第73話 外遊計画

 ドラクロワ王国━━


 暑い季節も終わりかけ、学園では次の学期が始まろうとしている時期だった。


 オーギュストももちろん在校生であるから、そろそろ学園の寮に戻るころではある。


 しかし、先ごろ勃発した『アンジェリーナ誘拐事件』の対応のため、クリスティアナ領に残っていた。


 ……とはいえ。


 やれることは、ない。


 なにせこれは国家と国家の問題になってしまったのだ。

 ことは『ドクラクロワ王国の令嬢を、隣国の王子が連れ去った』ということであり……

 これが位の低い令嬢であれば『家』が対応するだけで済んだのだろうが、政治的にあまりにも大きいクリスティアナ領の令嬢ということで、王国としてどう対応するかが取り沙汰されている。


 そしてこれは『大人』が論ずるべき問題であり、まだ学生であり、王位継承が確実というわけでもないオーギュストの出る幕はないのだった。


 だからクリスティアナ島領主屋敷に用意された部屋で、オーギュストはやきもきしながら、大人たちの話がまとまるのを待つだけ━━


 ━━かつての『大人しく、完璧なだけの当て馬王子』であれば、本当に、それだけだっただろう。


 オーギュストが文机に向かって手紙をしたためていると、部屋の扉がノックされた。


「殿下、バスティアンです」


 招き入れると、上背のある体を魔術師用のローブにくるんだ、青髪の美しい少年が入ってくる。


 もはや『候補』をつけることもないだろう、オーギュストの『側近』たるラシェル家のバスティアンだった。


 家の名代にさえ認められているこの少年の顔からは以前にあった卑屈さがすっかり消え去っており、しっかりと芯のある落ち着きが全身から滲み出ている。


 オーギュストは椅子から立ち上がって出迎えると、着席も促さずに話を切り出す。


「お疲れ様ですバスティアン。それで……」


「ええ、困ったことになりましたよ」


 そう述べるバスティアンは発した言葉とは裏腹に誇らしげだった。


 オーギュストは首をかしげる。


「困ったこと、とは?」


「殿下からお預かりした手紙を、魔術船で届けて参りましたが……」


 バスティアンは風の魔術による操船で、クリスティアナ島から各所にオーギュストの手紙を届ける役割を負っていた。

 また、手紙を配送したその場で手紙の内容を説明し、返事をせっつくという役割も負っていたのだ。


 これはオーギュストから信頼され、なおかつ高度な風の魔術を扱えるバスティアンでなければできない役割ではあったが……

 彼の内気な性分を思えば、その渉外役は重い任務であっただろう。


 それでもバスティアンに疲弊した色は見えなかった。

 それどころか、大仕事をいくつも終えて帰陣したというのに、気力がみなぎっているような気配さえ、ある。


「我がロシェル家、そしてガブリエルのアルナルディ家……この二つの家は、殿下の外遊・・に援助をすることとなりました」


「…………」


 オーギュストは言葉に詰まった。


 外遊━━


 それはもちろん、外国へ旅行に、あるいは勉強に行くことを指す。

 そしてこの場合の『外国』というのは、すなわち、ラカーン王国。


 アンジェリーナが連れ去られた先だった。


 ……もちろん、表向きには『ただ、学びを広めに行く』ということにするつもりだが。

 直前にあったことを知っていれば、それが『隣国の王子からアンジェリーナを取り戻しに行く』ということであるのは疑いようもない。


 だからこそオーギュストはロシェル家とアルナルディ家に手紙をしたためたのだ。


 もちろん、後ろ盾になってもらおうとか、協力してもらおうとか、そういうことではない。


 むしろ、逆だ。


 自分の行いによって、自分を強力に支持してくれている……後継を自分の派閥に入れているこの二つの家には特に迷惑がかかる可能性があった。

 それゆえに『迷惑をかけないよう、すぐに縁を切る、あるいはその準備をしておいてほしい』という連絡だった。


 もちろんバスティアン本人にも縁を切るよう申し出たが、それは断られた。


 だからこそこうしてメッセンジャーの役割を引き受けてもらっているわけだが……


「……ねぇ、バスティアン。僕は君に持たせた手紙に、王位軽視のようなことさえ、書いたつもりなのですけれど」


 もちろん正式な手紙とする必要があったため、その文面は貴族的な比喩や諧謔があった。

 だが、それでもなお、貴族家当主たちがその内容を読み解けなかったはずはない。


 オーギュストが手紙に記した内容を簡単にまとめてしまうと、こうなる。


『王位よりアンジェリーナを優先する』と。


 それは王室軽視であり場合によっては不敬ととられかねない。

 少なくとも、『ものの価値を知らぬ若造が、一時の激情に流された』ぐらいの評価を受けるであろうことは想像にかたくなかった。


 するとバスティアンは口の端に笑みを浮かべ、


「ああ、あれはひどい文章でしたね。殿下らしからぬ……」


「そうでしょう?」


「アルナルディ領にいるガブリエルに怒られましたよ。『もう少し建前をなんとかしろ』と。ミス・アンジェリーナの家が王国第一位の貴族家であることをふまえれば、もっとうまい言い方があったと、さんざんにね」


「……そういえば、いつのまにか、ガブと親しそうですね?」


「まあ、もしかすると、私も、ガブリエルも、王国での立場を失い、ただの民となるかもしれませんのでね。殿下の悪口で盛り上がってしまい、すっかり打ち解けました」


「……」


「正直に打ち明けてしまいましょう。私は……殿下をお助けしたい気持ちはあります。ガブリエルは、殿下へ償いをする気持ちがあるそうです。けれど、我らがあなたについて行くのを決めたのは、それのみが理由ではない」


「……それは?」


「ミス・アンジェリーナを救いに行く外遊・・だからこそ、我らはあなたについて行くのです。彼女は我ら共通の友人ですからね」


「君がそんなにもすんなりと友情を認めるというのは、珍しいですね」


「本人には明かさぬよう、お願いしますよ。これ以上親しげになられても厄介です。……だから、友を助けに行くために全力を尽くします。一方で、あなたに王位もあきらめさせない。ギリギリまで、うまくやりましょう。我らならそれが適う。……いえ、適えるのです。だから、あきらめてはならない。ミス・アンジェリーナに王妃の座を与えたいのでしょう?」


 オーギュストは━━


「……そう、ですね。ええ、そうです」


 うなずく。

 けれど、そこにはどこか、ためらいや、戸惑いや……思案するような色もあるのだった。


 バスティアンはほんのわずかに沈黙し、翡翠のような瞳をオーギュストに向けた。

 だが、言葉を掘り下げることはせず、


「そういうわけですから、大人が重い腰を下ろして議論をしているあいだに、子供たる我々はさっさと隣国へ遊び・・に行ってしまいましょう。ただ……一点、ガブリエルから」


「なんでしょう」


「ミス・アンジェリーナが帰国を望んでいないのなら、どうするのか?」


「……」


「これは、私もうかがいたいところです」


 オーギュストは沈黙してしまった。

 その内心にうずまくものは、バスティアンがじっとながめても、うかがい知ることができない。


 ただ、バスティアンの想像ならば……

 帰国しないことがアンジェリーナの望みであるなら、オーギュストは帰国を強いないだろうな、とは思った。


 そこがバスティアンがオーギュストに親しみやすさを感じている理由であり……


 リシャールと違うな、と思うところでもあった。


 オーギュストがなかなか答えられないのを見て、バスティアンは彼を気遣う。


「……まあ、行くことは決めてしまったのです。答えはその時が来てからでもいいでしょう。さあ、秘密裏に参りましょう。なにせ我らの移動手段は目立ちますからね」


「……移動手段?」


「アルナルディ領から、『払暁』が出ています」


 ……それは、伝説的な船だ。


 ミカエル・ラ・アルナルディ唯一の所持船であり……

 彼が若き日には『一度たりとも使われなかった』とされるものだ。


 クリスティアナ領に来るオーギュストを途中まで運んでくれた船であり、船上における馬上槍試合の記憶はいまだに新しい。


 もっとも、船を賭けたその槍試合でオーギュストは負けてしまったので、その船籍は未だミカエル・ラ・アルナルディのもので……


 つまり。


「……ミカエル……アルナルディ卿が来るのですか?」


 オーギュストが問いかける。


 バスティアンは気まずそうに視線を泳がせ、肩にひとふさ垂らした髪をぎゅっと握る。

 彼が困っている時の癖だった。


「……いや、この話を持って行ったところ、アルナルディ家当主ミカエル殿がやけに乗り気になってしまい……ついてくるとせがむ……強引に……無理やり……ええと」


 慎重に表現を選んだすえ、


「我々の引率役として押しかけてくださったのですよ」


 にじむ感情はやっぱり微妙に失礼で、オーギュストは思わず笑ってしまった。


 久々に、笑ってしまったのだった。

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