第78話 あり得ざるもの

 ミカエルとオーガスタス━━オーギュストのもとに『御前試合の内容変更』の旨が知らされた時、オーギュストは思わずこうつぶやいたという。


「え、なんで…………?」


 このように方々ほうぼうに混乱を巻き起こしながら御前試合の準備は整ったわけだが、『アンジェリーナvsオーガスタスvsバルバロッサ』のカードが整った時点で、アンジェリーナの勝利が確定してしまった。


 というのも、王子には『評判』が重要だ。


 この『評判』というものは世論が形成する。世論というものはその時代・地域の『倫理観』が形成する。


 たとえばドラクロワ王国でも、ラカーン王国においても、『貴族家の女主人』というのは特例がない限り認められないものである。

 この背景には『伝統』があり、『伝統』は『歴史』の堆積物だ。


 ……まだ、今より魔法・魔術が戦力として期待されていなかった時代━━

 まれに『戦技』に目覚める騎士はいたが、それが魔力を用いた現象とはわかっておらず、騎士というものが『大柄で筋骨隆々な者が強い』という価値観に支配されていた時代……


 まぎれもなく、平均的な男性は、平均的な女性より強かった。


 ゆえに、男が戦いに出た方が効率的・・・だった。


 だから、男ばかりが戦った。


 そして貴族の起源は開拓者である。


 なので、陣頭で、命懸けで、腕力と体力で獣を狩り、土地をひらいた者が頭目に選ばれ━━


 現在で言う『貴族当主』になった。


 貴族当主は次代を担う己の子に『自分のように民を導ける者』を選び、人々は貴族当主の子に『親と同じような活躍』を望んだ。


 その結果、腕力と指導力、あるいはハッタリに優れた者が選ばれ続け、選ばれ続けるうちにそれは『伝統』となった。


 伝統と化したころ、起源は失われる。


 最初は『強く、指導力があるから』という理由で選ばれていた貴族家当主は、『そういう伝統だから』という理由で選ばれるようになる。


 伝統は伝統を守ろうとする者たちのあいだで一種の符牒となり、これを守れない者は集団……『貴族』という集団の常識になじめないとされ、排斥の対象となってしまう。


 つまり━━


『紳士は淑女に剣を向けてはならない。なぜならば、淑女を花のように扱うことこそが優れた紳士の条件であるからだ』


『淑女は紳士にエスコートされなければならない。なぜならば、紳士に守られる可憐な花であることこそが淑女の条件だからだ』


 なので、通常、腕試しの場に淑女が出てくるというのは『ありえない』。


 ありえないことが起こったのは、アンジェリーナがいわゆる『淑女』というあり方にこだわらなかったのと……


 そもそも、アンジェリーナの実家であるクリスティアナ島は、この『符牒』を無視する家系であったからだ。


 おそらく世界で唯一、淑女の規範を破っても『まあ、あの家の、あの娘だからな』で済まされる貴族がアンジェリーナ・クリスティアナ=オールドリッチなのであった。


 だからバルバロッサ王子は『淑女』という立場を盾にとってアンジェリーナの思いつきを留めることができず……


 かといって、アンジェリーナに剣を向けて傷つけるようなことをしてしまえば、紳士としてのあり方を問われる。


 だから━━


「……ああ、なるほど。アンジェリーナも試合場まで降りてきて、僕とバルバロッサ王子が対決し…………勝者がアンジェリーナに…………形式的に挑みかかって、敗北する…………うん、まあ、そうするしかないですよね」


 なんていうか、世間体的にそうするしかない。


 もちろん本気で挑みかかればアンジェリーナを倒せないことはないだろう。

 彼女はとにかく━━体力がないから。

 あと、おそらくだが、剣術もやっていないと思われる。

 クリスティアナ島の女主人は武芸にも通じている様子があるのだが、その娘たるアンジェリーナは……一言で言ってしまえば、甘やかされているのだ。


 もっとも、その裏にはなんらかの思惑がありそうではあるが。


 とにかく、オーギュストはこらえきれずに笑った。


「すごいな、この状況で一人勝ちするのか……さすがだ、アンジェリーナ」


 自分たちがあれこれ動いてはみたけれど、彼女は一人でも帰りたければ帰ったのだろうと思わされる。


 だから、あとは迎えに行くだけ、なのだけれど。


「……剣で君を救い出すという役割も負ってはみたかったな」


 ━━努力をして手に入れようとしたものが、目の前で突然消え去ったような。


 そういう虚しさがほんの一抹、胸の中にあることも事実なのだった。



 ━━クリスティアナ島。


 オーギュストが御前試合のルール変更を知ったのと時をほぼ同じく・・・・・して、そこにも情報が届いていた。


 ラカーン王国の情報を王国内にいるオーギュストとほとんど同時に得られた理由は、『失われた魔道具』と呼ばれる貴重なもののお陰だ。


 ……かつて、クリスティアナ王国において『聖女』の指揮する艦隊は無敗を誇った。


 その陰にはもちろん高い練度もあったが……


 聖女の声をつぶさに各艦の艦長に伝え、艦隊すべてを聖女の手足とするこの魔道具の存在が大きい。


 それは風属性の魔道具に分類される。

 一種の『拡声』効果を発揮するものではあるが━━


 単なる拡声魔道具とは比べものにならないほどの距離にまで声が届き、さらには二つ一組になったその魔道具は、同じ組のもう片方を持った者にしかその声が届かないという機密性まで保持していた。


 執務室でラカーン王国に忍ばせた密偵から報告を受けたエレノーラ・クリスティアナ=オールドリッチは、娘のやりよう・・・・に大きく息をつき、執務机に突っ伏した。


 娘とお揃いの銀色の髪がテーブルに大きく広がり、しばらくジッとしたあと、わなないた。


 笑っているのだった。


 しばらくぶるぶると、『淑女にあるまじきことだ』とうるさい者には言われそうなほどに笑い、それから息を整えて、顔を上げる。


 するとそこにはもう穏やかさ以外になにもない、島の女主人にして最高の貴婦人そのものという表情が貼り付いている。


「……ああ、本当に、運命の子・・・・


 ため息まじりに吐き出してから、慌てて周囲の気配を探る。


 誰もいなさそうなことを確認してまた大きく息をつき、


「よりにもよって、私の子として産まれるなんて……嘆けばいいのか、喜べばいいのか……ともあれ、クリスティアナの儀式は成った。これはもう確定でよさそうね……」


 エレノーラは『これが最後』と定めて小さくため息をつき、


「転生者━━」


 異なる時代、あるいは異なる世界の知識、能力、常識をもって生まれる存在。

 かつて『聖女』と呼ばれ、無敵艦隊を率い……数々の異常なる魔道具を生み出した天才と同じモノ。


「━━零落したクリスティアナ王国を再び救うモノ。……まあ、一族の悲願、ではあるけれど」


 最後と定めたはずなのに、もう一度だけため息をついて、


「あの子には、あの子の幸せを見つけてほしいものだわ。……転生者が産まれる時に時代が激動となるだなんて、ないといいのだけれど」


 エレノーラの困った特性として、『こうならなければいい』と彼女が望んだことは、必ず『こうなる』というものがあった。


 コインを弾いて表を予想すれば必ず裏が出るという数奇なる彼女の運命が、娘の人生にどのように作用するのかは━━まだ、誰も知らない。

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