第70話 東国へ

「ほう!」


 とバルバロッサ王子が席から勢いよく立ち上がったのは本当にいきなりで、その場にいる全員が行動の出端をくじかれて停止してしまった。


 この褐色肌の異国の王子にはあらゆる行動に対して『迷い』というものがない。

 それゆえに余人から見てすべての動きが唐突に思え、その早さに圧倒された他者がついつい場の主導権を譲り渡してしまうという特性があった。


 立ち上がった王子がまずなにをしたかと言えば、部屋に入って来たばかりのアンジェリーナに大股で近寄って、部屋の中に招き入れた。

 そうして扉を肘で閉め、そのまま肘をついた状態でアンジェリーナをじろじろと見る。


 母・エレノーラから受け継いだ銀色の美しい髪。

 父から受け継いだ真っ赤な瞳。


 黒いドレスに包まれた肢体は女性らしい起伏がうかがえるものだった。

 しかし背は低く、バルバロッサ王子と比べると頭三つ分は差がある。


 容姿はまだ幼さを残しているが、生来の気の強さがにじみでているかのようだった。

 ただし、一時期にあったけんはだいぶとれており、傍目から見るぶんには、大柄な王子にいきなり壁際に追い詰められて怯えているようにも見えた。


 そしてやはり気になるのは、右目を隠す眼帯と、左腕を覆う包帯だ。


 バルバロッサ王子はひどくあっさりした手つきでアンジェリーナの眼帯をずらした。


「あッ!?」


 眼帯をずらされたことにアンジェリーナが遅れて気付く。

 しかし遅かった。アンジェリーナの右目はすでにバルバロッサをじっと見てしまっていたのだった。


 当人曰く『魅了の魔眼』は隣国王子の灰褐色の瞳を数秒、凝視してしまったのだ。


 それが効果をもたらした━━か、どうか、第三者視点での判断は難しいのだが。


 バルバロッサはアンジェリーナにグッと顔を近づけるくと、彼女のあごに指を添えて、こう述べた。


「喜べ。貴様は俺の最上の至宝たるにふさわしい」


「……?」


 アンジェリーナは眼帯の位置を直して母・エレノーラの方を見る。


 母はなにか口を開きかけたが、その前にバルバロッサが言葉を続けてしまう。


「このような潮風と石しかない場所でもこれほどの花が育つとはな。貴様の言動はずいぶん奇矯らしい。だが、許す。貴様はすでに二人の王子に求婚されているらしいな。それも、許す。これほどのものが俺の前に歩み出て存在を示さなかったのは大罪だが、この俺自ら足を運び見つけたからこそ、ここまでの艶めきを感じる、ということもあろう」


「何を言っとるんだ貴様は?」


「フハハハハ! この俺を相手にへりくだらぬか! だが、許すッ! 至高の花よ、これより先は俺の隣で咲け。我が国のすべてがこれより貴様の養分となる。好きなだけ吸い上げ、好きなだけ花弁を飾るがいい。そのすべてを俺の名のもとに許可しよう」


「……母上」


 赤い瞳がちらりと母を見た。


 そこにあるのは困惑が五割、そして『これを殴り倒してしまっても構わないだろうか』という許可を求める色が五割ぐらいだった。


 エレノーラは頭痛をこらえつつも隙のない微笑みを作り、


「アンジェリーナ、紹介が遅れましたが、このお方はラカーン王国王子であらせられる『バルバロッサ・ラカーン』様です」


「聞いたことがあるな」


「……あなたに求婚していた王子の名ですよ、アンジェリーナ」


「こんな王子もありうるのか……」


 アンジェリーナは感動しているようだった。


 もっとも付き合いの長い王子であるオーギュストは、卒がなく礼儀正しい、王子というものを教本に書くならモデルになるような『正しい王子様』だ。


 最近は年相応の『冒険』をしているのだという話もちらほら聞くが……

 少なくともアンジェリーナを壁に追い詰めていきなり美辞麗句責めにしたりしない節度がある。


「我が花よ、俺がこれほど近くにいるというのに俺に視線を向けぬとは、なかなかどうして、男を手玉にとる方法を心得ているではないか。貴様がそうして俺に興味がない素振りを見せるほど、我が愛は灼熱を帯びていくのだ」


「つまりなんだ。なにが言いたいのだ」


「俺の第一夫人にしてやる」


「お断りします」


「遠慮はいらぬ」


「すでに婚約中の身ですので……」


 だんだんアンジェリーナは『対・貴人用』のペルソナをかぶる余裕が出てきた。

 このペルソナは主にオーギュストとのあいさつ回りで役立ったものである。


「俺をさしおき他の者と婚約中というとがについては、許すと述べたが?」


「いえ、ですからその……咎ではなく、わたくしはオーギュスト殿下と婚約をしている身で……」


「貴様はすでに知っているはずだ。どのような熱い恋も、この俺という熱風の前には砂漠の夜も同じ冷たさであると……この俺という存在が貴様に求愛をしているのだ。俺以上に熱い恋を感じさせる男など他におるまい」


「しかし婚約中ですから……」


「至上の花、貴様の香りをもっとも活かせるのは我が隣であると、すでに心得ていよう? 遠慮はするな。真なる王、生まれつきの王たる俺の命だ。俺の前で謙遜は許さぬ。安心しろ、貴様は充分に俺にふさわしい」


「婚約……」


「まったく、存外照れ屋と見える。幾度言葉を噛むつもりだ? いくら俺が貴様の花が風に揺れるがごとき声を愛でているとはいえ、同じことばかり繰り返されては少々興醒めだぞ?」


「いや押しが強いな貴様!?」


 貴族タイム、ここまで。


 アンジェリーナは『ドラクロワ貴族風』の人格キャラクターではこの王子を相手にまったくしゃべれないことをようやく受け入れた。


 バルバロッサはとにかく押しが強く、一言ごとにちょっとずつ顔を近づけてくるので、そろそろ限界なのだった。


「フハハハハ! そうだ、それでいい! 俺の前でなにを取り繕う。俺は貴様を愛でると言ったぞ? よそいきのドレス姿も美しいものだが、やはり女は裸身こそが美しい。恥じらう気持ちはわかるが、あまり焦らしてくれるな」


「では遠慮斟酌なく申し上げるが、貴殿からの求婚はお断りするので、そういうことでよろしく」


「よかろう! 許す! そういうプレイも俺は好きだ!」


「いやプレイではなく!」


「物語で聞かされたことがあるぞ。このあとは、そうだな、俺の愛を試すために貴様は難題を出すのだろう? けれど相手が悪い。この俺は真なる王たる者である。この俺に解けぬ難題などないのだ。だが……だが! そういう回り道もまた、よしッ! 拒まれれば拒まれるほど、我が愛は燃えあがろう!」


「……まあ、難題ではないが、求婚は断りつつ、ちょうどいいので頼みがあるのは事実だ」


「よかろう! 引き受けた!」


「まだ内容を言っておらんのだが!?」


「この俺が貴様からの要求に応じぬなど、ありえん。……まったく、貴様はよほど俺を試すのが好きらしいな。至高の花。霊峰に咲く一輪よ。登頂しがいのある女だ」


 バルバロッサはかたちのいい唇の端をきゅっと上げて微笑む。


 アンジェリーナは壁に背中をこすりつけるようにしながら胡乱な目でバルバロッサを見つつ、


「では、言うが」


「応。『竜の逆鱗』『宝玉の生る木の枝』『決して燃えぬ革』『子孫繁栄を確約する貝』『この世でもっとも高い山にある花』……貴様の要求であれば、すべて揃えてみせよう」


「いや、貴国に行きたいだけなのだが」


「つまり嫁入りか!」


「違う! 調べたいことがあるだけだ!」


「ふぅむ。なるほど、理解した」


「なにも理解しとらんように聞こえる」


「この俺じきじきに我が国を案内され、そこで思い出を重ねたいと、そういうことだな?」


「なにも理解しとらん」


「フハハハハ! ああ、許せ、我が花よ! 今まではこの俺が求めればすぐに応じる女ばかりだったものでな! 貴様の繊細さは俺にとって初めて体験するもの。素直に『二人きりで思い出を作りたい』と言えぬ貴様の恥じらいへの配慮が足らなかった。詫びよう」


「人の話を聞け!」


「よし、では早速帰国といこうではないか。━━クリスティアナの女王よ、そういうわけでご息女はもらっていく」


 言うが早いかバルバロッサはアンジェリーナを抱き上げてしまった。


「カシム」


 短く命じると黒髪の従者が風のように素早く静かに動き、バルバロッサの行く手を阻むドアをうやうやしく開けた。


「あッ、おい! 待て! 待て! オーギュストに一言━━」


 バルバロッサがさっさと出て行く。


 従者・カシムが最後に室内のエレノーラに一礼し、ドアを閉める。


 ぱたん、と音がして。


 数秒、経って。


「…………嵐でも過ぎ去ったようだわ」


 エレノーラはつぶやいた。


 ただし、すぐに心中で否定する。


 東の大国より訪れた砂嵐は、過ぎ去ったわけではないのだ。


 今はただその『目』にいるというだけで……


 娘を連れ去って、今も勢力を保ったまま、東へ向けて進行中なのであった。

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