第57話 頼母子講
「おそらく、ラ・ロシェルの名を継ぐのは貴様となろう」
会議が終わり、親子だけが残された。
とはいえその会議はどれかと言えば『講義』や『授業』としての側面が強いものであったと言えるだろう。
ウォルフガングは『知恵もつ獣』に対する戦術や対応を示し、オーギュストがそれについてわからない箇所を質問した。
砦の建造計画などはまだオーギュストの一存で決められるものではなく、全国になにかを発布するには、オーギュストから現国王に
まだ、オーギュストには力がないのだ。
だから今回の会議も、『もし行く先でまたあのような獣の襲撃に巻き込まれたらどうするか』と『将来、国王になった際にあのような獣の襲撃が常態化していればどういう対応が考えられるか』の説明に終始することとなった。
そして。
未来を見据えて話されるウォルフガングの言葉は……
どこか、遺言のようにも思えるものであった。
「バスティアン、貴様へのこれまでの扱いについて、父は謝罪をせん。そして、我が家は騎士家だ。ゆえに魔術師どもの軟弱を許すこともできん」
「……」
「なればこそ、貴様が当主となったあとは、我と兄より家名を奪い、放逐せよ」
「な……⁉︎」
「騎士は魔力という先祖伝来の力を尊ぶ。しかし魔術師はこの力を単なる『力』としか見ず、これを利用するという態度を貫く。この溝は埋まらぬ。ならばこそ、貴様が魔術を奮おうとするならば、この家を魔術師の家とする必要があろう」
「しかし……」
「当主というのは、そういうものだ」
「……」
「当主が迷えば配下も迷う。配下が迷えば領地の運営ままならぬ。……よいか、貴族の家が戦うのは、民をおびやかすすべてのものだ。獣のみではない。治安を守り、罪を犯す者あらば罰し、風紀を整え、民を安んじねばならん。民に明日の心配をさせてはならんのだ」
「明日ぐらいならば、民とて己で切り拓けましょうに……」
「その考え方が魔術師のものよ。我ら騎士は鍛錬の果てに突出した『個』として己を磨き上げ、すべてを背負う貴族として立たんとする。が、魔術師は力を配りすべての平均化を目指す。……『守護者』と『補助者』。これが騎士と魔術師の違いだ」
バスティアンの手が、己の髪のひとふさをぎゅっと握る。
ウォルフガングは、
「そのようにうつむき、思い悩む様子をこれからも他者に見せるようであれば、当主になどならぬ方がよかろうな」
バスティアンはぎゅっと強く髪を握り、
「そ、そもそも、私が当主などと、考えてもみなかったことで……兄が、向いています。私は……そのような重責を負うべきではありません。そ、そもそも、なぜ、わ、わ、私がいきなり、次期当主などという話になっているのですか」
「…………」
ウォルフガングはなにも答えず、ただ、じっとバスティアンを見ている。
それはにらみつけるような威圧感のある視線ではなかった。
ただ、見ているだけだ。その鍛え上げられた体の中にある感情は、バスティアンからうかがい知ることができない。
ただ、その視線は。
……ああ、そうだ。この、黙ってこちらを見る時の父の視線は、覚えがある。
バスティアンがなにかをできないたびに、こうして、腕を組んで、黙って、じっとこちらを見るのだ、この父は。
かつてはこの態度がただただおそろしく、自分の無能を無言のまま叱責されているように思われてならなかった。
この重圧に負けて視線は泳ぎ、挙動は落ち着きを失い、なにも成せない自分はますます無能へと落ちていったのだ。
だが……
今は、なぜだろう。父の態度に重圧を感じなかった。
このいかめしい顔をした男性は、ただ、バスティアンの答えを待っているだけなのだ。
大柄で胸板が分厚く、手にたくさんの傷が刻まれたこの男性が、灰色がかった緑の瞳でこちらを見る時、そこには必ず『感情を出しすぎないように』という配慮があるのではないか? という閃きがあった。
(……ああ、なるほど、そうか。私は、『余裕』があるのか)
この家で評価されないことがすなわち、世界のすべてで評価されてないことなのだと思い込んでいた時期があった。
自分にはまったく不向きな『騎士』という地点を目指す以外にないこの
けれど、この家は世界ではなかった。
自分には友がいて、ここの他にも世界はある。
そう気付いてから、こうやって黙ってじっとこちらを見る父を観察すれば、なるほどこれは、父なりの『待ち』の態度なのだと理解できる。
ただ、なんていうか、そう。
父は顔が怖い。
つい、笑ってしまう。
……長年自分の胸に乗っかっていた『父のこの顔』は、そんな程度のものだったのだ。
つとめて感情を出さずに、バスティアンがなにかを成すのを待っているだけの彼の顔が怖かっただけ。……そんな程度の表面しか見えないほど、自分の側に、よるべき足場がなかっただけ、なのだ。
表層だけしか見えない時にはわからないものが大量にある。
バスティアンはそのことを、アンジェリーナで知っている。
「父上、おそらくですが、私を試されていますね」
「……ふむ。どうしてそう思う?」
「父上は『獣の軍勢』があれで終わりとは思っていらっしゃらない。むしろ、どんどん増えていくものとお考えだ。で、あるのに、私が当主となったあかつきには、父と兄を放逐せよというのは、あまりにも道理に合いませぬ」
父の表情は変わらない。
だが、目の前の分厚い男は、わずかに顎を上げたように思えた。
「……父上が私を次期当主にと述べられたのは、オーギュスト殿下とのつながりが理由ではないでしょう。もしそうであれば、私の『なぜ、いきなり私を当主に』という問いかけに、『オーギュスト殿下とのつながりが深いからだ』と述べれば済む」
「……」
「で、あるならば、私が次期当主になる理由は、兄にない特異性、すなわち、魔術師たらんとしているところにあるのでしょう。そして……父や兄を放逐せよというのが戦力面で論外であるならば、あなたの想定する答えは、きっと……」
「……」
「魔術師として当主になり、騎士を従えよ、と。……こういうことではありませんか?」
ウォルフガングは口の端をゆがませた。
それが、彼の用意した『正解』のようだ。
……かつてのバスティアンであれば、もう、この時点で飛び上がるほど喜び、満足し、やる気に満ち溢れ部屋を飛び出していただろう。
長いことここを『世界』だと思ってきた。その中で絶対者たる父に認められるのは無上の喜びだった。
けれど、ここは家であり、世界ではないのだ。
そして今のバスティアンの『絶対者』は、父ではないのだ。
だから、
「おそらく、お膳立てはしていただけるものと思います」
「やぶさかではない」
「しかし、不要です」
「……なに?」
「ようするに、お膳立てなどなくとも、魔術師としての技を極め、貴族の流儀であなたたちに敗北を認めさせればよろしいのでしょう? さすれば騎士は従うはずです」
たしかに、そうなのだ。
けれど、それがいかに難しいことかバスティアンはよく知っている。
『輝ける嵐』の二つ名で呼ばれる父はもちろん、兄もまた、強い。
騎士の流儀でこの二人を負かすというのは、『一騎打ち』か『戦功』が必要だ。……というより、戦功を挙げて『全力で挑むべき敵』と認められ、その果てに一騎打ちが必要、となるだろう。
魔術師はそのぐらい侮られている。
そしてバスティアン自身もまた、侮られている。
なによりその評価はなにも間違っていないのだ。
弱い騎士は本当に弱いが、強い騎士は本当に強い。トップとボトムの差が大きいのが『騎士』という連中であり、ラ・ロシェル家の騎士は代々『強い騎士』に入る。
いつの世も平均的に強いのは魔術師だが……
『最強』は騎士から生まれる。
その『最強』に近い位置にウォルフガングはいる。
……というよりも、『灰かぶり』という異常な存在がいなければ、まっとうに最強を名乗れただろう騎士が父なのだ。
これを負かすのは並大抵のことではない。
だが、やろうと思った。
「オーギュスト殿下の陣営の者には、大言壮語を吐くという特徴があるのかもしれません。……ええ、今はまだ、ただの大言壮語でしょう。けれど私たちは、これを現実にするために
「……」
「あのリシャール様から王位を獲らんとする者に仕えているのです。その配下が同じような偉業を成し遂げられず、我らの勝利があるでしょうか?」
「……たしかに、そうだな」
ウォルフガングはついに満面の笑みとなった。
バスティアンは胸に手を当て、軽く頭を下げ、
「我がロシェル家は、兵たちの意向を察してオーギュスト殿下を支持したにすぎず、きっと父上はまだ、リシャール様こそ王にふさわしいとお考えなのでしょう」
「……うむ」
「将来、オーギュスト殿下に鞍替えしたことを『よかった』と思える時が来ます」
「殿下はそこまでの
「今はまだ、私や一部の者が願いをたくすのみです」
「……」
「ゆえに、今なのです。殿下が誰から見てもそれとわかる大器になった時では遅いのですよ」
「……バスティアン、貴様がこうまで熱心になることは、我が家においては、ついぞなかったな」
「……ええ、私もそのように思います」
「ならば、期待する。ただし、長兄フリードリヒはリシャール様の派閥を維持するものとする」
「……『天運』への配慮、ですか」
「あの黄金の瞳のお方をみくびるな。あちらが正道である。むしろ、『天運』は貴様らであり、父はその『天運』に乗ることにしたのよ」
「……」
「リシャール様が王位を獲ったあかつきには、我も貴様も、フリードリヒにより家名を奪われ放逐されよう。ゆえにこそ、陣営の覚醒を望む。両陣営がせめて拮抗し、行く末を決めるのがどちらも『天運』のみぞ知る状態となった時、初めてそれは争いと呼べるようになるのだ」
「今はまだ争いでさえありませんか……」
「貴様らが勝利するのは、
「手厳しいですね」
親子はじっと見つめ合い、そして、笑い合った。
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