第74話 夜のお茶会

「本当に一日中政務に付き合わせるやつがあるか!」


 ラカーン王国━━


 砂漠の多いこの王国の夜は、日中とは別な国に来てしまったかのように冷え込む。


 この国特有の通気性のいい『ラカーン綿』により折られた衣装は頭まですっぽり覆う丈の長いものが多いが……

 それは日中には厳しい日差しから、夜には厳しい寒さから着用者を守るために考え抜かれたデザインなのであった。


 バルバロッサ王子に与えられた執務室はしっかりした作りで風が吹き込むこともないが、それでも石壁越しに伝わってくる外気の冷たさはかなりのものだった。


 また、一日中他国の政治に真横で付き合わされ……時に意見なども求められたりしたので『隣にいただけで』ではない緊張感の中で過ごした果てに飲む、やたら甘くやたら濃いお茶は、その熱さも合わせて体に染み渡るようであった。


 これが王子手ずから淹れられたものだというのだから、普通であればその歓待のあまりに手厚いのにおどろくところではあるのだが……


「他国の者に聞かせてはならん話が一つ二つどころではなくあったぞ!」


 アンジェリーナはこれまで溜め込んだ『おいおい、ドラクロワ王国かつクリスティアナ島とかいうどこ所属かわからん我にこの話きかせていいのか?』が一気に噴出しており、お茶を前に怒鳴り散らしていた。


 これまでグッタリしていたのがお茶で回復したおかげもあって、元気に怒鳴り散らせる━━というのもあるだろう。


 向かいの席でお茶をすするバルバロッサ王子は、褐色の頬をくいっと上げて、からかうような笑みを浮かべる。


「これでますます故郷くにに帰すわけにはいかなくなったな?」


「……おのれ、なにをぬけぬけと……!」


「我が花。やはりお前はそうしていきいきとしている姿が美しい。無礼だのなんだの言う者もあったが、今日、政務に付き合わせ意見を出させたことで、そういった連中も少しは大人しくなるだろう」


「……なぜだ?」


「貴様の意見に見どころがあったからだ。貴様の発言には、為政者の風格がたしかにあった」


「…………」


そこ・・なのだ我が花。俺とて国に連れ帰った直後にはわずかなりとも『早まったかな』と思ったが……」


「おい」


「はははは。なに、親しみを込めた冗談だ。俺は俺の決断を後悔などせぬ。……貴様が美しいだけでもよかった。けれど、貴様には知識が……それ以上に見識がある。この国の知を吸い上げて咲け。俺はその花弁の鮮やかな艶めきにますます興味がわいたぞ」


「……」


「貴様は、『なに』なのだ?」


 バルバロッサの灰褐色の瞳がアンジェリーナをじっと見ている。


 細められたまぶたの形には普段彼がアンジェリーナを見る時と同様の慈愛を感じるけれど、その奥の瞳は射抜くような鋭さがあった。


 深さをはかるような注視━━


 アンジェリーナはため息をついてお茶をグイッと飲み、「熱ぅい!」となってから咳払いをして、


「我は魔王だ」


「ほう!」


「……正しくは過去の魔王が転生した者であり、その記憶に目覚めたのも、学園入学直前のことではある、が……」


「が?」


「…………少し、気になることがあった。それでこの国から、ドラクロワ王国のことを調べたかったのだ」


「ふむ。我が花がその香りを図書館に移してばかりという状況に、この俺もさすがにいささか嫉妬を覚え、火でも放ってやろうかと画策もしたが……」


「おい」


「はははは! 冗談だ! ……だが、そういった背景があったとはな。うむ。ならばこの俺は貴様に約束通り『知』を捧げるとしよう。なにが気になっている?」


 バルバロッサ王子からは、疑うような様子が感じ取れなかった。

 アンジェリーナが『我こそが魔王である』と宣言するたび、周囲から向けられていた例のアレである。


 この時代のこの世界は━━


 魔王と勇者の戦いは神話の向こうにあり、『そう呼ばれる人物がいたことはいたが、一人で万軍を相手にするような英傑はさすがに誇張だし、魔族や魔物などという生物学的ではない生物はなにかの比喩であろう』という解釈が一般的だ。


 光と闇という属性も消え去り、それどころか、複数属性持ちさえもその姿を消し去った。


 通常、時代が下れば洗練されていくはずの技術は、魔法・魔術というものにかんして、神話のころからまったく洗練されておらず、それどころかいくつもの知識が失伝して、粗雑になっているきらいすらもあった。


 つまり、この世界で魔王を名乗るのは、冗談だと思われる。

 闇の魔力も魅了の魔眼も、それどころか『魔力が見える』ということさえも、『嘘』『妄想』、あるいはアンジェリーナ一流の特異な表現技法みたいなふうに認識されているのだろう。


 だが、それをバルバロッサは疑うようでもなく、それどころか検討してみせようという様子さえなく、信じているようだった。


 だから、この時代の人々に慣れたアンジェリーナがこうたずねてしまうのは、仕方のないことであった。


「……我の話を信じるのか?」


「愛する者を疑う理由などあるか?」


「……いや、それは……」


「ふむ。『愛』の形はさまざまにあろう。けれど、俺は愛とは尽くすことと心得る。お前という花をより艶めかせるため、俺は俺に持てるすべてを注ぐのだ。水の乏しいこの国において、花とはそのように愛でられるものゆえにな」


「……」


「だからこそ、求められるなら応じる。疑わず、注ぎ続ける。……それはな、貴様を信じるからこそよ。俺は貴様にあらゆるものを注ぐが、たいていの花は注ぎ過ぎれば腐って枯れてしまう。貴様はそうはならんだろう? 我が愛を受け止め切る器が、貴様にはあるはずだ」


「なぜ、我をそこまで信頼する?」


「今、この瞬間に腐って枯れておらんからだ」


「未来はどのように担保する?」


「違うな。まったく、違う」


「なにがだ」


「未来を担保することなど、神ならぬ我らにできるものか」


「……」


「俺は生まれついての王である。だが、王にしか過ぎんのだ。王がわかるのは現在のことまでで、それは人の頂点に立つ者として民草に示せる『人の限界』だ。ゆえに人の身で未来を担保できるなどとうそぶく者は詐欺師である。俺は王であり、詐欺師ではない。ゆえに、未来を保証しない」


「しかし、国家の運営者がそんなことでは……」


「だからこそ、『今』に全力を出すのだ。未来とは、今の積み重ねであるゆえに」


「……」


「たしかに、十年、二十年も経てば、貴様も腐り果てるかもしれん。神ならぬ俺は未来の貴様を保証できん。だが、刻々と進み続ける『今』、俺は俺のすべてを貴様に捧げる。そうしてたとえば十年のあと、この俺が枯れ果てたとして、貴様が腐るのに合わせて俺にまで腐敗があったとして、なんの後悔もない。それが『愛する』ということだ」


「しかし、やはり刹那的すぎて……」


「俺の兄たちは、カシムを除いてすべて疫病で死に絶えた」


 唐突に言われて、ぎょっとする。


 兄たちの死を語るバルバロッサがあまりにも平然としているのに、アンジェリーナの方が言葉を失ってしまった。


「俺も明日、そうなるかもしれん。……アンジェリーナ。幸福になれ。『いつか』を約束する者は詐欺師だ。『きっと』と語る者の見せる夢は美しかろうが、夢は貴様を美しくしない。今、俺のもとで咲き誇れ。未来は訪れぬかもしれんのだぞ」


「それは……それは、極論で」


「たしかにそうだ。だが━━俺はこれでも、ずいぶん貴様に合わせているがな? ともに歩むこともまた心地良いゆえに。それでも、我慢の限界がある」


「……」


「断るなら断れ。あの国で虐待を受けるのが嗜好と言うなら、それを尊重しよう。俺は美しい花から花弁をむしるようなことはできんので、その時は帰そうではないか」


「だから虐待などは受けていない」


「調べ物はいつ終わる?」


「……なぜだ?」


「そこを『区切り』としよう。貴様が知りたいことを知り、この国に用事がなくなったその時、貴様に意思を問う。もしも用事がなくなってもまだこの国に留まりたいのなら、それは、貴様が俺を愛しているのだという証明になろう?」


「……いや、どうだろうな?」


「必要なものあらば遠慮なく言え。俺はぐずぐずするのは苦手でな。まあ━━」


「?」


「オーギュストもリシャールも、なかなかどうして、予想していたより行動的であったのは、少しばかり好ましく思っているところだが」


「どういう意味だ?」


「まだ教えん。これは、そうだな、ささやかなサプライズの準備ということにしておこう」


 バルバロッサはニヤリと笑い、アンジェリーナのカップに新しいお茶を注いだ。


 ……砂漠と宝石の国で、幾度目かの夜が更けていく。


 すっかりこの寒さとお茶の甘さに慣れている自分に、アンジェリーナは気付いた。

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