第52話 終結。そして開幕

 後方奇襲部隊が壊滅したあと、イノシシどもは思い出したように吠え、我先にと逃走を始めた。


 長男はこれを追撃するため隊を率いて馬を駆る。

 ……これがさらなる罠ならば、もはや、どうしようもない。敵は戦術的判断のみならず心理的判断さえもやってのけるということだ。領地の壊滅をもって他領に戒めを授ける以外にできることはなかろう。


 だがまあ、心配はなかろう。

 先ほどまであったイヤな気配がなくなっている。


 ともあれ、ウォルフガングは『穂先が心臓に届いた』と判断する。


 つまり、勝利であった。


「……死するつもりであったが、生き延びたようだ」


 意外、というのが、戦闘終了後の彼の胸中にあるほぼすべてであった。


 ここで死ぬはずだったのだと思う。

 ただ、なにかがズレ・・て生き延びたというような、不可思議な感覚があった。


「オーギュスト殿下・・、片足が動かぬゆえ一人では下馬ができませぬ。馬上より失礼を」


「僕もこのような姿勢で失礼」


 呼びかけられたオーギュストは、地面に寝転がっていた。

 王族の矜持でなんとしても立ち上がり、汗ひとつない姿で立って微笑んでいたいところであった。けれど、できなかった。魔力を限界よりなお振り絞ったせいで、その虚脱感は声を出すだけでもやっと、というありさまだったのだ。


「お互いにひどいものですな」


 ウォルフガングは笑う。

 いかめしい顔に浮かんだ笑顔は、美しいとさえ言えるものだった。……穏やかにしていると、この男は『ああ、バスティアンの親なのだな』と改めて感じさせられてしまうような、どこか女性的な美しさを気配にまとわせるのだ。


「なに、こちらはラ・ロシェル卿ほどではありません。……実際に『敵』を目の前にし、死力を振り絞るというのは、恐ろしいものです。兵のみなさまに改めてねぎらいと感謝を……と、このような姿で言っても、仕方ありませんね」


「いえ。……我が領地と領民のために死力を尽くしていただいたことを、私たちは重く受け止めます」


「たまたま、ここにいたというだけです」


「始まりはそうかもしれませぬ。けれど、あなたは戦うことを選んだ。これは『ともに戦ってくれるかもしれない・・・・・・』という予想より、ずっとずっと重い事実として、我らの心に残ります」


「そんなものですか」


「ええ。騎士は民と土地のために戦うことこそを誇りと定めるゆえ。我らは誇りのために戦い、誇りのために死にます。ならばこそ、誇りを守るというのはこの上がない。……改めて。ラ・ロシェル家はオーギュスト殿下を支持いたしましょう」


 ただの一戦で━━


 というのは、今の話を聞いたうえでは、口にしてはいけない疑問だろう。


 その一戦が例のないほどの異常事態であり、危機だったのだ。

 そしてオーギュストは逃亡を勧められながらここに残り、死力を振り絞った。それをウォルフガング・ラ・ロシェルは評価した。


「実際、せがれだけでは間に合わなかった。……私は判断を誤ったのです。後方に奇襲部隊が出たと知った時、戻るべきであった」


「いえ。ラ・ロシェル卿が前方を削ってくださらなければ、我らは挟撃で滅んでいたでしょう。……僕は前方に軍を進め、ラ・ロシェル卿と本軍とで前方敵軍を挟撃する案を抱いていた。けれど後方奇襲部隊に追い立てられながらのその戦術はきっと、犠牲を出したことでしょう。犠牲を出さなかったバスティアンの戦術に賞賛を」


「なんと」


 ウォルフガングは灰色混じりの緑の瞳を見開いた。


 それから、笑う。


「いや、失礼。あなたもまた、傑物のようだ。リシャール様のように……」


「兄と比べられるほどには優秀ではありませんが、評価はありがたく」


「……これで終わるでしょうか」


 それは、願いのようにつぶやかれた言葉だった。


 戦術を使い、戦略的視点を持つ、異常な獣の襲撃。


 続く根拠はない。

 終わる根拠もない。


 だけれど、続くだろうなという予感だけが、ウォルフガングやオーギュストを支配している。

 それはほとんど確信と言ってもいいほどの感覚だった。兄のように未来を見通せはしないけれど、それでも、このことだけは、未来を見通しているかのように断言できる。


 これで終わりではない。

 いや、これは、始まりにしかすぎない。


「この経験は広めるべきでしょうね。ラ・ロシェル卿の口から」


 オーギュストは提案した。


 ウォルフガングはうなずく。


「それが私の、今後の主な仕事となりそうです。次代の穂先・・は━━」


 ちらり、とバスティアンを見てから、


「━━長男であると、いいのですが」


 ……まだ、告げられていない事実を思い出しながら、述べる。

 近習きんじゅうしか知らない、『再び獣の軍勢が出ないのなら、家督は長男へ』という、遺言のつもりだった言葉。

 そうであったらいい、と心から思う。

 そうでないのなら……


 世界はゆるやかに滅びへ向かっているのかもしれないと、そんな気さえ、するのだ。

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