第61話 勝利への計略

「奇策を用いねば勝てないが、奇策を用いれば支持を得られない。よって、奇策に見えない奇策をこれから試合が始まるまでに考えつく必要がある」


 ガブリエルの紙質には四名のオーギュスト派が集まっていて、そこではもうすぐ始まる『ミカエルvsオーギュスト』の試合に向けての会議が行われていた。


 まず司会進行及び参謀として議題を切り出したのはガブリエルだ。


 体躯に比して幼なげな顔立ちを持つ彼ではあったが、最近は気苦労が倍増しに増しており、そのせいで眉間のあいだには深いシワが刻まれ続け、オーギュスト陣営に属してからというもの、三つも四つも老けたようであった。


 よく言えば貫禄が出てきたこの中で最年長である彼は、部屋にいる中でもっともまともな感性を持つと信じる者の方へと視線を向けた。


「バスティアン、まずは状況の整理を頼む」


 すると扉を背にして立っていた背の高い人物は、一瞬びくりと身を震わせたが、歯を食いしばってガブリエルを見つめ返し、述べた。


「では、僭越ながら、私から」


 声は静かで理知的な響きがあった。


 バスティアンという少年は上背こそあるものの猫背で気が弱く、あまりはっきり意見を言わない性分であった。

 しかし家族との会話・・を機に、己を出すことに少しずつ挑戦し始めている。

 それは『家長の名代』として王子のそばにつけられている責任感にも後押しされているのかもしれない。


 そのお陰か翡翠色の瞳はますますその美しさを増し、どことなく重苦しそうだった深い青の長髪は、軽やかで明るい色になっているように錯覚された。


 もはや魔術師を目指すことを隠す必要もない彼は、魔術師風のマントの肩に乗せた結い髪を片手でそっと梳くようにしてから、意見を開陳する。


「まずは試合内容の整理をしましょう」


 バスティアンは述べる。


 馬上槍試合は、大きく分けて三つのフェイズから成る。


 一、騎乗して向かい合う『見合い』のフェイズ。


 二、合図とともに互いに向けて駆け出す『走り』のフェイズ。


 三、いよいよ互いが互いを槍の間合いに捉え、突きを放つ『決め』のフェイズ。


 そう整理した上で、バスティアンはこう述べた。


「『決め』のフェイズにただ到達してしまえば、ラ・アルナルディ卿……ミカエル様に勝利することは、絶対に不可能となるでしょう」


 その言葉に男性陣がみなうなずく中、首をかしげる者がいた。


 すると男性陣の視線がいっせいにそちらに集まったため、場で唯一椅子を与えられている発言者は、ちょっとだけ上体をのけぞらせた。


 美しい少女なのだった。ふわふわの銀髪に、輝ける赤い瞳を持つ、高い椅子に腰掛けていると人形のようにさえ思えてしまう美貌を持っているのだった。

 ただし右目に眼帯をつけて、左腕に包帯を巻いて、おまけになんの問題もなさそうに『夜、男性たちが集う男性の私室にいる』という、貴族の女子にあるまじきことを平気でやってしまう常識のなさが、彼女によくも悪くも生気を与えていた。


 アンジェリーナは椅子の上で足をぶらつかせ、男性陣の視線に応じる。


「いや、同じ長さの槍で、同時に突き合うのであろう? ならば、偶然あちらの槍が外れ、こちらの槍が当たることぐらい、あるのではないか?」


 これに応じるのは『最強の騎士』の義理の息子にして、将来的にその家を継いでも恥ずかしくないように己を鍛え続けてきた男であった。


 最近めっぽう貫禄が出てしまっているが、さすがに素人の素人質問に不機嫌に応じるほど狭量ではない。

 あくまで言い聞かせるように、諭すように、ガブリエルが口を開く。


「ミス・アンジェリーナ。残念なことに、そこ・・にだけは偶然がないのだ。なぜなら『見合い』で照準を定め、『走り』で勢いをつけ、馬の位置を調整し、その結果として『決め』がある。つまり優れた騎士が『決め』に入る時、すでに勝利の準備が万全になったあと、ということだ。……もっとも、唐突に心臓が止まるなどの偶然も含めたなら、もちろん偶然はありうるが」


 そのぐらい『ない』ということだ。


 素人目には『決め』の前の段階は『ただ、距離を槍の間合いに近づけるだけ』と思われがちなのは、事実だ。

 けれど実際は違う。馬上の戦においてもっとも重要なのは速度と位置どりであり、それを司る『走り』が、そして相手と相手の馬を萎縮させ万全の動きをさせないようにする『見合い』が、『決め』にまで深く影響する。


「……つまり、番狂わせを起こすならば、『見合い』から『走り』まででなにかをしなければならない。遅くとも『走り』から『決め』までの間には仕掛け終えていないと、あの『最強の騎士』に万全の突撃チャージを許すことになってしまう」


「『なにか』とは、具体的になんなのだ?」


「魔法だ。……いや、まあ、相手との細かい駆け引きは無限にあるが、そういう小手先の技こそ、経験豊富な方が強いので、オーギュストが勝利するならば、魔法しかない」


「足を止めるか、逃げ回りながら魔法を撃つというのは……」


「足を止めることは禁じられていないが、『馬上槍試合』はけっきょくのところ、槍撃ランス・チャージで相手を突かなければならない。……まあ、理由は色々あるが、加速はしておかないと勝負にもならん」


「逃げ回る方は論外か」


「ルール外だ。『馬上槍試合』において許されるのは『走り出すのを遅らせること』と『前に進むこと』だけだ。試合は互いの進路の間に柵が置かれ、馬同士をぶつけることのないよう配慮されて行われるのだが、その柵からあまり離れすぎてはいけない。これはルールだ」


「ふぅむ。なるほど」


 アンジェリーナが考えこみ始めた。


 オーギュストはそれを横目に見てから、澄んだ青い瞳を家臣たちに向け……


「バスティアン。魔術師としての君の意見を聞きましょう。君なら、格上の騎士相手にどう勝ちますか?」


「まず、当然すべきこととして、相手の馬の脚をにぶらせるべく、馬の足元に仕掛けをします」


 馬を槍で突いたり、馬を直接魔法で撃ったりというのは禁じられているが……

 たとえば足元を水でぬかるませたり、つむじ風で土埃を舞い上げて視界を奪ったりなどは、禁じられてはいない。


「ただ、これは相手も想定していることでしょう。想定しつつ回避困難なことでもあるため、『あえて、やらない』理由もありませんので、とりあえず、これは絶対にしておくとして……肝要なのは、相手に武技を使わせないことです」


 たとえばウォルフガング・ラ・ロシェル……バスティアンの父親には、『輝ける嵐』と呼ばれる武技がある。

 これは魔術師とは別系統の進化を遂げた『魔力による現象』であり、この武技が発動すると、同じく武技を持たぬ者はなすすべもない。


『平均的に強いのは魔術師だが、最強を輩出するのは騎士』と言われるゆえんでもあるこの武技は、厳しい鍛錬と数多の実戦の果てにある日開眼するものであり、それだけに身につけるのが難しく、対抗するのも難しい。


 のちほど戦うミカエルの武技は彼の二つ名にもなっている(というか騎士は武技を扱う様子が二つ名になる)『灰かぶり』であり、これは『かの騎士の突撃を受けた相手は灰しか残らない』というすさまじい様子から命名されたものだ。


 発動されれば勝てない、どころではない。

 灰になる。


「当然ながら殿下は武技を開眼しておいででない。また、試合の中に目覚める奇跡に期待するようなことは、現段階ですべきではない。……しかし、幸いにも、殿下の属性は水であらせられる。ならば『灰かぶり』の馬蹄ばていが炎のわだちを刻むより先に、冷や水をかけることも適うでしょう」


「なるほど。しかし、かの『灰かぶり』の発動を抑えるとなれば、常に魔術を使用し続けねばなりませんね。そうなるともう、あとは普通の馬上槍試合となる」


「ええ、なので殿下は、馬首に体を隠してくださいますよう」


 馬への突きは禁止されている。

 バスティアンは線こそ細いが体が小さいというわけではないため、馬上で身を縮めても全身が馬首に隠れるというほどではないが、たしかに、そうすると突く角度が限定されて、非常に突きにくくなるだろう。


「……けれど、その行為は臆病のそしりを受けるでしょう。かつてその戦法で勝利し続けた騎士が『臆病だ』『卑怯だ』とさんざんに言われたのは、まだ人々の記憶に残っている」


「僭越ながら申し上げます。殿下の第一の目標は、『船』とお見受けする。ミカエル様を倒して得られる名声と支持は、実のところついで・・・だ」


「……ふむ。つまり、君は、『名誉ある敗北』か『不名誉な勝利』しかないと、そのように思うわけですか」


「これでも殿下の実力を信じ、殿下の天運を信じております」


 それでもなお勝利をするには不名誉のそしりを覚悟せねばならない━━ミカエルとオーギュストには、それほどの差があるのだというのが、バスティアンの意見のようだった。


 彼の意見は軽くはない。

 なにせバスティアンもまた、騎士を打倒すべく考え、己を鍛えているのだ。

 むしろ、彼ほど、騎士のルールの中で、魔術により騎士を倒す術を考えている者は他にいないだろう。


 その彼がオーギュストを信じた上で、勝利するならば名誉を捨てるしかないと述べている。

 そして、オーギュスト自身もまた、もっともな見立てだと思うのだ。


 だが……


「待て、待て。それはならん」


 ガブリエルが頭痛をこらえるように頭をおさえた。


「……オーギュスト、よく考えろ。ここで不名誉なマネをすれば、いよいよアルナルディ領はお前につかなくなるぞ。それは王位継承権争いを見込めば、あまりにも痛い」


「ふむ……」


「それにバスティアンはこの領地の気風を知らん。相手に実力を発揮させないようにする戦法という時点で、すでに領民の心情はぎりぎり・・・・だ。その上、馬首に身を隠すようなことまではしては、今後どのようなことがあろうとも、永劫に『卑怯者』と呼ばれ続ける。勝っても負けてもだ」


「……」


「船のことで余計なことを言ったのはすまなかった。だからこそ、そこは、きちんと挽回する。親父殿の『払暁号』は無理でも、新しい船を俺の方で手配できるように手回しをしているのだ。……どうにかしてみせる。だから名誉ある敗北に甘んじてほしい」


「ガブ、君は僕の勝利を信じてくれないのですね」


「試すな試すな。お前自身、ありえないと思っているだろう? 誰に聞いてもそう言うだろう。俺は気休めを言いたくない。俺と親父殿でも親父殿が勝つし、ウォルフガング様と戦おうが親父殿が勝つ。リシャールなら『わからん』と思われるかもしれんが、実際のところ、武技もないのだから親父殿が勝つ。誰がやろうが、親父殿が勝つのだ。あれは、そういう御仁だ」


「まあ、そうでしょうね。……実のところ、僕らであの御仁に勝つアイデアは出ないと、僕も思っています。なので、験担ぎをしようかなと」


「……最近のお前は、発想がミス・アンジェリーナに似てきていて、怖いのだが」


 ガブリエルが警戒心をあらわにする。


 オーギュストは爽やかに笑い、


「ガブ、今からでも試合場の変更が間に合うように手配をお願いします。バスティアンは大急ぎで伝令を。風の魔術を扱う君だけが頼りです」


「なにをなさるおつもりで?」


 バスティアンの顔に緊張がにじむ。


 オーギュストはあくまでも笑顔のまま、計画について話し始め━━


 その内容について、


「最近のお前はやはり、おかしい」


 ━━だが、面白い。


 ガブリエルは笑って、そうコメントするしかなかった。

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