第76話 価値

「いやあ、懐かしいものだ! この牛の串焼きの野趣あふれる旨さたるや! オーガスタスは初めてでしたかな?」


 偽名、なのだった。


 砂漠と宝石の国に訪れたオーギュスト一行ははっきり言ってほとんど三十日間手詰まりの状態が続いていた。


『オーギュスト王子です。貴国で外遊するのでごあいさつにうかがいたい』という手紙を届けたにもかかわらず王宮に入れてもらうどころか返事さえない。


 さすがに玉璽ぎょくじつきの手紙ならばこうまであからさまな無視はできないのだが、ドラクロワ王国の特殊性が災いして、王子というものの立場は外国においてさほど高くないのだった。


 これは『子が二人以上あった場合、必ず王位継承権を賭けたレースをする』という決まりごとのせいだ。


 王位争奪中の王子が『王権』をいたずらに行使しては国が乱れる。

 それゆえに王子は『未来、王になるかもしれない立場』でありながら王族としての威を正式に・・・ふるうことはできないようになっている。


 もちろん『察する』文化のあるドラクロワ王国内であるならば、貴族たちは『察して』、どちらの王子も表向き・・・は『未来の王』であるかのように扱ってみせるのだが……


 ラカーン王国にはその『察する』文化がない。


 また、この国家は『未来、得るかもしれない権威』に気を払うことがないのだ。

 それは国家の『現在主義』とも呼べる気風によるものであり……

 つまりラカーン王国風に言えば、オーギュストの立場は『爵位もなく領地もない、人脈があるから貴族界隈で商売できているだけの、どこぞの貴族の家の者』でしかない。


 ……さらに厳密に語るならば、オーギュストは土地自体は持っているのだけれど、これは公式には『王家の土地』なので、これもまたオーギュストの『現在の評価』にはならないのだ。


 そんな『素性の知れない者』からの手紙を王宮に出したところでまともに相手をされるわけもなく、オーギュストは外遊に来ているのだけれど、真の目的たるアンジェリーナのいる王宮へは近寄れないありさまなのだった。


「……いやはや、情けない限りですよ。あなたについて来てもらえなければ、足掛かりさえつかめず、本当に右往左往しているだけだったでしょう」


 屋台の前で牛の串焼きを頬張る男性へと礼を述べる。


 すっかりラカーン王国風の装束に身を包んだその『分厚い』男性はといえば、ミカエル・ラ・アルナルディであった。


 ドラクロワ王国において『最強』の名をほしいままにする騎士であり、若き日には諸国を漫遊し、その旅路は戯曲にもなっているほどの人物なのであった。


 当然のように、若き日にはラカーン王国への来訪経験もあるようで、慣れた様子で旅支度をし、この国風の、通気性の高いラカーン綿を使った頭まですっぽり覆うような衣装をあつらえ、食事から宿で泊まる時に注意すべきことまで、なんでもやってくれている。


 ……オーギュストや同行したバスティアン、ガブリエルなども、もちろん無知ではないが……


 それでも経験と生来の豪放さから『気付けばすでに備えている』という様子のミカエルより手早い行動ができるはずもなく、すべてにおいて世話をされているというのが現状なのだった。


 しかも……


「ミカエル、あなたの名前がなければ、王宮の門内に入る許可さえ得られなかったでしょう」


 ━━オーギュストは現在、王宮に参上する許可を得ている。


 ただしそれは『武芸無双』として名高いミカエルの従者としてだ。


 とはいえ、王子がいち貴族の従者というのも外聞が悪い。

 そこで立場をいちおう・・・・隠して『謎の人物オーガスタス』というようにしている。


 これはまあバレバレなのだけれど、『別人として同行しています』ということにすれば、ドラクロワ王国的には『察して』もらえるため、別人として扱われる。


 ラカーン王宮では普通に『オーギュスト』として扱われそうではあるが……


 ただ、武芸無双の英雄譚はやはり『過去』のものであるため、王宮に参上したい旨を伝えてから実際に参上できるまで後回しにされ、日数がかかってしまった。


 それがオーギュストたちがラカーン王国に来てから三十日も経っている理由なのであった。


「なに、老骨の役割は後進の者の露払いとなること。それ自体はよろしい。ただ、私はラカーン王国宮廷風の振る舞いというのが苦手でしてな! そのあたりはオーガスタスにお任せしたいという次第です」


「ええ、そこはしっかりとこなしてみせましょう。しかし、あなたでさえ三十日もかかるとは……この国の『現在主義』は、なんというか、面食らいますね」


「いやあ、それはまさしく『現在主義』ではありますが、私の武名が過去のものである以上に、オーガスタスに責任があるのではないかなと」


「と、言うと?」


「それはそうでしょう! なにせ、こちらの王子からすれば婚約者を寝取りに来た間男まおとこなわけですからなあ! あれこれ理由をつけて宮殿に入れたくないのは道理でしょう」


「……間男」


「ああ、失礼。まだお若いオーガスタスには、あまりにも無神経な表現でしたかな? 義息せがれにも、こういうのは『デリカシーがない』だのと怒られてしまうのだが、どうにも、なあ」


「……いえ。まあ、たしかに、向こうの視点で言えば、そうなるのでしょうね。……ところで、ガブリエルとバスティアンはそろそろ宿に戻っている頃合いでは?」


 宿、なのだった。


 ドラクロワ王国で貴族・王族がどこかに逗留するならば、それは逗留先の土地を治める貴族屋敷に部屋を用意させるのが当たり前だ。


 しかしラカーン王国ではそうではないらしい。


 これは本当にラカーン王国の貴族も『そうではない』らしく、ここでは貴族だろうが商人だろうが、適正な金額をその都度払って自分で予約した宿に泊まるのが普通なのだとか。


 これもまた『現在主義』のもたらした文化と言えるだろう。


 ようするにドラクロワ王国貴族が逗留先の貴族屋敷に泊まるというのは、宿泊料を払わない代わりに『もてなし』と『返礼』によって『目先の金』と同等かそれ以上のものを相手にもたらす暗黙のルールがあるからだ。


 しかしラカーン王国では『いずれ返す』文化が好まれない。


 なので手持ちの現金で宿を確保するというのが当たり前に行われているのだった。


 オーギュストの身分と資産であれば、一等地にある高級宿をとるのがもっとも格に合っているのだが……

 予約がいっぱいで、部屋をとれなかった。


 また、ミカエルの従者という立場からすれば、市井に『そこそこの宿』をとるのが『ミカエル風』であり、オーギュストたちが宿泊しているのは、かつてミカエルがとったことがある安宿であった。


 で、その宿を待ち合わせ場所にして別行動をとっている理由がなにかと言えば……


「あの二人は『手土産』を用意できたでしょうか?」


 オーギュスト・ミカエル班と、バスティアン・ガブリエル班に分かれて、王宮に参上する際に献上する『手土産』の確保をしているのだった。


 その話題を出すと、ミカエルが分厚い体を震わせて笑った。


「心配はいりませんとも! あの二人はしっかりした若者です! ……私の目からすれば、オーガスタスの方がよほど心配ですよ」


「……そうでしたね」


「こちらの国の商人はドラクロワよりよほど現金ですが、その代わりに金さえ積めば立場だの身分だので商品をしぶることがない。……あの二人の才覚であれば、必要な現金を工面できるでしょう。ですから問題はやはり、こちら側にある。……仮にも王子に面会しようというのだから、それなりの手土産はやはり必要です。さもなくば、会話もできない。王子というのはそのぐらいの身分ですからな」


「ははは……」


 王子としては笑うしかない話だ。


 国家体制の違いと言ってしまえばそれまでだが、今のオーギュストとラカーン王国王子バルバロッサとでは、その『身分』にかなりの開きがあるようにしか思われなかった。


 ……だからこそ。


「『いち貴族のいち従者』である僕が、王子に御目通り願って、言葉まで交わさせていただこうというのです。……ええ。努力は惜しみません。たしかに、ガブたちの心配をしている場合ではなかった」


「いい意気です! では━━食事が済んだら、再開・・いたしましょうか」


 ミカエルが笑う。


 その攻撃的な笑みは、目がクリッとしていてどことなく動物的なかわいらしさのあるこの男性の顔を、飢えた肉食獣もかくやというほど獰猛なものに見せた。


 オーギュストはほんのわずかに自分の発言を後悔もしたが……


 すぐに、同じように笑い返す。


「ええ、よろしくお願いしますよ、師匠・・


 強がっていなければやっていけない。


 なにせ、オーギュストが王家に献上する手土産は、武芸━━


 最強のミカエルとの演舞によって、王子に『言葉を交わす価値がある』と認めさせなければならないのだから。


 ……オーギュスト自身の、裸一貫となってもなおその身に価値があるのだと示すには、それがもっとも手っ取り早いの、だから。

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