第56話 対『獣』戦略会議

 アンジェリーナが湯浴みをしているあいだ……


 鎧を脱いだウォルフガングとバスティアン、オーギュストはテーブルを囲んで会議をしていた。


 四角い石製のテーブルは黒く重々しい。

 それは場の雰囲気の演出に低くない効果を発揮しているようにオーギュストには思われた。


 貴族同士の話し合いではほとんどの場合『言外の意図』を示すため『茶会』の形式が用いられるのに対し、今回の話し合いでは茶も茶菓子もなく、周囲にはメイドではなく兵士がいる、といったあたりも緊張の原因だろう。


 これは『作戦会議』なのだ。


 ……先ごろ『獣の軍勢』を打ち破ることには成功した。


 が、その戦果はかんばしいとは言えなかった。

 貴族対獣で死者が出ることはまれであり、重傷者がこんなにも多いというのもまた、まれである。


 今回だけが『特例』であればいいのだが、そうでなかった時のために話しておくことは多く……

 オーギュストも、バスティアンも、ウォルフガングも、『獣の軍勢』がこれで最後とは、どうしても思えなかった。


 だから四角いテーブルの上には大陸の地図が載せられ、それを囲みながら首脳三名が話し合っているところ、なのだが……


「ウォルフガング、フリードリヒは参加させずともよかったのですか?」


 フリードリヒというのはウォルフガング・ラ・ロシェルの長男である。

 ロシェル家の次期当主だ。……軍事的に重要な会議なのだから、この場にいるべきではあろうが……


「あいつには先の戦死者遺族へのあいさつを任せております。これは戦略会議と並ぶほどに重要な役割であり、バスティアンでは代われぬものなのです」


「待ちましょうか?」


「いえ。……我らはみな、『獣の軍勢』があれで終わりとは思っていない。けれど、あくまでもそれは『予断』であり『予感』にしかすぎませぬ。王子に足を止めていただく理由にはできない」


 ウォルフガングの灰色がかった緑の瞳は理性的で、その提案は政治的・軍事的に合理的だった。


 たしかにオーギュストは学園の休暇を利用しての地盤固め……あいさつ回りの最中なのであった。

 しかも休暇後半に回る家はどこも『敵対派閥寄りだが、なにかを示せば引き抜けるかもしれない家』ばかりだ。


 そして王族があいさつに出向くというのは『今日行っていい?』『いいよ』などという軽いやりとりで済むものではない。

 事前に日付を記した招待状を受け取り、それに返信し、期日までに行かねばならないというものである。


 もちろん、出席を表明しておきながらこの期日に遅れるというのは、かなり心証を損ねるだろう。


 では、『獣の軍勢』が『遅刻に値する理由たりうるか』という問題だが……

 これもウォルフガングの言う通り、足を止める理由にはできない。


 そもそも領地の獣を狩るのはそこを治める貴族の仕事であり、間違ってもあいさつに来た王族が参加すべきものではない。

 さらに『知恵もつ獣が出たんです』という言葉を、現場を見ていない貴族が信じるかどうかは……五分五分、よりも少し確率が低いだろう。

 これをウォルフガングが印をつけた手紙とはいえ、まともに取り合って対応するだろう相手は、それこそ当代最強で鳴らした『灰かぶり』ミカエル・ラ・アルナルディか、第一王子リシャールぐらいのものではなかろうか。


 加えてここに留まりにくい要素を並べるならば、このあとオーギュストが向かうのは魔術師系の家なのだ。

『騎士系の家に長々逗留したので、遅れます』というのは、かなり致命的に心象を損ねる。


 ……まあ、ようするに。


「……遺族へのあいさつ回りというのは、今日行って今日帰ってくる、というようなものではないのですね」


「……この国は長らく獣との戦いにより貴族の兵が死ぬことはありませんでしたからな。しかし、これを機にそういったやりとりも学ばれるとよろしい。……おそらく、これより増えましょう」


 背の高い、分厚い体つきの、『強さ』を人型に押し留めたようなウォルフガングから発せられたにしては、力ない声であった。


 上背だけなら息子のバスティアンとそう大差ない彼は……とはいえバスティアンも背が高い方だが……息子とは比べ物にならぬほど分厚い手を机の上に乗せ、身を乗り出すようにした。


「改めて。ラ・ロシェル家はオーギュスト殿下を支持いたします。それゆれ、これよりの戦略提言はすべて、殿下の従える将の一人としてのものと考えていただきたい」


「わかりました」


「……そして、バスティアンよ」


 ウォルフガングの灰色がかった緑の目が、息子を捉えた。


 バスティアンは肩から体の前へ垂らした深い青の髪に手を伸ばしかけ……

 意思の力で癖を……重圧を感じると髪を握りしめてしまう癖をおさえこみ、翡翠色の瞳で父ウォルフガングを見返す。


「はい、父上」


「我が家はこれまでリシャール様を支持する姿勢を強硬に示してきた。当然ながら、信を得るためには今後の働きを示すより他になかろう。……ゆえにこそ、我が家が信を得るまで、貴様が我が家の名代として殿下にお仕えするのだ」


「……もちろんです」


「ついては、武官として殿下の行脚あんぎゃに同行せよ。我が家からの連絡はすべて貴様を通し伝える。そして……貴様は、貴様の判断で、我が家からの提案を殿下のお耳に入れなくても構わん」


「……」


 それは言葉のあやなどではなく、まさしく『名代』の権限だった。


 不意にのしかかる家名の重圧に、バスティアンは一瞬、ふらつきかけた。

 これまで軟弱だの面汚しだの言われてきたのだ。急にこうなっては、心の準備などできようもない。


 だが……


「承りました」


 バスティアンは胸に手を当て、腰を折って役割を負った。


 ウォルフガングは歴戦の傷が刻まれた顔になんとも言えない感情をにじませ、


「……では、あのような獣が出た場合の対応と、あれに備えるための軍備との提言をいたします」


 会議を始める。


 ……誰も経験したことのない未来に向けた対策が、ここに始まった。

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