人かは殺しているのかもしれない。 ……さっきの、力を使ってね」


 眼鏡を持つ手に力を込める。銀縁眼鏡が持つ人外の力を抑える効果が、先ほどのように手を光の束に変化させる能力を抑え込む。結果、眼鏡を持つ両手が淡く青色に光る。


「まだ幼かった私はある日、誤って人を殺しかけた。この力、吸収能力の一種らしいんだが、その加減が分からずに触れた人からエネルギーを過剰に奪ってしまったらしい。すぐさま協会に運ばれ、被害者は何とか助かったんだが、加害者である私はそのまま協会に拘束、すぐに災害人外はんざいしゃ指定される…… ところだった」


 眼鏡をかけなおす。力の抑制が働き、手の輝きが収まる。


「対応にあたっていたのが、タント先生だった。『この人外の力は、きっと今後たくさんの人の、人外の命を救う。ぜひ、協会で力の扱いを教え、覚えるべきだ』と。……私はね。両親の顔を知らない。捨てられていたんだ。自分がハーフと分かったのも、このタント先生との出会いからで、それまでは自分の存在を、世界に受け入れられていないと思っていたんだよ」


 両手を強く、握っては開くを繰り返す。能力は、完全に立ち消えた。


「あの人は、私の全てだった。いなくなった今も、変わらず」


 ふと外を見ると、もう夕焼けも過ぎていくつかの星が空に浮かんでいるのが見えた。私は立ち上がり、彼女に手を向けて立ち上がるよう促す。


「さあ、遅くなったね。今日は送ろう。もしかしたらまだ乗ってきた翼獣が待ってくれているかもしれない。職場が協会なら、また近いうちに会えるだろうし、ね」


 エスト君は、向けられた手を取って立ち上がり、素直に屋敷まで送り届けられていった。


   *  *  *


 数日後。


 協会から、結局数名の入院患者の受け入れ要請があった。


 バゼラ襲撃の前後にも何人かの人外が被害に遭ったらしく、初期治療は済ませたものの数日の安静期間だけでも、ということだったのでしぶしぶOKした。


 ただ、協会も気を利かせ、今後もこういう対応をお願いする可能性があるからと、看護師の派遣も付けてくれるそうだ。


 ちょっと引っかかるが、最近のごたごたを考えると、この配慮は助かる。


 搬送車が向かってくると思われる大きな音が、遠くからこの診療所の近くで止まる。間違いないだろう。


 私はベッドまでの通路を確保しつつ、診療所の扉を大きく開く。


「お待たせいたしました! 先日の通達でお願いしていました、入院患者さんの送迎と……」


 見覚えのある銀縁眼鏡と、協会のバッジをつけた女性が、目の前にいた。


「派遣看護師の、エストです! よろしくお願いします!」

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