第69話 バルバロッサ

「もてなし? 構わん! 真に王たる者に装飾など不要。たとえボロをまとい犬小屋にいたとして、それでもその場所を宮殿に変えてしまう者が王である。ゆえに俺に歓迎は不要。俺がいるだけで、そこは世界で最高の場所となるゆえにな!」


 その来訪は誰にとっても唐突だった。


 ……もちろんクリスティアナ島周辺は警備のための船が哨戒している。

 だがその警備の船に堂々と近寄って『我こそはラカーン王国王子である! この尊顔を拝めた幸福を末代まで家宝として語り継ぐがよい! ではな!』などと言いながら普通に通過したのだった。


 もしこれが戦争であればただの捨て身特攻なのだが、平和な世の中においては充分すぎる混乱付与効果を発揮した。


 また、相手がいくら『貴族の漕ぐガレー船』とはいえただの一隻であったことも、クリスティアナ海軍の動きを停滞させるのに一役かっただろう。


 これが船団を率いていればさすがに『王子である!』などと言われても『ちょっと待て』となる。もしくはなにも言わず近づいて来た時点で砲撃している。


 だが、たった一隻が『王子だ!』と高らかに宣言しながら突撃してきたので海軍は呆気にとられて対応が遅れ……


 エレノーラのもとに『ラカーン王国王子と思わしき人物を乗せたガレー船が島に近づいております』という報告が届いたのは、その王子が屋敷に乗り込んできたあとだった。


「……ラカーン王はなんと仰せなのですか?」


 応接室━━


 隣国王子を通すにはあまりに質実剛健なその場所で、エレノーラはさすがに参った様子でバルバロッサ王子に対応していた。

 

 当のバルバロッサ王子は呑気なもので、二人がけのソファの真ん中にどっかり腰を下ろすと、あたりを灰褐色の目できょろきょろ見回し、興味があるものを見つけては「おい、あれはなんだ?」と問いかける。


 問いかける先は対面に座るエレノーラではなく、連れてきた従者だ。


 従者は主人と同じ褐色肌に灰褐色の瞳を持つ美青年で、年齢は主人より五つほど上……二十代中頃だろうかと思われた。


 白を基調とした風通しのよさそうな『ラカーン綿』の服を着たその人物は、腰にシャムシールと呼ばれる独特な曲線を描いた刃を持つ剣を提げている。


 主人が常に楽しげにしているのに対し、従者の方は寡黙で無表情で、主人の質問にも極めて最低限の言葉で答えつつ……


 一瞬たりとも、エレノーラから視線を外さない。


 真っ黒い髪で隠された片目が閉じているのか開いているのかはわからないが、少なくとも左目は、ずっと、エレノーラを見ている。


 しばらくそんな時間が続いたあと、ようやくバルバロッサ王子は「おお」と正面のエレノーラに視線を向け、


「いや、すまんな! こういった質素な場所は珍しく、つい。しかし俺としたことが真正面にこれほど可憐な花があったことを失念しようとは! いやはや、気の多いタチでな! 許せ!」


 もちろんエレノーラは人妻なので、口説くようなことを言われても困る。


 唐突な王子の来訪のせいで夫が方々に確認に行ってしまったのが痛い。


 エレノーラはこの王子の気性を苦手としているのだった。


 世間に言われる『娘のわがままを御することもできない、気の弱い婦人』というのは、ある程度意図的に作り上げた『仮面』ではある。

 が、エレノーラはそもそも大人しい性分で間違いない。

 にぎやかな場よりは静かな場を好むし、大勢よりは小勢を好む。


 そしてこの王子は存在するだけで場がにぎやかになりすぎるところがあるのだった。


 しかもラカーン王族はだいたいこの気性であり、娘がもしも彼を結婚相手に選んだら、親族付き合いは大変なことになるだろうというのが、そのルート・・・・・におけるエレノーラの不安である。


「王子、急な来訪について、ラカーン王はなんと仰せなのですか?」


 エレノーラは質問を繰り返した。


 銀、というよりは白味の強い色合いの髪の王子は、長く美しい髪を揺らして首をかしげ、


「なんと仰せもなにも、なにも言わずに来たのだ。なにかを仰せなわけがあるまい?」


「王子……このようなことを申し上げるのは気が引けるのですが」


「構わん。そなたは義母となるゆえに、多少の無礼は許す」


「我が領地はドラクロワ王国領です。ラカーン王国は『外国』にあたります。訪問の際は手続きを踏んでいただかないと、国際問題に発展しますよ」


「いいではないか。海はつながっているのだ」


「ともあれ、夫がラカーン王へ遣いを出しておりますので、返事が来るまで王子には……屋敷に逗留していただくしか、ないでしょうね」


「使用人部屋でも構わんぞ」


「使用人部屋に留めおくには、殿下の威光はあまりにもまばゆすぎますので」


「ふぅむ。生まれながらの王というのも不便なものよな。よかろう、部屋の選定は任す」


「ありがたく。……それで、このたびの来訪はいったいいかなる……?」


「ああ、貴様のところの娘を嫁に寄越せと述べたはずだが、あまりにも返事が遅いのでな。直接聞きに来た」


「……ドラクロワ王国の王子二人がすでに求婚し、片方とは婚約状態にあるとの旨を手紙に記してお届けしたかと」


「ふむ。たしかにその内容は知っているぞ。しかし、その情報はすでに持っている。持っているからこそ、我が妻にと打診したのだ。それについて俺はまだ『良い』とも『悪い』とも言われておらんが?」


 ……エレノーラ、というよりもドラクロワ王国貴族にとってもっとも苦手とするのが、こういう相手である。


 この国の貴族ならば『二人の王子から求婚されています』というのを聞かされたならば『ああ、これは無理ということだな』と察する・・・


 茶会一つとってもそうだが、ドラクロワ王国貴族はこの『察する』力を常に問われる。

 この国にはあまりにも『言外のコミュニケーション』が多く、そして意思伝達の大部分は有言よりも無言で行われる。

 言葉なら語ったことより語っていないことの方が重要であり、手紙なら書いてあることより行間の方が重要なのだ。


 ところがラカーン王国は━━というかあそこの王族は、そういう文化が通じない。


 ……まあ、エレノーラの方にも『可能性を残そう』という意図があってあいまいな対応をした側面はあるが……


 それにしても、手紙のやりとりから半月も経っていない。


 だというのに『返事が遅い』と乗り込んでくるというのは、ドラクロワ貴族ではあり得ないほどの性急さであった。


 エレノーラは穏やかな笑みを貼り付けつつ、困り果てていた。


 というのも、今、屋敷の中にはオーギュストとアンジェリーナがいるのだ。


 バルバロッサ王子はどうにもその事実を知らず、本当にただ『返事が待ちきれないから乗り込んだ』だけのようだが、タイミングがあまりにも悪い。


 他国の者・・・・に聞かせるにはよろしくない話をしようとしていたタイミングでもある。


 だからエレノーラはどうにかバルバロッサを部屋に押し込めて、そのあいだにアンジェリーナには大陸に戻ってもらおうか、などと考えていたのである。


 なにせバルバロッサ王子の素行・・は有名だ。

 アンジェリーナと実際に遭遇させたらおそらく『もらっていく』などと言って船にさらってそのまま帰りかねない。


 そうしたらクリス・・・ティアナ・・・・王国・・としてはアンジェリーナ奪還のために手を尽くさざるを得ず……

 その『手を尽くす』うちには、戦争さえも含まれる。


 だからエレノーラは『どうか娘がこの王子と出会いませんように』と願った。


 ところで。


 エレノーラは努力家だ。


 その彼女がなぜあらゆる分野で努力を重ね、王国・・に君臨する最上の貴婦人たり得たかというと、それは彼女の持って生まれた『星の巡り』に由来する。


 エレノーラは幼いころからやることなすことうまくいかなかった。

 それは才覚のせいではない。なんというか、必ず下振れするとか、必ず裏目に出るとか、『失敗』という可能性がわずかでも残っているなら必ずその目が出るという、運命としか呼べないものなのであった。


 つまり━━運が悪い。


 これはクリスティアナ王国王家伝来の性質とさえ言えるようで、母も、そのまた母も、かつてドラクロワ王国を怯えさせた『聖女』でさえもまた、そういった『コインを弾いて表を予想すると必ず裏が出る』というような流れの中にいたらしかった。


 なので、


「母上、先の件でお話が」


 ……貴婦人にはあるまじきことにノックもせずに娘が部屋に入ってきたとき、エレノーラは頭を抱えた。


 願ってはいけなかったのだ。


 自分の実力で『可能性』を徹底的に潰さない限り、『それ』は起こるのだと、エレノーラは改めて思い知った。

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