第77話 倫理観

「はあ、なにか。それでは……オーギュストが国に来ていて、御前試合をする予定だということか?」


「あくまでも『騎士ミカエルの従者オーガスタス』だがな」


 夜のお茶会は毎日のように行われている。


 泥と石でできた街の中にあって『黄金宮殿』とあだ名される王宮は、外壁にさえ宝石や黄金を用いられている。


 もちろんそれらは価値ある石であり貴金属ではあるので、それが盗まれない治安こそがこの宮殿をきらめかせる真なる輝きに他ならない。


 内部は外部に負けず劣らず豪奢な作りであった。

 絵画やツボなどの品が多いというわけではなく、壁や天井、床それ自体が芸術品と呼べるほどの技巧がこらされ、なおかつ高級な素材をふんだんに使われているのだ。


 特に宝石を贅沢に溶かし込んだ青い顔料を用いて巨匠が描いた『砂漠の国の夜空』という作品天井・・・・があるバルバロッサの住まう区画は、他とは一線を画す荘厳さがあった。


 もちろんただお茶を飲むのに使う部屋も天井、壁紙、床と隙なく技巧がこらされており、なんというか━━


 ━━長く暮らしてみても、やっぱり、落ち着かない。


 そもそもアンジェリーナは地味好み……というか『黒』好みである。


 自分の出自、正体はどうあれ。


 黒という色を好ましいと思う感性だけは、たしかに自分のものなのだ。


「……で、それを我に明かしてどうする? サプライズのために隠していたのではなかったのか?」


「うむ。いきなり御前試合の場で出会わせてみる予定ではあったのだがな。『ご婦人は御前試合など見ようとも思わないかもしれない』と言われ、それもそうかと」


「……貴様なら強引に連れ出しそうなものだが」


「俺ならばそうする。が、無口にして忠実なる従者からの進言とくれば無碍むげにもできん。俺の強引さを振り切る可能性も考慮せよという意味合いと受け取った」


「無口にして忠実……カシムとかいうやつか?」


「応」


「……そういえば、カシムにも王位継承権があるのか?」


「ああ、ない。あれは髪が黒いからな」


「……どういうことだ?」


「体色に『黒』が出てしまっている者は早死にすると言われているし、実際、三十まで生きられたという話が一つもない。そのような者に国政を任せはせん。……常識だと思うが」


「は? いや、それはないと……」


 アンジェリーナの周囲にも、体色に『黒』がある者はいる。

 たとえばアンジェリーナの父は黒髪だし、三十歳はとうに過ぎている。

 従者のララだってそうだ。


 なによりドラクロワ王国第一王子のリシャールは、黒髪に黄金の瞳を持つ青年だ。


 少なくとも、ドラクロワ王国において、『体色に黒があるから王位継承権がない』などということはない。


「ふむ。……まあ、そちらの国でそういう気配はたしかにないな。俺もことさらリシャールに『どうせお前は王位をとれぬのだろう?』などと無礼なことは言わん。そもそも、体色差別自体、表立って口にはせぬからな」


「……それも、そうか」


「だが、ドラクロワ風にすれば、口に出した言葉をそのまま受け取らぬのが美徳なのだろう? あの国は見下す者をことさら褒め称える、いやらしい文化があるではないか」


「少なくともリシャールまわりにかんして言えば、その次期国王としての実力を疑っている者はおらんはずだが」


 少なくとも、もともとリシャールに仕えていたガブリエルなどは、リシャールが王位をとるものと疑っていなかった。

 その義父であるミカエルだって、リシャールのことを評価していた。さすがにあの御仁に限って『ドラクロワ風』はあるまい。


「そもそも、誤解がある。ドラクロワ貴族とて、言葉のすべてに裏があるというわけではないぞ。というか、我にはない」


「待て」


 バルバロッサは片手でその顔を隠し、もう片方の手をアンジェリーナに突き出すようにする。


 それから、わななくような声で、言う。


「……そうなるともしや、貴様が表向きオーギュストの婚約者でありながら黒を好んでまとっていたのは、『心はオーギュストにはなく、応援しているのはリシャールだ』というメッセージではなかったのか? まさか本当にただの地味好み?」


「地味好みではない。黒好みだ」


「いや、なんだ……その『黒好み』というのはてっきり、ドラクロワ風の言い回しかと思ったぞ」


「そちらこそ、我が黒好みと知って黒の宝石を贈ると言ったのは、好みの色を贈るという意味ではなかったのか?」


「いや、『心にリシャールがいても構わん』という意味合いだが」


「なるほど、すべて理解した。よし、ではこれから、ラカーン王国風に言うぞ」


「なんだ?」


「用事が終わったので国に帰してくれ」


「……」


「調べたいことは調べ終えた。おそらくこれ以上この国にいても進展はない。もっとも大事なものが、この国にないからだ」


 アンジェリーナが赤い左目でまっすぐバルバロッサを見ると、バルバロッサは呆然とし、絶句していた。


 しばらく……熱く濃いお茶から湯気が消えるほどの時間が経ってから、バルバロッサは、喉が渇ききっているかのように、言葉を発する。


「では、なにか……本心で『帰る』と?」


 それはさも『ありえない』というような口ぶりで、アンジェリーナは毒気を抜かれてしまう。


 ラカーン王国には『察する』文化がない。

 ……だが、バルバロッサは、アンジェリーナとともに歩む・・・・・と表明した。


 そこにはきっと、『ドラクロワ風に接する』という意味が込められていたのだろう。


 だから、話が微妙に通じないところもあった。


 アンジェリーナはドラクロワ王国においてさえラカーン王国風の直接的な言い回しをしていたが━━

 バルバロッサはあくまでも、アンジェリーナを『ドラクロワ貴族の令嬢』として接していたのだった。


 バルバロッサはしかし、食い下がるように言う。


「オーギュストの魅力を問われて口ごもったのも、まさか本当に『男として考えたことがなかったから』か?」


「そうだが……」


「……なんたることだ」


「なんかすまんな……」


「少し待て。さすがにこの俺も愕然としている」


 バルバロッサは両手で顔を覆う。


 そして、そのまま、絞り出すように、


「……俺が貴様を魅力的だと思ったことに、ドラクロワ風の意味はない」


「それは、ありがたいことだ。だが……」


「目だ」


「……そう、目なのだ。我が右目には魅了の効果が……」


「違う。俺を前に『なんだコイツ』というような目をしてみせる、その豪胆さをまず気に入った。そして、見識に惚れた。貴様こそ妃にふさわしいと、本当にそう思った。貴様にあらゆるものを与えるというのも、嘘はない」


「……」


「貴様を『ドラクロワの貴族』として遇する一方で、俺は『ラカーンの王子』としての言葉をかけた。ここに嘘はないのだ。一片たりとも」


「過分な言葉だった」


「それに貴様、『魔力の流れ』が見えているだろう?」


「……船でばれたか」


「その能力を持つ者を、俺はカシムしか知らん」


 只者ではないのは一見してわかったが、あの従者、予想以上に只者ではなかったようだ。

 空飛ぶ船といい、ラカーン王国とドラクロワ王国のあいだで戦争になってほしくないという気持ちは高まるばかりだ。


 バルバロッサ王子は顔を覆う手をどける。


 そこには、普段、自信満々で、いつだって口の端にはわずかに笑みが浮かんでいる、強気な色がなかった。


 ただただ真剣さをいっぱいににじませて、バルバロッサは言う。


「ラカーン風に問う。ラカーン風に答えてくれ。━━俺の妃として、この国で過ごさんか?」


「ラカーン風も正直よくわかっていないところがあるので、自分風に答えるが……それは、断る」


「……」


「オーギュストを男として見たことはなかった。オーギュストになにか、形になったり、我を喜ばすためのものを贈られたこともなかった。そもそも、我が『そんなものはいい』と思っており、オーギュストはそれを尊重している」


「……」


「許されているかどうかというのは、わからない。許されているのかもしれないし、許されていないのかもしれない。ゆえに、答えることはできん」


「……」


「ただ、貴様の嫁に来いと言われれば、『行かない』と答える」


「……そうか」


「おそらくだが━━この時代の人々と我とで、もっとも異なるものは、平時における倫理観なのだろう」


 戦争ならば、殺し合いならば、相応の倫理観が形成されるが……

 それはそれとして、戦争と戦争のはざま、非戦闘地域などには、それ相応の倫理観がある。


 その倫理観によれば━━


「二十代男が十四歳の子女を外国に連れ去るのは、ちょっと……」


「………………いや、俺は王子で、貴様に婚約を打診した身で、貴様も我が国に来たかったのは事実では? ならば多少手順をすっ飛ばしたところで問題はあるまい?」


「この時代、この地域ではそうらしいのだが、我の価値観だと『ない』のだ。手順、大事だぞ」


「………………」


「加えて、どう考えても、貴様やリシャールは恋愛対象ではないのだ。年齢が離れすぎていて……」


「十年も離れていないではないか!? 貴族や王族が十歳や二十歳歳下の嫁をもらうことなど当たり前だろう!?」


「そうなのだが、なんか、なじめん」


「な、じ………………?」


 バルバロッサは固まってしまった。


 アンジェリーナはさすがに哀れな気持ちになってくる。


「いや、まあ、なんだ。時代性に合わせるつもりはこちらにもあるのだがな? それはそれとして、心情っていうの? あるだろう?」


「…………」


「だからすまんな。あと最低五年は遅く生まれてもらえたら、わからんかったが……」


「そ、」


「……そ?」


「そんなことで納得できるか!」


 バルバロッサは立ち上がった。


 アンジェリーナはお茶がこぼれないように器を持ち上げて一口すすり、


「けれど、誕生年こればかりはなあ」


「…………わかった。わかった。だが、貴様の倫理観を読み解いたところ、一つ仮説が立つ」


「拝聴しよう」


「貴様が二十四歳で、俺が三十二歳だとしたらどうだ?」


「十年後か? うーむ……たしかにそれならまあ、恋愛対象になっているかもしれんが……」


「ならば十年、この国にいろ」


「いやだ」


「ふふふ……我が花よ。俺は嬉しい。ここまでメタクソに拒絶されたのは人生で初めてだ。燃えてきた」


「落ち着け」


「オーギュストにはミカエルの従者として御前試合をさせることになっている。これは演舞のようなものだが……演目を変えよう。俺がオーギュストと決闘する。貴様を賭けてだ!」


「だからなあ……我、物ではないので……」


 アンジェリーナは自分を見失っている。

 だが、分析するに、自分の倫理観は、現代よりももっと男女の権利に差がない時代のものであるようだなとは思う。


 ……まあ、戦争の記憶はあり、そこでは『男女』などという垣根では配属が変わらなかったのだ。

 なにせ主な兵器は魔力であり、魔力の強さに血筋は関係あっても性別はほとんど関係がないからだ。


 どちらも等しく苦しみ、どちらも等しく死ぬ時代の倫理観からすると、『男が決闘で女をとりあう』というのはあまりなじめない。


 なので、


「というか、そうだな。そうだ。我の自由を賭けて決闘をするというのなら、我も出るのが道理では?」


「淑女に剣を向けられるわけがあるか!」


「ならば我が一人勝ちするだけだが……まあ、それでもいいな。こと戦時ともあれば、使えるものはなんでも使うのが法則。性別が盾になるならば、我はそれを使うぞ」


 絶句するバルバロッサ。


 アンジェリーナは不敵に笑い、告げる。


「我に挑み、そして勝利せよ。貴様は貴様を賭けるのだ、バルバロッサ王子。ならば我も我を賭けよう」

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