十一章 砂漠と宝石の国

第71話 飛翔

 そこにはさまざまな資源があり、王宮は黄金と宝石でできていた。


 けれどその国には不思議と水が少なかった。


 ここは砂漠と宝石の国、ラカーン王国。


 この国家は長いあいだ『水』というものと向き合い続けてきた。

 それゆえに『瑞々しさ』は繁栄の象徴であり、生花がそこらにあったり、食事の際には山のように果実を積み上げたりというのが『一流の贅沢』とされていた。


 黄金宮殿内、書庫━━


 乾き切った空気の中で書物が痛まぬよう、『一流の贅沢』たる水属性魔道具により一定の湿度が保たれた空間。


 身長に三倍する書棚が立ち並び迷宮のようになったそこに、アンジェリーナはいた。


 ただし、彼女を一目で『あの』アンジェリーナ・クリスティアナ=オールドリッチだと看破するのは、親しい者でなければ難しいかもしれない。


 なぜなら今の彼女の衣装は故郷でよく着ていた漆黒のドレスではないからだ。


 ラカーン王国風……乾いた空気と昼の激しい日差し、夜の厳しい寒さに対応できるような衣装となっている。


 ふわふわの銀髪を覆い隠すように薄く乾きやすい布をかぶり、服装もコルセットなどはなく、ゆったりとしたものになっている。


 一見して地味な茶褐色の衣装ではあるが、首から提げたネックレスには大きな赤い宝石があしらわれていた。

 アンジェリーナの小さな手でははみだしてしまいそうな大きな宝石は、中規模貴族領の年間予算にも匹敵する金銭的価値があるだろう。


 だが、それよりもなお目を惹くのは、やはりアンジェリーナの顔……


 少々ばかり気の強さがにじむが、どこかあどけなく、整った顔立ち。

 その左目は燃えるような赤だが━━


 右目。


 故郷であるドラクロワ王国にいたころには常に眼帯で隠していた右の目はやはり眼帯の下にあるのだが、その眼帯そのものが、とてつもなく目を惹く代物となっていた。


 そこは灰褐色の大きな宝石が瞳のように鎮座しており、その『瞳』のきらめきを表現するかのように細かな石が散りばめられていた。


 アンジェリーナがこの国に来てから一週間ほどで仕立てられた特注の眼帯である。


 アンジェリーナが半ば……というか完全に連れ去られるようにこのラカーン王国に来てからは、もう、三十回もの日の入りと日の出があった。


 戻ろうという意思はもちろんあるのだけれど、種々の問題があり、それは叶わない。


 ドラクロワ王国やクリスティアナ領はたぶん抗議の手紙を送ったりしているだろうなとは思うのだが、アンジェリーナの耳にはそういった動きは入って来なかった。


 なににせよ、自分が連れ去られたせいで戦争になどならないといいな、とは思う。


 ……あの時のことを思い出す。


 母の執務室でアンジェリーナがラカーン王国王子バルバロッサに連れ去られたあと……


 クリスティアナ島であった一幕。


 おそらく互いの造船、操船技術の粋を尽くした、あの逃走、追走劇━━


 クリスティアナ・ドラクロワとラカーンが海戦をしたらどうなるかというのを思い知らされる、あの海の上の追いかけっこを。



「天気快晴にて波高し! うむ、良い日和である! 俺と貴様の船出を祝福しているかのようだ。そうであろう?」


 ラカーン王国王子バルバロッサは、自信に満ち溢れた笑みを浮かべながら、アンジェリーナを船の甲板にそっとおろす。


 ここまでの展開が急すぎて言葉を失っていたアンジェリーナだったが、自分の足が地……船の甲板ではあるが……に着くと、ようやく多少の冷静さを取り戻すことができた。


「いきなり連れ去って、どういうつもりだ!?」


 もはや令嬢の仮面などこの王子の前では役に立たないと思い知らされている。

 アンジェリーナは『食ってかかる』という勢いでバルバロッサ王子に詰め寄る。


 一国の王子相手に無礼この上ない振る舞いではあったが、むしろバルバロッサ王子は嬉しそうに笑い、愛おしそうに灰褐色の瞳を細めた。


「なに、この俺は情熱的なのが数ある美点のうち一つでな。そもそも━━貴様もよくないのだぞ? これほどのきらびやかな個性を俺に隠していたのだからな。この世にあるすべての美しいものは俺に捧げられるべきであり、それを秘するのは罪である。まあ、けれど、許す! 俺の寛大さに感謝し愛の言葉の一つもささやきたくなったのではないか?」


「なるかァー!」


 さすがに自分を乗せた船が出港を始めたのでアンジェリーナもなりふり構っていられず、バルバロッサ王子に殴りかかった。


 しかし彼我の身長差は頭三つ分はあり、腕の長さもかなりの差がある。


 ましてバルバロッサ王子は鍛え上げられたしなやかな体躯の持ち主であり、さらに武術の心得もあるらしい。


 殴りかかったアンジェリーナはどういう手腕か、次の瞬間にはバルバロッサ王子の腕の中に抱きすくめられていた。


「はははは。俺のラクダより気性の荒い生き物は初めて見たぞ! 実にいい! 労力あってこそ手中に収める価値も上がろうというものよ」


「この……!」


「やはり貴様は、俺のもっともそばでにおい立つ花となれ。━━カシム!」


 バルバロッサが呼びかけると、無口な従者が目を伏せるだけで応じる。


 白髪に褐色肌、灰褐色の瞳を持つバルバロッサ……


 黒髪に褐色肌、灰褐色の瞳を持つカシム……


 この二人は、アンジェリーナから見ると顔立ちも似ているように見えた。


 そうやってバルバロッサ以外に目を向けると、アンジェリーナはいまさら異常に気付いた。


 船員が、いない。


 ラカーン王国の船はガレー船だ。

 漕ぎ手は船底にいるのではあろう。


 だが……それにしたって、マストがないわけではない。

 出港の時にはセイルを広げたり、マストにのぼって物見をしたりといった作業をする船員が必ず甲板をせわしなく走り回っているものだ。


 だが、誰もいない。


 その不可解さに歪んだ表情が気に入ったのか、バルバロッサは微笑みかけ、言う。


「ふふん、その顔、かのクリスティアナ領においてもこの俺の船のようなものは見たことがないというわけか。気分がいい。よく見ておけ。これが我が『瑪瑙号』であり━━世界に唯一、船そのものを完全魔道具化した、船員のいらぬ軍艦だ」


 船そのものの完全魔道具化━━


 魔道具とは本則、『魔術師ができることを、魔術師がするよりグレードを落としてする道具』であり━━


 その機能は『単色』。


 火属性なら火属性にできること、風属性なら風属性にできることしか、できない。


 そもそも現代において『一つのもので複数の属性を兼ねる』というのは難しいとされている。


 だからこそ四属性持ちのエマなどが、平民であるのに貴族の学園に入ってきたということも起こった。


 もしも『船そのもの』が魔道具であるならば、それは複数属性を兼ねた魔道具ということになる。


(いや、複数の魔道具を組み合わせれば擬似的に複合属性魔道具のようなものにもできる、か?)


 だが、それはそれで、操り手に高い技量が求められるだろう。

 なにせ起動させる魔道具を状況に応じて切り替えながら、複数人でやる作業をたった一人でこなさなければならないのだ。

 莫大な魔力量と、とんでもないマルチタスク能力が必要になる。


「ふふん、疑うか? よかろう。━━カシム、見せてやれ。我が瑪瑙号が海などというものにおさまらぬ、真に世界の覇者たる者にふさわしき船であると!」


 バルバロッサの号令に、カシムはやはり静かに応じた。


 そうして黒髪の無口な従者がその全身に魔力を充溢させると、その魔力が甲板についた足から船全体に流れ、行き渡る様子がアンジェリーナにも見えた。


 出港の時も同じようなことが起こったのだろうが、その時はバルバロッサへの対応で忙しく、見逃していたのだ。


 その光景を見て、アンジェリーナは愕然とするしかなかった。


「本当に、この船そのものが一つの魔道具ではないか!」


「ほう、俺の宝石よ。貴様、なにが見える・・・・・・?」


「んあッ!? い、いや……」


 うっかり失念していたが、現代の人々は『魔力』というものを見る力が乏しい。


 魔力の流れ方を見て『この船が一つの魔道具に間違いない』などと判断することは不可能なのだ。


 アンジェリーナは自分の能力をつまびらかにするのにためらいがないのだが……


 なぜだろう。

 バルバロッサに自分の力を知られるのは、よくないことのような気がして、口籠もってしまう。


 バルバロッサは優しく微笑み、


「……まあいい。貴様の恥じらいを俺は愛でよう。それよりも、今は俺から視線を外すことを許す。見るがいい! 我が船が今、飛翔・・する!」


 ━━ぐらり、と船が揺れる。


 それは波ではありえない揺れのように思えた。


 よたつくより先にバルバロッサの力強い腕に抱えられたアンジェリーナは、甲板から後ろを振り返る。


 そちら側にはクリスティアナ領に停泊していた海軍が出港した光景が見えた。


 かなり行動が早く、そして規模がかなり本気だ。


 母は、あるいはオーギュストは、戦いになり、バルバロッサ王子の乗る船を沈めたとしても自分を取り戻す気概だというのが、伝わってくる。


 だが……


 クリスティアナ海軍の船が、だんだんと、離れていく。


 それは距離を離されるというだけの変化ではなかった。


 世界最速を誇るはずのクリスティアナ海軍が距離を離されるというだけでももちろん大事件なのだが、それ以上に……


 下方向に、離されていく。


 アンジェリーナは思わずバルバロッサの腕を振り払って、甲板から身を乗り出すように下をのぞきこんだ。


 そこからはだんだんと離れていく海面が見えた。


「━━飛翔・・…………」


「もしや俺の言葉を聞き逃したか? そう述べたはずであろう」


 背後からかけられた声に、アンジェリーナは振り返る。


 そこにはバルバロッサが『どうだ』と言わんばかりの微笑みをたたえて立っていた。

 斜め後ろには従者のカシムもまた、平時と変わらぬ様子で控えている。


 バルバロッサはアンジェリーナに近づき、


「あまり身を乗り出すな。ここから落ちれば下が海面とは言え助からん。もはや、そういう高度だ」


 守るように、抱きすくめる。


 アンジェリーナはなにも言えず、振り払うこともできない。


 クリスティアナ海軍ははるか下におり、もはや砲撃さえもできず、ただその場に船を停めて呆然としていた。


「なに、案ずるな。いずれば義母殿にも一隻贈らせてもらう予定だ。それよりも今はこの青き世界を楽しめ━━というのは、ふむ、少々よろしくないな。青はオーギュストの瞳の色だ。……ではこうしよう。今は休むがいい。いずれ、この空が貴様の瞳と同じ赤に染まるころ、ともに大海を見下ろそうではないか」


 優しく船室までエスコートされる。


 アンジェリーナはぼんやりしたままの頭で考えた。


 ━━制空権。


 空飛ぶ魔物もいないこの時代にその概念はない。


 けれど、『弓も砲も届かないほど上をとる』ことの戦略的優位は、考えるまでもない。


 この一隻が空にあり、たとえば岩などを落とすだけで、地上に展開した軍はなにもできずに撃滅するだろう。


(……勢いこんで戦争などとやり始めないでほしいな)


 先ほどの海軍の出撃を見ていると、戦争も辞さないという気配はよく伝わってきたので、アンジェリーナは不安になった。


 まあ、母ならきっと、そのような愚は犯さないであろうけれど……


(これは、さすがに予想外だ……)


 あまりにもすごい勢いで変化していく周辺状況に、アンジェリーナは頭を抱えた。


 まさか『ちょっと調べ物に行きたいな』ぐらいのことで、ここまでの事態になるとは、さすがに予想できないので、そこは許してほしい。

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