第51話 できること、できないこと

『輝ける風』は敵陣最後尾までを貫いた。


 だからこそ理解してしまった。


(どういうことだ……頭目が・・・いない・・・


 イノシシどもを見分けなどつけられない。

 ヒトは獣を見分けることができない。……まったくの不可能とは言わないまでも、戦闘中に突撃しながらは不可能だ。


 だからきっと、隊の後方でそいつ・・・は控えているものと思っていた。

 ウォルフガングは知恵のまわる異常個体があって、そいつがこの全軍を率い、なんらかの獣にしかわからない方法で指示を下しているものと思っていたのだ。


 ところが、後方まで貫いた感触が教えてくれる。


 まだ、頭目の心臓をこの穂先は貫いておらず━━

 振り返ってもそこにいるのは、指揮官ではなく、数多の一兵卒のみである、と。


 現に部隊を尻まで貫通されて、なおも敵が隊列を乱しきっていないことが、その証拠と言えよう。


 だからウォルフガングは結論した。


伏兵だ・・・! 本隊後方より現れた伏兵に敵指揮官がいる!)


 しかし、すぐさま『戻るぞ』と言うのを、彼はためらった。


 というのも、振り返って見た近習きんじゅうたちはひどい有様だったのだ。

 みな、負傷し、疲弊している。

 ここまで貫くだけでも大変なことだったのだ。ここからさらに穂先を返して、また同じ距離を、ここに来るまでより列を分厚くした獣どもを貫きながら戻ろうと呼びかけるのは、いかにウォルフガングが武断で知られていようとも、ためらわれるものだった。


 しかし、


「ラ・ロシェル様、どうか号令を」


 隊の者は言う。


「我ら『輝ける嵐』という名槍のつか。穂先が迷わぬ限り役割を十全に果たします」


 ウォルフガング・ラ・ロシェルは笑った。


 自分が進む限り、みなも進む。そう言われるだろうとわかっていたからだ。

 わかっていたのにためらったのは、自分の心におそれが━━迷いがあったからだ。


 おそらく言葉のあやではあろうが、その迷いを見透かされたような気がして、ウォルフガングはつい、笑ってしまったのだった。


 笑って、それから、覚悟した。


「この穂先・・もまた、遠からず砕けよう」


 部隊はすでに疲弊し、重傷を負っている者もいるようだった。


 そして。

 それを先頭で率いてきたウォルフガングが無傷のはずはなかったのだ。


「……平時であれば、次の穂先は長男であった。しかし、獣どものこのような動きがこれで終わりではないのなら、もはや、騎士と魔術師は融和せねばならん」


 なぜ、騎士と魔術師はいがみあうのか?


 その根深いところに転がる問題は、『魔力』というものへの哲学に原因がある。


『輝ける嵐』のように、魔術を用いずとも魔力を用いた効果を発現させることはできるのだ。言ってしまえば、騎士だろうが魔術師だろうが、魔力で戦うことに変わりはない。


 それでも騎士が魔術師を見下すのは、その魔力へのスタンスが問題だ。


 騎士は己の肉体を鍛え、精神を鍛え、その果てに力を貸してくれるものを魔力だと考えている。

 つまるところ、肉体と精神の激しい鍛錬の果てにある『先祖よりの助力』が『魔力である』という考え方だ。


 これは、魔力信仰とも呼べる考え方なのだ。


 ゆえにこそ魔力を扱うのには資格が必要であり、その資格は『激しい鍛錬』や『貴族としての矜持』といったもので認められる。

 これらなしで魔力を使う者は軟弱であり不敬であり愚劣なのだ。


 一方で魔術師は『魔力』を『リソース』としか捉えない。

『想いの力』や『勢い』などというもので出力が不安定になるのを嫌い、いつでもどんな時でも、決まった手順で決まった量の魔力を用いて定められた現象を起こせるように研究していく。


 魔術師にとって魔力は信仰の対象ではなく、これを道具にためておくこともいとわないし、さらにその道具を『鍛錬』もせず『矜持』もない民へ流すことも、必要とあらばやる。


 そこが騎士系の家との不和を呼んでいるのだった。


 どちらがより戦果を挙げるのか? と問われれば、中立の者からすると答えは難しい。


 最近だけを見るならば魔術師たちが安定した成果を出し始めているが、過去に獣どもの侵攻が激しかったころなどに強大な獣を倒してきたのはいつでも騎士たちだ。

 いつの時代も『最強』は騎士から生まれるが、平均値は魔術師が高い━━というようなところが現在までで多くの者が抱いている印象だろうし、それは間違っていない。


 ……さらに複雑な、『民を戦いに駆り出すことの是非』や『魔力というもののお陰で築き上げられてきた王家・貴族の権威の失墜する可能性への危惧』などというものもあり、貴族系の家と、魔術師系の家との不和をなくすのは、難しい。


 だが、ウォルフガングは『騎士と魔術師の融和』を述べた。


 これに近習が動揺している中、畳み掛ける。


「次なる穂先は、我が死より一年、定めぬものとする。そして、期間内に二度と今回のような『獣の軍勢』が現れなかった場合、家督は長男へ。もしも現れたならば、現れた時点で家督は三男のバスティアンへゆずるものとする」


 ざわめきがあった。

 ウォルフガングは目を閉じ、息を吐き……


後継あとつぎを救いに向かう。兵ども、これが我が嵐の最後の輝きと心得よ。我に続け!」


 問題提起、戸惑い、ざわめき。

 不安、迷い、それから尊敬すべき部隊長が死期を悟っていることへの悲しさ。


 だが、それらは号令一発で吹き飛んだ。


 きらめく緑の魔力をまとい、『輝ける嵐』が奔流する。


 その穂先は反転し、敵を背後から貫通すべく、自軍本陣方向へと向いていた。



 主人たるオーギュストが口の端から血をこぼすほどに魔力を使っている。


 死力を尽くすというのはそういうことだ。限界の限界まで魔力を絞り尽くすということだ。

 こんな、自分の戦術のために、主人がそこまで費やしてくれている。


 ならば自分はそれ以上をやるべきだと、バスティアンは決意した。


 なにをしたのか、アンジェリーナの眼前で乱れた敵の歩調。

 ヒトの身の丈の倍は全高のあるイノシシの群れ。重量で言えば十倍ではきかぬだろう四つ足の毛むくじゃらどもを目前に、バスティアンは魔力を練り上げていく。


 自分にはどこまでできるだろうか?


『やらなければいけないのだ』という意思で無茶を要求するなかれ。戦術は己の力の及ぶ範囲で立てなければならない。


 水属性の魔力の気配が、なんとなくわかった。

 それは前方方向に充溢しており、オーギュスト一人から吐き出されたのだとはとても思えないほどの量が地に満ちていた。


 けれど見てわかる現象は未だなにも起きていない。水の弾丸が敵を貫くことはなく、氷の雨が敵を撃つこともない。なにもない。こうして地上で迫り来る敵を見る限りは。


 バスティアンの思惑を達成するために必要なのは、あと、『重さ』だけだ。


 だから、自分にどこまでできるかを考えなければならない。


(一瞬、ほんの一瞬、イノシシどもの足を浮かせる)


 死力を振り絞ってもそれぐらいしかできない。

 ゆえに、それぐらいできれば終わるように考えた。


 敵部隊は最前列の急停止・反転による混乱がおさまりかけていた。

 味方に刃向かった最前列は後続の突撃により蹴散らされ、それを乗り越えるようにして敵どもは再び速度を上げ始め、突撃を再開しようとしている。


 第二列が最前列を越え、後ろ足を地面に下ろそうとする瞬間━━


 バスティアンの魔術が発動した。


 ……それは、真下から吹き上げるような、ありえざる突風だ。


 他者を切り刻む鋭さはない。獣どもを吹き飛ばして散らすほどの勢いもない。


 ただ、ほんの一瞬、イノシシどもを舞い上げ、その体二つ分、その場で浮き上がらせるだけだった。


 それだけでバスティアンは血を吐き、膝をついた。

 魔力は底をつき、もう次なる魔術の行使どころか、歩いて逃げることもできない。


 魔力による効果は一瞬で切れ、イノシシどもはどしんと着地する。

 落下によるダメージも感じられない。というか、ない・・のだろう。イノシシどもは巨大だが脚が短い。そして体に比すれば細く見えるが、実際はヒトの胴回りほどもの太さがあり、その骨も筋肉も腱も頑丈だ。ゆえに骨折もないだろう。


 だから、イノシシたちは落下ダメージではどうにもならなかった。


 どうにかなったのは、イノシシどもが降り立った地面の方だ。


 崩落があった。


 突如沈み込んだ地面とともに、イノシシどもが消える。


 連中の落ちた先からばしゃばしゃと激しい水音が聞こえてくる。


「……一回で済んでよかった」


 バスティアンは思わずつぶやいた。


 イノシシどもが地面から現れたのを知っていた。

 だからどこかに連中が穴を掘ったあとがあると思った。


 進路上にあればいいなとは思ったけれど、あるかどうかはわからなかった。

 だからオーギュストに水を操っていただき、地面の下に泥を作った。空洞があれば水がたまって落とし穴となるだろうけれど、それが不可能でもぬかるんだ地面に足をとられるところまでは持っていけるだろうと思った。


 ぬかるみに相手を沈めるために、地面に重さをかける必要があった。


 その重さを最初、自分でかけられるかを考えた。上から突風で敵を押し付けて沈める方法だ。

 けれどそれは無理そうだった。相手を浮かせて落とす方がよさそうだった。

 アンジェリーナが最前列を止めたところで、敵は突如現れた障害物を前にどたどた・・・・するだろう。そこには多く重さがかかる。その地点で相手を持ち上げて落とせば重さがかかってくれるだろうと思った。


 一回でできたのは幸運だった。

 命を賭して二回、三回とやる予定だったから。


 三回目までで相手がぬかるみに足をはめる程度までいかないなら、それはもう、あきらめるしかなかった。


 結果は、想定以上の成功だ。


 地面は崩落し、敵は水溜りに落ちた。

 後続も簡単には止まれていない。次々と穴に吸い込まれていっている。


 だが。


 数列落ちたところで、さらなる後列は、穴に落ちた味方を踏み台にし、あるいは穴を迂回して迫ってきていた。


 唯一の救いは速度が落ちていることぐらいだろう。その質量は依然として圧倒的で、加速は最高速にまで乗り切らないだろうが、それでもこちらの槍衾やりぶすまとぶつかるまでには、充分な速度に到達しているだろうと思われた。


 だが、少しばかり、時間を稼いだ。


 これが今、ここにあるものでできる、最良にして最高の働きだとバスティアンは自信をもって言える。


 時間を稼ぐことで、なんの意味があるのか?


 その答えは━━


 背後から、来た。



「道を開けよ! 『輝ける嵐』が通り過ぎるぞ!」



 兵たちが槍を放り出して左右に割れる。

 そのあいだを、緑色のきらめく魔力をまとった騎馬隊が通過していく。


 誰もかれもが傷ついていた。

 砕けた鎧、垂れ下がった腕。馬も疲弊しているようだった。


 それでも彼らはこの部隊に所属する誰よりも速く、誰よりも強い。

 充分に加速しておらず、突如現れた穴を迂回するため隊列を分け、不安定な『溺れる仲間の背の上』という足場に立つイノシシどもを、削り殺すに足る嵐だった。


 ━━できないことは、できない。


 バスティアンがもしもこの戦術で、あるいは魔術で敵軍を蹴散らしたならば、英雄になれただろう。

 けれどバスティアンにはそこまでのことができないのだ。できるのは、父が部隊を率いて戻るまでの時間を少しでも多く稼ぐことだけ。そして、その部隊が確実に敵を蹴散らせるようお膳立てをすることだけ。


 ……敵へ突撃していく寸前、父がバスティアンを見た気がした。


 視線の交錯は一瞬だ。

 ……それでも、以前までのバスティアンであれば、父から目を逸らし、背を丸め、おどおどしたかもしれない。


 けれど今のバスティアンは、真っ直ぐに父を見つめ返すことができた。

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