第5話 ハイラウンダーとハーミット

 ここ数日、診療所と協会を何度も往復する生活を送っている。


 どうもあれから、私以外にも結晶化現象に遭遇した医師が数名報告に来たらしく、パン屋の少年(エスト君が退院したと聞いて配達がお父さんに変わったが)の話を詳しく聞き取りしたいといった話や、患者が生きたまま摘出した結晶サンプルは珍しいから調べたい、ということで何度も協会へ赴いては調書を取られる羽目になった。見つかった結晶化現象の患者は発見時すでに全身に結晶が進行し、生命活動はしていなかったらしい。私の例は幸運だったと言うわけだ。


 こうも同じような事件が多発するようになると、人外はやたら肩身が狭くなる。ただでさえ社会の大多数を人間が占めているせいで生活がしづらいというのに、異常な現象を目の当たりにするたび協会へクレームが入る。さすがに今回の事件が人外にしかできない犯罪だとは思わない。むしろ毒薬に精通したものなら誰でも可能だし、そういう意味では研究者の絶対数が多い人間の方が怪しく見える。


 ただ、この多忙さはある意味助かっている。エスト君のことを思い出さずに済むからだ。


 眼鏡を渡したその日に、来たときと同じくらいの速度で退院していった。どことなく出ていくときに元気がなかったようにも見えた気がするし、てっきりごねて入院期間を伸ばすものと思っていたが、あまりのあっけなさにその日は気になって眠れなかった。


   *  *  *


「そういえば、最近物騒な事件が協会に寄せられてまして」


 カートス君が、私から新しい結晶化についての資料を受けとると、唐突に話を振ってきた。


「なんだか嫌な話の振りだね。まるで聞いて欲しいみたいに」


「というより聞いて欲しいんですよ。……吸血鬼、って知ってます?」


「まあ、想像上の血を吸う化け物だよね?」


 残念ながら、人間の血を吸う人外はいない。別のものを吸う人外ならいたかもしれないが、現在はもう存在していない。


「犯人が人外か人間なのかはわかりませんけど、血液を狙って何名か襲われたんです。被害者は全員人外で、噛み痕ではなく、まるで採血したみたいに針穴のような痕跡が残されてたとか。量も、致死量一歩手前くらいいかれてたとかで…… そういう人がどんどんと地方の診療所に担ぎ込まれて、そこのベッドを埋めてしまいそうなんです」


「……例のカルテ盗難と繋がりは?」


「無くなったカルテの洗い出しがまだですけど、無作為の可能性が高いみたいです。それよりそろそろ協会のベッドも貸し出しが始まるんで、近場の診療所へ応援を出す予定なんです。そこで……」


 なるほど、協会のベッドが埋まる前にこちらの診療所のベッドを貸し出せ、と。


「ああ、ある分は構わないよ。バゼラがいるから空きは四つから貸せる」


「あれ、もう一人おられませんでした?」


「……ああ、退院したよ。彼女は人間だったから、人外が入ってくるならちょうどいいね」


「あ、でもベッド五台分の患者さんを一人では見られないでしょう? もしも半分埋まるようならこちらから看護師一人派遣しますよ」


「あ、ああ。それは助かるよ」


   *  *  *


「血液を、のう……」


 先ほど協会で得た情報を、診療所に戻ってバゼラに話す。いくら三祖とはいえ今の彼女は並の人外よりもか弱い。注意してもらうに越したことはない。


「ここにいる間は大丈夫だとは思うけど、一応気に留めておいて」


 私はバゼラから預かったカルテを見ながら、彼女の成長速度を見比べる。過去に彼女と関わったときに比べると、かなり成長の速度が早く感じる。いまでおよそ人間の十五歳台の体格にまで成長している。もうおおよその生活に支障はないはずだ。


 それよりも、気になる点がある。


 カルテの記述は二百年ほど前から始まっているが、どうもそれより以前のものもあるようだ。一番古いカルテの日付に『経過◯◯日目』とある。明らかに途中からの内容だ。


 カルテ盗難の犯人は、三祖のカルテも合わせて盗んでいる。もしかして、これ以前の情報を探していたのだとすると……


「ねえ、バゼラ。このカルテ、過去の内容が一部無いみたいだけど」


「ん? 必要ないかと思ってお主には渡しておらぬ。というか、何が書いてあるか読めなんだゆえ、必要ではないと判断したのじゃ」


「そんな難しい内容だった?」


「うーむ、むしろ別の文字に見えたがのう」


 好奇心か、それともただのお節介なのか。その文字が、書かれた内容が気になった。


「……どんな文字だった?」


「なんなら、取りに行くとするか? ちょうど今の体に合う着替えが欲しくてのう」


 確かに、持ってきた服が最近ピチピチになってきていたのを思い出す。先程協会から帰って昼を食べたところで、今日は仕事も無い。早速、翼獣の手配をして、バゼラの屋敷へ向かった。


   *  *  *


「な、なんじゃこれは!」


 いつもの場所から降りたときから、既に異変は見えていた。窓から見える景色が明らかに散らかっている。扉を開こうとノブに触れると、屋敷の施錠がもう役に立たなくなっているのがわかった。けたたましい音と共に内側へ倒れたからだ。


「妾のわがままが始まりとはいえ、皆に暇を与えたのは正解じゃったな」


 調度品の破片や散らかった家具を踏まないように気を付けながら奥へと進む。物取りにしてはあちこちを破壊して回ったような惨状だが、とりわけ主人のバゼラが気にも留めていないところを見ると、特に驚くような場面ではないようだ。私も落ち着いて彼女の後ろを気を付けて歩く。


 以前に『生え変わり』に使った部屋のさらに奥へと進むと、重厚な扉の前へとたどり着く。なぜか、その扉は他と違い金属製のスライドタイプで、荒らされた形跡がない。というか、言われないと扉に見えない。


「ここにカルテは保存してある。持ち出しは禁止じゃ。まあ、持ち出せるとも思わんがな」


 何らかの仕草と共に、左右に音もなく開かれたその部屋は、まるで未知の知識で埋め尽くされた図書館のような雰囲気で、誰もいないはずなのに妙な違和感を感じた。屋敷を開けてかなり経っているはずなのに、埃がほとんどない。そして、視界を埋める本、本、本。キョロキョロ回りを見渡す私をよそに、バゼラは部屋に入っていく。


「こっちじゃ。迷うから妾を見失うな」


 先を行くバゼラを小走りで追いかける。いつもの歩幅が広くなったせいか、どんどんと置いていかれている。向こうはまだ自分が小さいコンパスのつもりで歩いているから、気を抜くと差が広がってしまう。


 私は、距離を保ちながら回りを見回す。


 今さら、大量の本に囲まれている異様さに圧倒される。


 動物紙で作られた独特の臭いがない。つまり植物の、昔ながらの紙を使って製本されたこれらの書物が、これほど膨大な量を揃えた空間を、私は知らない。ここにあったことすら知らない。ただ、そのどれもが読んだことのない言語で記されているようだ。背表紙の文字が半分以上わからない。小さい頃の自分に戻ったときのようだ。


「お、ここじゃ」


 バゼラがとある棚に到着する。紐で纏められたいくつかの手書きのファイルを数冊手に取り、うち一つを私へ差し出す。


「おぬしに渡したカルテから見て、一番近い日付のものじゃ」


 ずし、と重さが両肩にかかる。


 数字は過去も共通したものを使っているからか、それが確かに預かったカルテの少し前の日付であることがわかる。しかし、それ以外はよく分からない言語でかかれている。


 恐る恐る、表紙をめくる。


 単なるカルテの保護目的で付けられた表紙は軽かったが、その中身は想像通り、またしても謎の言語での記述が続いていた。ただ、乱雑に書かれているようにも見えて、なんとなく理解ができそうな、パラパラとめくるうちにそんな感覚を覚えていった。


「読め、る?」


 恐らく医療用語が続いているからなのか、あるいはどこかで見たのか。さらに読み進めようとしたとき、バゼラの様子がおかしいことに気がついた。


「……バゼラ?」


(シッ!)


 バゼラは本棚の向こう側を凝視している。私からはなにも見えない。子猫が虚空に向かって威嚇している様に似ているが、本人はいたって本気だ。


 凍りついた空気にヒビを入れたのは、バゼラの視線の先から現れた。


「……三祖の人外、バゼラだな」


 ボロボロの服に端切れのような腰巻きを付け、使い古した包帯のようなものを体中に巻いた、年の頃はうちに来たばかりのバゼラくらいの子供が、本棚の隙間から姿を出した。


「カルテと、血を貰う」


 姿が見えているはずなのに、声を聞いているはずなのに、まるで存在感がない。まるでこの世の隠者ハーミットのような風体の少年もどきは、謎の器具を両手に持ち、足音を置き去りにしてこちらへ駆ける。


「断るっ!」


 バゼラは普段使わない、六本目の『隠し指』を伸ばし、指先の鋭い爪を少年もどきに突き出す。想定外の抵抗に一旦横飛びで距離を置いた少年もどきは、飛び退いた先の本棚にぶつかる。その拍子に、本棚がバランスを崩し 、中身をぶちまける。


「ああ! 本がぁ!」


 叡智の結晶が…… といってる暇はない。少年もどきはさらに奥の本棚へ姿を隠し、こちらの動きを探っている。


「ええい、まどろっこしい!」


 何を思ったか、バゼラはバランスを崩した本棚を少年もどきに向かって蹴りつける。思いもかけない行動に、少年もどきも私も一瞬たじろぐ。


「そこじゃ!」


 半身が視界に入ったと同時に、バゼラの隠し指が閃く。しかし、そこには少年もどきが纏っていた汚い布だけが残され、中身はなかった。


「バゼラ、左だ!」


 しかし、私の言葉より早く少年もどきはバゼラに襲い掛かる。素早くみぞおちに一撃入れ、怯んだ隙に頭の布を解いて突き出されていた手を絡める。拘束を恐れたバゼラが布ごと少年もどきを引き寄せると、一切の抵抗をせずに少年もどきが引き寄せられる。いや、あれはバゼラの力を利用して近づいたのだろう、引き寄せられたはずの少年もどきのうごきが一瞬早くバゼラの反対側の手まで巻き込んだ。つまり、私の助言も虚しく、バゼラは両手を絡めとられて動けなくなってしまった。


「離せ!」


 もがくバゼラをいなしながら、少年もどきはそのまま手に持っていた器具を彼女の脇の下へ押し付ける。一瞬バゼラの体が硬直し、すぐに何かしらの攻撃が行われているのが分かった。


「ぐぁっ!」


 小さく口をゆがめ、短いうめき声をあげるバゼラ。恐らく血液を採取されているのだろう、どんな状態なのかここからは離れているため、確認はおろか彼女の状態すら分からない。


「交渉だ、医者」


 少年もどきは、表情を変えずに私に話しかけてきた。


「僕はこのまま、彼女を殺してもいい。あなたは困るよね。僕は、カルテと彼女の血液があればいい。生かす代わりに、僕が逃げるのを止めないでほしい」


「……最悪の選択だな」


 確かに、私には戦闘能力はない。せいぜいできる事と言えば、少年もどきが重いカルテを持ち運ぶ隙に、決死の特攻をするくらいしか浮かばない。


「聞…… くな…… ルー!」


 バゼラから弱々しい声が放たれる。腹膜に力が入らない状態にまで血を抜かれているかもしれない。


「やめろ! 彼女の採取可能な血液量は多くない!」


 私は、恐らく少年もどきが欲しがっているであろうカルテの束を棚から引きだし、入り口近くへ放り投げる。


「ほら、多分アレだ! 早く彼女を解放しろ!」


 少年もどきは投げられた紙束と私を見比べ、バゼラから器具を離す。その際、差し込まれていた器具がチラリと見えた。


(な、なんだアレは)


 形状はかなり乱暴なもので、手の甲から指と同じくらいの長さの三本の針が飛び出していた。指のすぐ裏から突き出ていて、握り込むとちょうど腕と一直線になり、それを突き刺していたと思われる。掌の方にも何かを握っていたので、そこへ血液なり体液なりを移す使い方をする器具と思われる。


 問題は太さだ。あれは普段使っている注射針の四倍はあろうか、とても針とは言えない。もはや金属製の管だ。ろくな消毒、止血をしないまま突っ込まれれば確かに問題だ。もしかしたら、あれは血管から血液を採るのではなく体内を傷つけて起こる出血を採る器具ではないか。だとすると、今のバゼラの体内は……


 少年もどきは決して丁寧とは言えないが、ある程度は気遣ってバゼラをその場に寝かす。しかし、止血もままならない状態の彼女の傷口からは、既にかなりの出血で赤黒くなっている。


「バゼラ!」


 彼女は既に意識がもうろうとしており、こちらの声に反応しない。それを察したのか、少年もどきは先ほどと変わらない俊敏さで入口まで駆け、足元のカルテを手に取ってその場から去っていった。


 私はすぐさまバゼラに駆け寄り、上着からハンカチと数本の包帯を取り出して止血を始める。思ったほど出血はしていないが、あれほど体内をえぐられたのであればむしろ体の中の方が心配だ。


「くそ、マズいな」


 私はとるものもとらず、まず彼女の身の安全のために、いったんその場を後にした。


   *  *  *


「いや、正直助かります。人員不足で各地から引退者の再雇用まで考えていたものでして」


「わたくしも、履修途中で実家に呼び戻されたものですから、こういう形であれ卒業認定を頂いた上、新しく仕事が始められるなら、願ったりかなったりですわ」


「でも、この時期にいきなり実地に入るっていうことですし、まずは研修できるところがいいんじゃあないですか?」


「問題ありません。形式上は違うかもしれませんが、現場には少し前までおりましたし、少しくらいきつくても、多分大丈夫ですわ」


「そうですか。まあ、こちらも現時点でサポートできるほどの人員がいないので、本人様の意思次第でお願いすることになってしまいますが」


「構いません。それでは、これからもよろしくお願いいたしますわ」


「ええ。早速被害者三人の入院先に、派遣という形で入っていただきます。ええと、転院先が…」


「ヴァルマン診療所、ですわね」


「よろしくお願いしますね、新米銀縁看護師さん」

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