九章 オーギュストの長い半日間
第59話 船
『離島』まではもちろん定期船が出ているものの、貴族が民に混じってそれに乗るというのは、なんとも
この『格好』というものはことのほか大事だ。
なにせ貴族が民に示す『格好』は、そのまま貴族の格とみなされ、あるいはその貴族の性格……政治的方針をそこに見られる。
『民と同じ船に乗って親しく会話などしながら島までの時間を過ごす』という方針もあるだろう。
たとえば当代最強の騎士と名高いミカエル・ラ・アルナルディなどは、船舶移動の際には必ず民とともに舟に乗るということで有名だ。
かの御仁の気さくで身分を気にしない態度は民のあいだでも人気であり、御仁の武的活躍……主に若い時分の武者修行での活躍を讃える戯曲において、必ず『民とともに舟に乗る』シーンが入り……
そこで立ち塞がる困難解決のためのヒントを民からもらう、というのは『お約束』として有名だ。
けれどそういう風聞に憧れて『自分も民と同じ場所で時間を過ごし、彼らに好かれる貴族になろう』と思うと、たいてい、痛い目を見る。
偉そうにしないで民に貴族だとわからせるのは、並大抵のことではない。
それこそ戯曲にもなっているミカエルは、戯曲が誇張ではないのだというほどの武勇を現実に示し、『ああ、やっぱり貴族様と自分たちは違うな』と一線を引かせることに……尊敬されることに成功している。
つまりミカエルで言うところの『当代最強の騎士』にあたるもの……他者と己とを分ける圧倒的な実力・実績がない限りにおいて、『民と親しみ、なおかつ尊敬される』というのは、相当な難行だと言えよう。
なので、通常の貴族は『格好』を無視できず……
もしも『離島』……クリスティアナ=オールドリッチ領に貴族が渡ろうというのならば、自分で船を出す必要がある。
「まあ、船は持っていますが……」
「持っているのか……」
長期休暇もいよいよ終わろうというある日、唐突に『両親にあいさつに行こう(直訳)』と言われたオーギュストは困り果てていた。
引き受けたはいい。
実際に『離島』まで渡る船も━━まあ、あるにはある。
アンジェリーナの両親に『娘さんが死んでも戦争を起こさないでください』と言いに行くのは気が重いとかいう程度の話ではないし、そもそも死なせるつもりもないが……
『そのぐらいの信頼を得る』というのは、婚約者として挑むべきことにも思える。
だからガタゴトと草ののけられただけの土の道を進む馬車の中、アンジェリーナをじっと見ながらオーギュストが考え込むのは、やはり、『格好』の問題なのだった。
「君を乗せて行くには、少々、型遅れなんですよね」
「なんだ、それは、深刻に遅いのか?」
「いえ。まあ、世の平均よりは速いとは思いますが」
「ならばなにが問題だ?」
「……? ああ、なるほど。これもまた、君のわからない問題でしたか。古い船に婚約者を乗せるというのは、
「…………」
「君ね、そんな顔をしないでくださいよ。まあ、船ぐらいは毎年替えておけよと言いたいのも……今の君はそんなこと言わないか。ともかくですね、古い船というのは結婚前の男女を運ぶには少々縁起が悪い」
「縁起など気にせんでも……」
「では外聞が悪いと言い換えましょう。縁起の悪さをたとえ僕が気にしなくとも、社交界で『古い船に婚約者を乗せたのだ。冷遇する気に違いない』と述べる者は出るという話です」
「ああ……」
「しかし最初から船を作る時間はもちろんないし、王族が民から完成品を買い上げるというのも、これはこれで外聞が悪い。王族としては、船は『下賜するもの』であって『上納されるもの』ではありませんからね」
「毎年船を替えるなら、たしかに去年の船は下賜することになるか……しかしなんというか、まあ、必要なのは理解するが」
魔王の記憶に目覚めていなかったころのアンジェリーナにとっても、たしかに、王侯貴族が二年も連続で同じ船に乗って自分の領地に来るようなら、『あの人たちは船を替えることもしないの?』と不機嫌になっただろう。
そのぐらい王侯貴族にとって『二年連続で同じ船に乗らない』というのは常識だった。
というか━━
「君の家が広めた常識ですよ、これ」
「そうなのか!?」
「海を渡った先にいる力ある貴族が、なぜ力があるのかと言えば、去年話を聞いた相手でも、次の年も同じ船に乗ってくるようなら門前払いにするということをやり続け、船を毎年買わせるからです」
クリスティアナ=オールドリッチ領の主要産業は工業であり、主に造船だ。
事業を興している貴族が、自分たちにあいさつに来る者を、自分たちのやっている店の最新商品を身につけているかどうかで判断する━━というのは、特におかしなことではない。
その『店の最新商品』が、クリスティアナ=オールドリッチの場合は『船』というだけなのである。
そのためにばら撒かれた数々の噂が『嫁入り前の女を古い船に乗せると子ができなくなる』にはじまる様々の迷信であり……
これはオーギュストのように、すなわち王族レベルの教育を受けていないと、『その迷信がなぜできたのか』までたどるのがかなり難しいほどの、もはや伝統さえ備えた迷信なのであった。
中にはその迷信がクリスティアナ=オールドリッチの策略と知りつつも、信じている貴族さえいるぐらいだ。
「そうして得た富はますますオールドリッチ領の技術を先に進め、大陸内部でも様々な子会社を運営し、海軍力を保持し、食糧自給政策に役立っています」
「よく知っているな……」
「……婚約者の領地のことぐらい勉強しますよ。君も、自分の領地のことぐらい知っておいた方がいいですよ」
「しかし食糧まで工業製品のノリで作るのはどうにかならんか?」
「それは僕に言われても」
「……まあ、まあ、ともかくだ。我を乗せるのにというより、我が実家に行くのに、船の新調が必要なのはわかった。両親に頼みに行く話の都合上、初手で機嫌を損ねるわけにもいくまい。というか……なぜ、我が実家はあいさつまわりの相手として対象外だったのだ?」
「対象外というか、まだ許される立場じゃないんですよ。力ある五家のすべてが推薦状を書かない限り、『支持を求める』という理由で君の領地にあいさつにうかがうことは許されません」
「は? なぜ?」
「…………いやいや。だって、君の家の支持を正式に得たら、それはもう、王位継承権争いの勝利ですからね。なので『水の都』とは違った意味で、君の家は中立なんですよ」
「では我の婚約者であるオーギュストが今現在継承権争いは有利なのか?」
「君の家の基準において、家を継ぐのは君ですが、大陸貴族の基準において、君が王家に嫁入りしたあと、実家が後ろ盾になるかはわからない状態なのです」
「……我が家の基準において家を継ぐのが我であれば、それは家を継ぐのが我なのでは?」
「ところが王国において女性が家長になるのは『特別な事情』と『承認』が必要であり、『基本的にはありえないこと』なのですよ。けれど、君の家はその一切を無視しているし、力があるので、誰もなにも言えない。なので、王国貴族的には、君が次の家長と認めたような行動をとるわけにはいかない」
「わけがわからん」
「……という人もいるので、クリスティアナ=オールドリッチ領は公式に『我が家が我が娘の婚約者を支持するわけではない』という声明を発表しています。それでもまあ、『どうせ娘の嫁ぎ先を支持するんだろう』と思って、僕の側につく家もあったのですが……兄の一連の行動で、そのあたりもなくなりましたね」
オーギュストの兄のリシャールは、『王になったらその時にアンジェリーナを嫁にもらう』と宣言している。
これはアンジェリーナの実家を頼らずに王位を得るという決意表明であったが……
貴族の中では、また違った解釈がなされていた。
すなわち、『どちらの王子を支持しても、最終的にクリスティアナ=オールドリッチのご機嫌を損ねることにはならない』という解釈だ。
これによりオーギュストについていた『親クリスティアナ=オールドリッチ派』の貴族も、リシャールについたりしている。
「なるほど。しかし……オーギュストはよくもまあ、我の質問にそうもすらすらと答えるものだな……よもやすべて『常識』か?」
「…………なんとも言い難いものがありますが。しかし、君のこういう質問に答えるために、日夜我らが『当たり前』で済ませているようなことを考察し、噛み砕く訓練と、よりわかりやすくするために知識を深めるということはしているので、その努力はそろそろ評価していただきたいところではあります」
「大儀である。あとで褒美をとらせよう」
「………………どういたしまして」
「で、船はどうする?」
「作り直す時間はない。というかたぶん、買う時間もない。けれど、船はできれば新しくしたい。最悪、去年の船のままで行きますが……半日ほどは余裕を見れるはずなので、そのあいだになんとかできれば、新調したいですね」
「半日で船は出来上がるのか?」
「絶対に無理です。こればかりは、僕がやっている事業を潰す勢いでお金を積んでも無理ですね」
「……そうか」
アンジェリーナの顔には『事業、してたのか』と書いてある。
オーギュストは笑うしかない。
王侯貴族の持っている資金は『お小遣い』ではないし、継承権争いをする王子はそもそも王より資金を賜っているわけではなく、自分で捻出しなければならない。
……まあ、土地も事業で使っているあらゆる
ともあれ。
「……なので、『箔』のある船を上納されに行こうと思います」
「船は下賜するものなのでは?」
「それは普通の船の話で、たとえば『とんでもない大嵐を乗り越えた』とか『英雄の持ち物だ』とか、そういったものは
「……なるほど。たしかにそれは、『嫌な感じ』ではないな。なんというか、昔のアンジェリーナが嫌いそうな感じではない、というのか」
「では、残された半日で行くことができて、話がまとまるかどうか一瞬で決まるような場所に移動しましょう」
「それはどこだ?」
「ガブリエルの実家ですよ。『当代最強の騎士』ミカエル・ラ・アルナルディが
「………………伝説か、それ?」
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