第60話 騎士ミカエルの伝説
そこは南東を高い山にふさがれ、北方には海が広がったかつての『最前線』であった。
かつて。
つまりは、北西に浮かぶ『離島』、今はクリスティアナ=オールドリッチ領と呼ばれる王国領が、聖クリスティアナ王国であったころの、同王国を敵と見ての最前線である。
島国ゆえに船舶技術と海軍の発達していたクリスティアナ王国は、海戦において無双であった。
だが、このアルナルディ領には上陸できなかった━━正しくは、上陸してもそこで殲滅されたのである。
一方でアルナルディ領騎士団(これは『騎士が率いる集団』という意味であり、民間に浸透した俗称としての騎士団である)も海戦においてクリスティアナ王国の海軍に勝利することはできなかったので、王国本土へ攻め入れなかった。
そういった攻防の中でクリスティアナ王国はアルナルディ領を
これはアルナルディの騎士団を海上へ誘き出す狙いもあった。
それがわかっていたからこそ、アルナルディ領は沿岸から矢を射掛けるしかできず、王国はクリスティアナ王国に『力』で勝つことができず、外交圧力を用いての輸出制限などの
クリスティアナ王国は『国家の滅亡と引き換えに特攻する』という圧力をもって、現在、王国第一の貴族として存続しているのであった。
そんなアルナルディ領だが、現在はクリスティアナ=オールドリッチ領への窓口としても機能している。
むろん複数ある窓口の一つではあったが……
かつての戦争において『海からの脅威』であるクリスティアナ王国海軍の大陸侵攻を決して許さなかった実績から、『アルナルディ領から出た船は海の脅威を跳ね除ける』とされ、ここからの出航は海難事故を防ぐものと思われており、人気が高い。
よって王国の大陸側領地においてもっとも大きな港があるのがアルナルディ領であり、その港に付属する街は領地を富ませ、精強な
海のオールドリッチ、陸のアルナルディ。
この二つは王国の誇る二つの大きな
今は、
「おお! あなたが
……ミカエル・ラ・アルナルディの『息子の友人』なのであった。
オーギュストとアンジェリーナは、アルナルディ領にある領主屋敷にいた。
夜である。
おまけに、ほんの数時間前に早馬で訪問を告げただけである。
返事を待つ時間はなかった。門前払いも覚悟していた。
もちろん一方的に手紙を出して勝手に押しかけるなどというのは紳士の振る舞いではない。その裏に王族権力ゆえの増長を見られてもしかたない行為である。
だが、オーギュストにはこの突然の来訪が受け入れられる確信があった。
実際、受け入れられた。
というのも、アルナルディの当主であるミカエルのひととなりは有名なのだった。
一言で述べるならば、破天荒。
おおよそ貴族として例にない行動ばかりを繰り返し、かつてはアルナルディ家の面汚しとまで呼ばれた。
若い時分にほとんど勘当されるようなかたちで家を出て、各地で武者修行をして回った逸話は、戯曲の題材にされるほどだ。
『動く山』と呼ばれる大猪を素手で投げ飛ばしたとか、『迫る森』を焼き払ったとか……
『不死身の獅子』との一騎打ちや、愛馬スレイプニールとの出会いなど、彼の冒険は広く
そんな彼が領地に戻ったのは両親の急逝を聞きつけたからであり、その際に両親を殺した獣の大群を単騎で殲滅せしめ、その時から『灰かぶり』の二つ名で呼ばれるようになった、という話である。
それら逸話が誇張されたり脚色されたもの特有の嘘臭さを帯びないのは、ミカエル本人が逸話以上に嘘臭い存在だからなのだった。
あらゆる逸話が、『ああ、この御仁ならやってのけるだろう』と納得されてしまうであろう絵に描いたような破天荒であり……
あらゆる伝説が『このお方なら成し遂げるだろう』と思われるほどの強さ。
彼の戦いぶりを一度でも見た者は数々の逸話に誇張も脚色もなく、むしろ控えめに語られているぐらいだと思うような、『生きた伝説』。
それこそがテーブルの向こう側で大笑いをする、目がクリッとしてどこかかわいらしさもある、岩のような壮年の男性なのであった。
ただ、この御仁の破天荒は身内からするとどうにも
この唐突な茶会の席を整えた彼の
「
アンジェリーナの風体……右目に眼帯、左腕に包帯、しかもケガはない……を見たミカエルが大爆笑しているのは、さすがにあまりにも失礼である。
さすがのミカエルも笑いすぎたと思ったのか、ハッとして、咳払いをして、体を揺らしすぎて崩れた真っ赤な髪を整える。
「……いや、失礼。しかし、なんだ。なあ、ミス・アンジェリーナ。もう一度自己紹介をお願いしても?」
言われたアンジェリーナは首をかしげ、眼帯に隠れていない赤い瞳でミカエルを見てから、
「問われるならやぶさかではない。我が名はアンジェリーナ・クリスティアナ=オールドリッチ。魔王の魂を宿せし者である」
「いや、無理だろう、これは! 面白いではないか!」
ミカエルがまた笑うので、ガブリエルはもうそちらに注意するのをあきらめ、別な方向を見る。
視線の先には少女的な線の細さを備えた金髪碧眼の少年……オーギュストがいる。
オーギュストは笑うしかないというように笑い、
「変に取り繕うより、この方が、ミスター・ミカエルにはいいかなと思いましてね。いつものままでいてもらっています」
「……まあ、怪我もしていないのに包帯を巻いているようでは、暗殺のための武器を忍ばせていると疑われかねないし……親父殿ならば、怪我の有無など動きを見れば見抜くだろうから、妙な
ガブリエルは赤い瞳を閉じて、眉間をほぐすように揉み込んだ。
普段でこそがっしりした体の上に幼さを感じる顔を持つ、不思議と義父に似た印象の男ではあるが、こうして気苦労を抱えて顔つきがちょっとでも険しくなると、急に見た目の年齢が五つも六つもかさんで見える。
ガブリエルがコメントに困っているところ、ようやく笑いが落ち着いたミカエルが言葉を発する。
「それで、えー、
「ええ、そうです。あなたの船を僕に上納していただきたいというお願いをしに参りました」
「うーん、まあ、あの
「当たり前でしょう」ガブリエルはため息混じりに言う。「俺とて
「ここの領地の者にそのような心配はいらんと思うのだがなあ。なにせ私の両親が急逝したころの空白期間を耐え抜いた連中だぞ」
「……まったく根拠になっているように思われないのですが。ともあれ、さっさと俺に領地経営を任せたいなら、俺が継いでも困らないような下準備を心がけていただきたい。俺は『最強の騎士』ではないのですから」
「なんだ、最強の騎士でないとなにが困る? どこの領主も最強の騎士などと呼ばれてはおらずとも、しっかり領地経営をしているではないか」
「あなたのやり方は、あなたにしかできないと申し上げているのです」
「うーん、困ったなあ。オーギュスト様、お聞きいただけましたか? 最近の
そう述べながら嬉しそうなので、ここの親子関係はうまくいっているのが見ているだけで伝わってくる。
もっとも、ガブリエルの方は父親ミカエルの手綱を握りかね苦労しているらしいことがうかがえるので、オーギュストは苦笑するしかなかった。
そのうえで、ガブリエルの心労を増やすことになると思いつつも、問いかける。
「ガブ、君は僕が今すぐ船をゆずり受けるために、なにが必要だと思われますか?」
「……まず、埒外な
提案しつつも『まあ、無理だろう』というのが言外にあった。
実際に、無理だろう。
なにせミカエルは上位の騎士が束になってもかなわないほど強い。その強さについては『理不尽』とかいう風聞が、騎士から出るぐらいなのだ。普通、他者がどれほど強くとも泣き言を決して言わない騎士から。
オーギュストはうなずいて、
「他に案がないならば、
「お前は本当に、アンジェリーナ嬢のことになると急に無茶をし始めるな!」
「たぶん、兄さんならするでしょう。君はそれを『無茶』とは言わない。違いますか?」
「……それは」
オーギュストが『最強の騎士』ミカエルと戦う場合、十人が十人、『ミカエルの勝ち』と予想する。
だが、リシャールがミカエルと戦うとなった場合、十人いれば、三人か四人はリシャールの勝ちを予想する。
それはリシャールが武勇で名を馳せているというわけではなく、あの『黄金の瞳持つ者』の全能性、とでも言うのか。
『リシャールならば、不可能に思えるようなことでも、涼しげに成し遂げてしまうかもしれない』という期待のなせる業なのだった。
「そもそも、王位継承権争いをにらんでも、この領地で武勇を示しておくことは重要ではありませんか? なにせ兄さんがやってくれたのですから、これを上回る実績がないと、『陸のアルナルディ』が僕の支持をしてくれない。これは王位を継承するにあたって、かなりの不安材料です」
「……それはまあ、そうだが」
「支持を得られないと、将来、僕が王となった時、この領地を僕に従わせるのを、すべて君の手腕に頼ることになってしまう。それは領地の弱体化につながる。やはり僕自身が支持されないといけないと、思いますよ」
「それもまあ、そうなのだが……!」
「それに、かの『最強の騎士』『灰かぶり』に挑んで、たとえ敗北したとしても、人が僕を嘲笑うことはないでしょう。挑んでも失うものはない。違いますか?」
「それも、まあ、もっともなのだが!」
ガブリエルが赤い髪を掻いていると━━
「いいや、それは違いますな」
ミカエルが、口を挟んだ。
……先ほどまでの呑気な雰囲気は、いつの間にか、どこかに消え失せている。
そこにいるのは、一瞬あればこの場の全員を殺せる力量を持った武人なのだと、強く意識させられる。
テーブルについた分厚い手がやけに存在感を放っていた。
ミカエルは低すぎないけれど静かで圧力のある声で、
「『挑んでも失うものはない』とおっしゃられるのは違う。仮にオーギュスト様が私と一騎討ちをご所望ならば、私はお受けしますとも。ただし、その時には、命を失う覚悟はしていただきたい。騎士の一騎討ちとは、そのぐらいのものなのです。『失うものはないから』などと軽い気持ちならば、お引き受けいたしかねます」
「……」
「我が船をただ上納するというのに領民が納得しないと、
「……なるほど。もっともです。謝罪をします」
「いえ。……とはいえ、私はもちろん、あなた様を
手心を加えない『最強の騎士』が相手では、たしかに、死ぬ可能性が低くない。
もちろん一騎討ちの形式にもよるが……
『馬上槍試合』『剣闘試合』『騎射試合』……王国で一般的に『騎士の一騎討ち』と認められる試合形式であれば、どれだって死ぬ危険性はある。
もっとも危険性が低いのは、馬に乗って矢を射る騎射試合だろうか。
矢とはいえ、それはやじりの代わりに布を丸めたものを先端につけた矢だ。当たれば痛いし、時には骨も砕けるが、それでも死の危険性はもっとも低いだろう。
死ぬとすれば、落馬したうえで馬に踏み潰されるというのが、もっとも高い可能性だろうか。
だが、この試合は領民を納得させるものだ。
時刻はすでに夜だが、今から呼び掛ければ民は試合を見にくる。
『最強の騎士の領地』の民は、それほどまでにミカエルの武勇を愛し、尊敬しているのだ。
おそらく馬の練度や馬術、弓術だってミカエルはオーギュストよりはるかに上だし……
他の形式よりも『練度の差』が出やすく、一方的な試合展開になりやすいのが『騎射試合』なのだ。
勝利できなくとも、いい勝負ができなければ、本当になにも得られない。
ならばオーギュストがとるべき選択は……
「ミカエル・ラ・アルナルディ。あなたに『馬上槍試合』を申し込む」
「ほう!」
これにはミカエルもおどろいたようだった。
ただし、そのおどろきには、多分に歓喜がふくまれていた。
なぜなら、愛馬との出会いが戯曲の題材にもされるほど、ミカエルと馬術というのは切っても切れない関係であり……
さらに『火掻き棒』と呼ばれる愛槍の存在は、あまりにも有名である。
だいたいにして騎士の実戦は馬上で槍を振るうものなのだ。
仮想敵が四つ足の獣である都合上、人の足では連中に追いつけない。なので馬に乗り槍で突くというのが、騎士にもっとも求められる『実戦的な動き』であり……
ミカエル・ラ・アルナルディは、いくつもの実戦で伝説的な活躍をした最強の騎士なのだった。
だからだろう、ミカエルは喜んでいた。
「馬上槍試合など挑まれたのは、武者修行時代以来になります。繰り返しますが、当方、不器用ゆえ、手心の期待はされませぬよう」
「ええ。わかっています」
勝算がまったくないわけではない━━そう見えるような挑発的な笑顔で、オーギュストはうなずいた。
……実際、勝算はある。
ただしそれは、他の試合形式に比べれば、という意味だ。
馬上槍試合、剣闘試合、騎射試合の順に、かかる時間が長くなっていく。
つまり、もっとも試合時間が短く、一瞬で勝負がつくのが馬上槍試合であり……
通常、試合時間が長くなればなるほど、練度や才覚、実戦経験の差が出やすくなる。
つまるところ、馬上槍試合はもっとも番狂わせがありうる形式であり。
……もっとも死亡事故の起こる可能性が高い形式でもあった。
だが、このぐらいの無茶ができないと、兄には勝てないのだ。
それに、船だって手に入らない。
(まったく、天才の兄と競うというのは、大変だ)
オーギュストは小さくため息をついた。
だけれど、その挑戦を前に心が躍っているのも、たしかだった。
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