第58話 『離島』へ
「……どうやら、ガブリエルのところでも似たようなことがあったらしいですね」
馬車に揺られながら読んだ手紙には、アルナルディ領で起こった出来事が簡単にまとめられていた。
相変わらずの『灰かぶり』。
リシャールの活躍。
オーギュストがたった一度の戦闘参加でロシェル領からの支持を得たように、リシャールもアルナルディ領からの支持を得たらしい。
ガブリエルから寄越されたその手紙には『力及ばず申し訳ない』という言葉が記されていた。
「まあ、仕方ないでしょう。誰にも今回のような事態は読めません。……あるいは『予言者』であれば、読むことも可能なのかもしれませんけれど」
この手紙はオーギュストがロシェル領を出たあと、次のあいさつ先で受け取ったものだった。
この長期休暇でまわるべき家も残すところ三つとなった。
前半、卒のないあいさつまわりができたと思う。
中盤……今から思えば、『水の都』での演説は
後半にはロシェル領で『知恵もつ獣』との戦闘があった。このお陰で無理かと思われたロシェル家の派閥替えは成ったけれど、死者が出たとなると素直に喜ぶのも
というか、このぐらいのイレギュラーがないと、すでにリシャール派を表明している家を引き抜くのは不可能だ。
そして『獣の軍勢』というイレギュラーは、自分の側だけに有利に働くわけでもない。
結局は世の中に
それを活かせるかどうかは巡り合わせと、巡り合ったあとの対応次第、というところなのだろう。
「……それにしても、兄の方は死者、重傷者ゼロ名だそうですよ。まあ、条件は色々と違うのでしょうが……これもまた、僕と兄の差として世間には見られるかもしれませんね。……アンジェリーナ? 先ほどからぼんやりしているようですが」
オーギュストが困惑したのは、普段口数の多い婚約者が押し黙ったまま小窓の外にずっと視線を向けているせいだった。
アンジェリーナ・クリスティアナ=オールドリッチは美しい銀髪を手と
そちらにある小窓から見えるのは昼日中の景色で、このあたりは大きな平原ともう少しすれば実りを迎える麦畑が見える。
眠たいようにとろんと半分閉じられた赤い瞳には見惚れるような色香があった。
薄手のワンピースを身に纏った小柄な彼女からは、肉体的には休暇前とほぼ成長がないまま、精神だけ大人びてしまったかのような印象を受ける。
馬車のボックスシートの対面、揺れによっては膝と膝が触れ合うような距離にもかかわらず、オーギュストはアンジェリーナとの距離がやけに遠いもののように思われた。
そのせいだろう、
「アンジェリーナ」
彼は先ほどより少しだけ大きな声で、もう一度呼びかけた。
するとようやく気付いたというようにアンジェリーナは視線をそちらに向ける。
……左腕の包帯と、右目の眼帯を見て、奇妙な安堵を覚えるのはなぜだろう?
オーギュストは奇妙な不安にとらわれた内心を誤魔化すように、もう一度呼びかけた。
「アンジェリーナ、どうしました? 馬車酔い……というわけではなさそうですが」
「いや……うむ。まあ、酔ってはいない。ただ……」
「ただ?」
「我が身はクリスティアナ=オールドリッチのものなのだなと身に染みていたのよ」
「……それは、どういうことでしょう?」
「人の世の権力機構、まことに不可解である。……が、それにも慣れたと思っていた。複雑ながら安定し、国家は国家としてあり、王は王として、貴族は貴族としてそれに仕えるものと思っていたのだ」
「はあ」
「ところがこれは、案外、精妙な均衡の上にあるのだな、と。……なにかを一つ掛け違うだけで、あの麦畑が炎に包まれることもあるのやもと、そう思っていたのだ」
「要点がつかめないのですが……『獣の軍勢』のことで、君も思うところがあった、ということですか」
「うむ、まあ、なんだ。我が死んだら戦争になるやもとララ……メイドに脅されてな。それで少し」
「……ああ、まあ、そうかもしれませんね」
かつてのアンジェリーナが手をつけられないほどのわがままっぷりだった理由の一つには、やはり『実家』がある。
アンジェリーナの両親は一人娘を過剰にかわいがるところがあって、その領地は工業、特に造船に強く、精強な海軍を有し、ある程度の自給自足能力を持っている。
仮に戦争になったとして王国が負けることはないだろうが、多大な被害が出るだろう━━というあたりは、オーギュストがアンジェリーナの婚約者になったあたりで父王から聞かされていたことではあった。
それでも一時期は婚約破棄などしようとしたのだから、当時の自分がなにを大事にしていてなにに価値を認めていなかったかが、なんとなくわかろうというものだ。
「……平和な世ゆえに生まれ変わったものと思っていた。そのような約定であったはずだ。だが……今の世は、そう平和でもなく……あるいはこれ以上の平和が未来永劫ないという話なのやもな、と」
「ええと……」
「生まれた意味を考えていた、ということだ」
「ああ、なるほど……。生まれた意味、ですか。それを述べるなら、僕は『兄がより偉大になるためのかませ犬』でしょうかね」
「……貴様は時おり、耳を疑うほどに卑屈よな」
「生まれた意味なら、そうなるでしょう。けれどそれは僕が生きる意味ではない」
「……」
「いえ、まあ、敗北してしまえば、きっと生まれた意味を完遂することになるのでしょうけれどね。君の前で弱音は吐けない。それゆえに僕は、僕の生まれた意味に意義を見出さないのです。君もそうしてみればどうでしょう?」
「……なるほど。我が命は戦乱の火種ではなく、ただ身命を賭して成したいものを成すべきためにあると、そう思えばよいのか」
「えーっと、そうかもしれません。君の言い回しは少し難しい。意味がとりにくいというのか、必要な前提の共有ができていないというのか」
「ならばオーギュストよ、一つ、頼みがある」
「なんなりと」
こちらをまっすぐ見るアンジェリーナは、なにかを決意したような顔をしていた。
その顔を見るに、彼女の頼みを聞くには相応の覚悟が必要というのがわかる。
それでも、問われるまでもなかった。
婚約者の頼みを聞くのは自分に求められる最低限の甲斐性だとオーギュストは考えていた。
アンジェリーナは、語る。
「……これより先、魔物が……『知恵もつ獣』の軍勢が出ることも、再びあろう」
それは予測というよりも、確信に近い響きを持つ言葉だった。
なにか彼女なりの根拠があるのだろう。オーギュストは黙ってうなずいた。
「そのたびに、我は前線に出ようと思っている」
「……君、自分の体力のなさについての認識が甘いのではないですか?」
「それでも出ねばならんのだ。確かめるべきことがあり、それは我をおいて他の誰にもできぬ確認だ」
「……『戦場に出せ』というのが君の頼みなら、僕は君を守るため全力を尽くしますが」
「それも頼みというか、それは出ると決めているのだが……」
「…………まあ、最後まで聞いてから色々言いましょう」
「その中でうっかり死ぬこともあろう」
「可能性として、『ない』とは言えませんけれど」
「……そしてな、なんだ、その……我の死は我が領地と王国との争乱の火種となる可能性が高かろう?」
「まあ」
「そして長期休暇の最後には五日ほどの『空白期間』があり、それはどうやら消費されることなく残りそうではないか?」
「まあ」
オーギュストはだんだん悪い予感が高まってくるのを感じていた。
アンジェリーナがなかなか『頼み』の本筋に行かないのだ。まるで前提条件を確認して言い逃れの余地をつぶすように、ふらふらと話をぶれさせているのだ。
おそらく、断りたくなるような『頼み』が来るのをオーギュストは予感する。
……今までアンジェリーナに無理難題を言われたことは数限りない。しかし、最近はそういった『わがまま』もなりを潜めていた。
だからきっと、今回は『それ』が来るのだろう━━と、覚悟を決める時間はたっぷり用意されて、その準備時間の長さがそのまま不安をふくらませていく。
「あの、アンジェリーナ、はっきり言ってもらって構わないのですよ? 君は僕になにを頼むつもりなんですか?」
つい急かしてしまったのは、このままだと『不安』が『覚悟』を追い抜きそうな予感に尻をつつかれてのことだった。
アンジェリーナは眼帯に隠れていない右目を泳がせて、
「……うちの両親の心を射止めてもらいたいのだ。なんというか、我が死んでも戦争が起こらんように……」
「…………えーっと…………『娘さんが死んでも怒らないでください』と、休暇の最後の五日間を使って、君の両親に言いに行け、と。そういう理解でいいですか?」
「うむ」
王国随一の大領地であるクリスティアナ=オールドリッチ領。
そこの領主夫妻に『娘の命は君にあずけた。失われても文句は言わない』と
休暇期間だけをきっちり使う想定だと、移動に往復で合わせて三日もかかる、かの島へ。
交渉に使える実時間は二日。
『卒のないオーギュスト』は無理だと結論付けた。
だが、
「……わかりました。やってみせましょう」
勝算皆無のこの試みを、オーギュストは引き受けることとした。
休暇最後にして最大の戦いは、こうして幕を開けることとなったのだった。
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